日本ギター界の最老舗にしてビザールギターの雄Guyatone(グヤトーン)の東京サウンド営業停止

Untitled photo credit by roleATL
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日本エレクトリックギターの黎明期を支え 産業が成熟して後はビザールギターとしても大いに人気を呼んだ Guyatoneグヤトーン が残念ながらその歴史に終止符を打たんとしています。

帝国データバンクの本日2013年2月7日付けの大型倒産速報に伝えられるのは グヤトーンブランドの運営母体企業 東京サウンド株式会社 (2019年8月27日現在 tokyosound.co.jp ドメイン停止確認)が先月末を以て営業を停止、2月末まで残務を維持するものの 今後の整理に付いては検討中とのことで この歴史あるギターブランドの行く末が気になります。 2013年2月7日現在東京サウンドホームページを訪れれば以下引用する文句が悲しげに貼り置かれるものです。

1956年の設立以来 楽器・音響機器のメーカーとして事業を続けて参りましたが このたび諸般の都合により 平成25年1月31日をもちまして業務を終了することとなりました。 永年にわたるご愛顧、ありがとうございました。

東京サウンドの負債総額は約2億2,000万円、 近年では長引く不況に加えバンド人口も減少し、 更には昭和の世には夢だったフェンダーやギブソンなどの海外ギターブランド物も遥かに入手し易くなって 経営改善の努力を何度も試みるものの徒労となっては資金繰りに遂に窮したもののようです。

今、手元にあるリットーミュージックから出版された BIZARRE GUITARS 60年代 は平成5年(1993年)3月10日発行の当時定価3,300円が現在アマゾンでは10,000円近くの高値と、 雑誌でさえそれだけの価値を産めば況や掲載されるビザールギターをやどれだけ魅力的な楽器かが覗われる 其の表紙を繰れば最初に掲載されるギターメーカーこそグヤトーンなのでした。

'90年代にして既にレトロの感も露わなグヤトーンギターが当該ムックには冒頭から16頁に渡って 其々に実に魅力的な機体を紙面に晒します。 TELSTARMARROLYDX GLORYMUSICIAN 、勿論 シャープ5モデル にドブロタイプ、バイオリンシェイプ、 果てはダブルネックハワイアン迄、見ているだけで楽しくなるラインナップで こんな楽器屋さんが有ったら一日入り浸っていたって飽きるもんじゃ決してありません。

このムックに記されるのは其れだけではありません。 67頁からは HISTORY OF JAPANESE GUITAR COMPANIES と題されたコーナーに綺羅星の如く居並ぶメーカーの、 此方でもトップを飾ってグヤトーンは20頁もの紙幅を割いてその輝かしい歴史を紹介されているのです。

木工技術の必要なギタービルドに於いてはその職人は 大工よりも建具屋、指物師に近い存在です。 グヤトーンのその始まりは建具屋でした。 創業者 松木三男 氏は1933年と言いますから昭和一桁の8年は戦前、 東京は下落合に看板を掲げた処からグヤトーンの歴史は始まります。

船出時松木氏は未だ18歳の丁稚奉公明け、 好奇心の塊だった其の頃にアメリカには電気楽器なるものがあって面白そうだと思ったのが 国産エレキギターの幕開けだったと言うのですから面白いものです。 この頃に大流行だったのがハワイアン、 互いに惹かれあうようにテスコ創業者などとの邂逅もあって ハワイアンギターの開発にのめり込み、 アンプも数を重ねるに連れ品質は向上、 初期のグヤトーンの屋台骨を支えたのでした。

当時のギター業界関係者の話は戦争譚と切り離せません。 国産ギターの黎明期を支えた人々は皆戦争経験者であり復興時を逞しく生き抜いた人々でもありました。 戦争を経て復員した松木氏はテスコと程近くに本拠を構える偶然などありもしつつ 世は電気楽器の時代へと突入します。 この時1950年代には主流はハワイアンギターからギターへと移りもした頃でなかなかに面白い逸話も聞かれます。

このブランド名グヤトーンのトーンはTONEですから分かりますが、では グヤ とは一体何なのでしょう? 実はこれ松木氏の仇名でした。 どうも木工職人として一目置かれていた松木氏はギター業界から敬愛を込めて建具屋(タテグヤ)の グヤさん、グヤさん、と呼ばれていたようなのです。 1940年代の終り頃から松木氏の作り出すギターの印にグヤの文字が入れられ、 松木製ギターであるのを示すように自然とグヤの名称が浸透すると言う 計算高く下らないマーケティングだかなんだかなどの代物とは無関係に正しくブランド本来の在り方として在った グヤ にお得意の外人さんが発音のし難く楽器のイメージが湧かないと指摘されて、 じゃ、トーンを付ければそれらしくなるだろうと誕生したのが1951年頃、 グヤトーン の由来なのでした。

このブランド名を掲げて1960年代に入ると快進撃が始まりそして絶頂期を迎えました。 作っても作っても生産が需要に追い付かず、 見兼ねた以前から付き合いのあった日本楽器などにも木部製作を手伝ったりもして貰ったそうです。 世の中はビートルズに、ベンチャーズと正しくエレキギターの嵐が吹き荒れている時代だったのですね。

今となっては貴重なグヤトーンの資料ともなるリットーミュージック・ムックの BIZARRE GUITARS 60年代 にはグヤトーンの歴史に併せて松木氏のインタビューが2頁、 昭和22年(1947年)にグヤトーンに入社した 山中昭伍 氏のインタビューが2頁の都合4頁に渡る当時の生の証言が掲載され、史料価値を一段と高めています。 それにしても松木氏が全くギター演奏をしないと言うのは 何某か量産エレキギターの創始者 Leo Fenderレオ・フェンダー 氏との共通点も見えて楽しいものです。

些かその歴史を負い掛けているうちに今回の事態を忘れてしまう程、 其の過程を楽しませて貰うこととなったグヤトーンと言うブランドは 其れだけの魅力を有するものだとも思うものです。 今回の状況を見つつもしかしこの業界には例えば 東海楽器製造株式会社 の如く倒産から見事蘇り現在も活躍を続けるギターメーカーもありますから、 業績こそ衰えたと言うものの未だそのブランドをファンの胸に刻む グヤトーンには不死鳥の如き復活を期待したく思います。

使用写真
  1. Untitled( photo credit: roleATL via Flickr cc
参考URL(※)
  1. 「Guyatone」ブランドの楽器メーカー 東京サウンド株式会社 営業停止(帝国データバンク:2013年2月7日:2019年8月27日現在記事削除確認)
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