ビックロと家電量販店上位3社の方策

市場の縮小とネット勢の蚕食から過去30年間威勢を誇った家電量販店が今、 曲がり角に来ており、合従連衡が喧しく、 業界再編製で幾つかのグループにまとまり始めたのは昨日2012年9月28日に本ブログにも伝えた[K1] 処です。

再編されたグループはそれぞれ独自の方針をも打ち出します。 それは家電量販店がその誕生時より最大の武器として来た廉価が、 今それだけでは消費者に指示されない状況ともなっているからでした。 それぞれにそれぞれの付加価値を備えなければ生き残っていけないと考えているのです。 此処に生き残るのは数社のみで後は淘汰される、 とする考え方のみは奇妙に一致するのでした。

ではそれぞれにどのような付加価値を備えるべく施策を打っているか?

シェア上位のヤマダ電機、ビックカメラ、エディオンについて見てみれば、 それぞれに端的に特徴が出て実に面白いものとなっているのが分かります。

業界最大手の 株式会社ヤマダ電機 は最大手として最も端的な方針であり、 またそれは創業時より一貫したもので、 同社の総帥山田昇氏がベスト電器買収時の会見ではっきりと述べる処でもあります。 それは シェアと数量に拘る というものです。 更なる拡大でスケールメリットを産み出す手法が貫かれた上でのベスト電器買収であり その買収には九州で圧倒的シェアを有するだけではなく早くから海外展開を実践している 同社のノウハウを得て海外市場を睨むものでもありました。

YKK戦争を勝ち抜き20に余る他社を併呑し店舗は700を優に数え、 社員数は約3万6千人もの巨大企業は お客さんに取って一番分かり易いサービスは価格であるとする方針を貫き、 2009年には遂に売上高を2兆円に乗せました。 しかしそんな最大手でも2011年は創業来初の前年度割れが招かれてしまったのです。

それでもヤマダ電機だけで国内家電の2割を売り捌くその圧倒的シェアから 週の前半、月火水には全国から群馬県高崎市のヤマダ本社にメーカーの担当者が輻輳します。 即ちヤマダ電機はどこより廉くメーカー商品を仕入れられる立場にあり、 価格決定権はメーカーには無く、ヤマダ電機が握っているとされる所以です。 勿論その廉さはリアル店舗に忍び寄る影であるネット勢の一角、 価格ドットコムで示されるものより定額が可能となります。

そんな抜きん出た優位性を誇るヤマダ電機にして危機感は抱かれ、 総帥をして10年先、15年先は分からない、と謂わしめる状況下、 しかしせめて5年先を見て中期的に打つ手を売っているとします。 一時期話題にもなった ヤマダ電機が家を売る という新手です。

ヤマダ電機は同業他社のみならず2011年8月には中堅住宅メーカー エス・バイ・エル をも買収していたのでした。 そのエスバイエルの主力商品が スマートハウス と称する太陽光発電エコ住宅です。 即ち太陽光発電パネルから家電までヤマダ電機で揃えて貰おうと言う目論見なのでした。

更にこれをヤマダ電機らしい拡大路線で考えたときの一手が 町全体をプロジェクトしてしまおうという新手です。 住宅の開発販売のみならず、土地開発及び分譲住宅販売迄手掛けようと言うものです。 このプロジェクトは既に着手されており群馬県板倉町に群馬県知事も肩入れする中、 実際に分譲地開発が進んでいもします。 開発した分譲地にはスマートハウスを建築し、 その住宅内には家電もヤマダで揃えてもらうべく 駅前にはヤマダ電機店舗が建築される予定です。 詰まり自ら構築した街の駅前のヤマダ電機をサービス拠点にして 町全体をプロジェクトしようと言う目論みは現実のものとなり始めているのです。

これと対照的な手法を示しているのが業界シェア第3位につける 株式会社エディオン です。 ヤマダ電機を飽くなき拡大路線と一言で言うならば、エディオンのそれは 地域密着型ビジネス で、実に端的にシェアに拠る特徴が現れているとして良いでしょう。

エディオングループのデオデオは特に西日本に強く、 広島などで地域に根差し圧倒的強みを見せています。 同社では価格の廉さよりも大切なものを得んとしてこの方針に辿り着きました。

今や誰でもが家電販売出来る時代になっています。 それを可能にしているのがネットであり、 糅てて加えてネットショップすら拵える必要はありません。 なんとなればアマゾンのようなプラットフォームがそれを代替するからです。

その状況下、家電量販店は何が出来るか、と自らに問うた エディオンを率いる久保允誉社長は 売られた家電の設置や修理はネット勢には出来まい、と言う答えを導き出しました。 エディオンでは労働集約型のビジネスは廃らないしそれはエディオンがやる、 とその方針を声高らかに謳い、それは即ち地域密着型ビジネスに結びつくのでした。 これは町田、相模原に密着した でんかのヤマグチ株式会社ヤマグチ や、滋賀県に密着したスーパーマーケット 株式会社平和堂 を髣髴させる手法です。

そんなデオデオは自社の修理スタッフに拘り 修理専用部隊を抱えています。 修理スタッフは自社社員であり、彼等は直接顧客の家に上がり込むと言う 他社に抜きん出た優位性を獲得することになります。 スタッフ一人は一日15件ほど対応し、その現場の顧客の声は直接経営に活かされるとともに、 またその場で新たな購買に繋がってもいるのでした。

またフランチャイズ化にもこの方針はお誂え向きで、 狭い商圏ながらも顧客と密着する謂わば顔馴染みの昔の街の電器屋さんは メーカー系列店だったものが総合的な品揃えを可能とする店舗として 息を吹き返しても来つつあるのでした。 彼らは面倒臭い新商品の仕様を顧客が必要とする部分だけ提供する情報産業でもあるのです。 このフランチャイズ店の成功は即ち エディオンの指針が着実に成果を上げていると見て良いでしょう。

さて、明確な方針の見える業界シェア1位と3位に対し、 コジマを傘下に収めシェア的に2位に躍進したビックカメラの方針は難しい処です。

コジマは生き残りを賭けビックカメラとはその公表される3年前から提携を模索していました。 YKK戦争に於いても最初に躍進したのはコジマでした。 1998年にはシェアトップに躍り出る勢いを有していたのです。 しかし2000年6月の大規模小売店舗法の撤廃から状況は一変、 ぶれることなく拡大路線を突き進み大規模化を積極的に進めたヤマダ電機に 2002年、遂にその座を明け渡してからは業績は芳しくなく、 従って適切な提携が必要と考えられたのでした。 その失敗はご他聞に漏れず従来の成功体験から脱皮が出来なかったことが主因とされます。 即ちコジマをして業界首位に至らしめたドル箱店舗は500平米程の中規模の広さであり、 其れ等、120店舗を捨て切れなかった、と自ら認める処でもありました。

この一旦窮地に陥って生き残りを賭け懸命のコジマを傘下に収めた ビックカメラの方策は都会型と地方型の互いに補完し合う関係が 実に合理的に思えるこの買収を実践しながらも 打った手は一見不合理に見えるものです。 それはビックカメラの都市型特性を更に推し進めるものでコジマの買収とは逆方法に思えるものです。 これをしてシェア2位と首位と3位に挟まれる立場に於いての指針立案の難しさがあると考えるものです。 一度間違えばどっちつかずのまとまりのない指針が 全体の方向を誤らせるからです。 厳しい状況下には少しの舵取りのミスも許されはしないでしょう。

しかしその打った手は現時点で実にユニークに思えます。 それこそ2012年9月の現在世に大いに話題を振り撒く ビックロ です。

ビックロ ビックカメラ新宿東口店特設サイト スクリーンショット

現在ビックカメラドメイン内には ビックロ ビックカメラ新宿東口店特設サイト (2019年10月19日現在記事削除確認の為、新たに ビックロ ビックカメラ新宿東口店 にリンクを貼り置きます。)が用意されそのスクリーンショットが此の図になります。

ビックカメラは新宿に既に2店舗を保有するに関わらず3店舗目を 2012年7月5日、東京新宿駅東口三越百貨店跡地に出店しました。 ビックカメラ東口新店 です。 三越跡地であれば必然的に従来の西口店、東口駅前店より大規模なもので、 この大型店の新宿への出店はビックカメラの悲願だったとしても またドミナント出店システムにしても、些か行き過ぎに思えます。 だからこそ出店は恐らくビックカメラの指針を端的に表している一手と考えて良いでしょう。

ビックカメラは1978年群馬県高崎市にカメラ専門店として誕生し、 1980年池袋駅前出店したのを皮切りに首都圏主要駅前に出店する戦略を取りました。 そして1980年代には家電の取り扱いを始めるのです。 従って都市型店舗でしかも大型店が悲願としてそれを今回実現したのも ビックカメラと言う企業の特質に適した施策とは言えます。 しかし単なる出店に留まらぬ仕掛けが用意されていました。

新店では明確に新しい狙いがありました。 それは 女性とファッション を切り口にしたもので顧客ターゲットははっきりと女性に絞られていました。 なんとなればデパート激戦区の当該地域には多くの女性が往来するからです。 女性向けの商品を1階に集め、販売員も女性としたそのフロアーに 来店した女性からは口々に、とても家電量販店とは思えない、 電器屋さんに見えない、などの狙い通りの言葉が漏れています。 これは従来のビックカメラの店作りとは明らかに異なる手法です。

そしてそれは2ヵ月後の9月中旬に店の看板に更に先鋭化して顕現しました。 ビックの右ににロの字が加えられたその店舗名こそ ビックロ に化けたのです。 ご存知日本最大のアパレルブランド ユニクロ との共同店舗開発だったのでした。

9月11日には 株式会社ファーストリテイリング と共同記者発表が催され 家電とファッションを組み合わせたユニークなニューコンセプトが紹介されました。 ファーストリテイリングを率いる柳井正代表取締役会長兼社長は、 家電量販店もアパレル店も東京の繁華街では3~4割が外国人客であり、 日本を訪れた外国人には全て家電と服を買ってもらうことが必要であると豪語します。 以前カメラと家電の融合を試み成功したビックカメラはユニクロと共に 今回は正しく家電とファッションの融合を目論むのでしょう。 これはまた或る種、家電量販店や大規模服飾店に専業化の進んだ小売業の 今苦境に陥っているデパート、百貨店への先祖返りにも見えるのが面白い処です。

そして昨日2012年9月27日、華々しくもビックロはオープンの運びとなりました。 9時45分の開店時にはエントランスに約4000人が列をなしたのです。

ビックカメラを率いる宮嶋宏幸社長は 何社残るかには興味がなく自らが生き残ることのみを考えるとします。 即ち他社に関わり無く我が道を行くと言う訳です。 そしてそのためにはお客さんに支持されることが重要であるとするのです。 敵は家電量販店には無くネットなどの新興勢力にある混沌状態の中では 案外これが最も好適な指針なのかも知れません。 答えは近い将来ビックロが出してくれるでしょう。

かたむき通信参照記事(K)
  1. 曲がり角の家電量販店~YKK戦争も今は昔、忍び寄るネットの影(2012年9月27日)
  2. プラットフォーム化するネット販売に因って縮小するネットショップ(2012年9月22日)
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