平等院鳳凰堂の平安時代の瓦と宗教的立位置と当院ホームページ

平等院 は世界遺産であり鳳凰堂は本邦硬貨のモチーフともなる国の象徴です。 この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば と詠み栄華を極めた藤原道長の代に別業として藤原氏の 宇治殿 となり、其の子 藤原頼道 が永承7年(1052年)に寺院に改めたのが平等院の始まりでした。 国宝 平等院鳳凰堂 が建立されたのは翌天喜元年(1053年)のことです。

鳳凰堂は去年2012年9月より今年3月31日迄の間、 屋根葺き替え及び塗装事業が実施されています。 〔※1〕 この事業に於いては全瓦52,049枚が降ろされ、分析されるものとなりました。 これに依り得られた知見が2013年2月15日に多くのメディアに配信されました。 この内の1560枚もが平安時代に製造された瓦であり、 それは当初木製の瓦で葺かれていたものを半世紀後の大修理で葺き替えられたものだろう、とされます。 従ってこの1560枚は9世紀もの長き年月に渡り大修理が実施される中に繰り返し再利用され、 現在迄使われ続けていた 〔※2〕 と言うものです。

実はこの情報、何もメディアに頼る迄も無くインターネット上から得られるもので、 尚且つ其れは確とした公式の情報源のものであるのでした。 大手メディアと雖も此れをニュースソースとしているのですから これを見るのが最も手っ取り早く情報を知る方法となるのは言う迄もありません。 それこそが 平等院の公式ホームページ でした。

当該サイトに配信される情報は勿論各種メディアが伝える処より濃いもので 中堂に集中して葺かるその大半が平安後期製の平瓦であり、 その製作技法の特徴から奈良 南都系 及び河内 河内系 2系統の存在が確認されたと言うのです。 〔※3〕 以下、南都系、河内系の順に当該ホームページを引用しましょう。

平安時代・南都系の瓦:鳳凰堂修理のニュース(平等院:2月15日)

南都系の瓦は、平等院創建(1052)の4年前、藤原氏の氏寺である奈良興福寺が焼亡し、 その復興のために焼かれたものです。 興福寺復興に藤原頼通が強く関与したことから、この瓦が平等院にも供給されたとみられています。 平安後期の瓦は全般的に粗雑といわれる通り、この瓦も布目が粗く成形が雑なのがわかります。

平安時代・河内系の瓦:鳳凰堂修理のニュース(平等院:2月15日)

河内系の瓦は、大阪八尾市丘陵にある向山瓦窯跡で生産されたものです。 向山瓦窯跡の西側平野部は平等院領玉櫛荘の比定地となっており、 この瓦窯で焼かれた瓦は平等院を中心とする宇治近郊で出土しています。 河内系は細かい縄叩きを特徴とする瓦ですが、 このうち3割が一際丁寧に作られた「特注品」であることが確認されました。
「特別品」は通常のものより1.5~2寸ほど短く、布目を丁寧になで消しています。中には瓦の片端に釘穴があるもの、生産管理用と思われる刻印のあるものも見つかりました。
瓦の粗雑化が進む平安後期において、 河内系の瓦は平等院のために作られた特別な瓦だったといえます。

以てかたむき通信的格付けに於いては決して上等とは言えない作りながらも 平等院公式ホームページはその文化財情報発信のものをAと手前勝手に指定する処ですが、 下手な教育委員会傘下の埋蔵文化財センターなどよりこの如き遥かに柔軟なWebサイト運用が、 如何なる状況で現出するのでしょうか。 其れには一つ当院サイトのFAQ第1問 平等院は何宗ですか? なる質問に対する答えが手掛かりを与えてくれそうです。 この質問には以下のように回答が用意されています。

既存のどちらにも属さない単立寺院です。 そして、平等院には浄土宗の浄土院と天台宗系の最勝院があり、両寺で管理しています。

恐らくは単立寺院として独立性が保たれているために 組織の規約や上位下達に縛られない機動力に富んだ情報配信が可能となるのではないでしょうか。 現時点で見られる処、宇治市教育委員会は情報発信については 豊かな歴史を抱えながらも其れに見合わぬお粗末としか言わざるを得ない状況で、 平等院の情報発信が此方の方面からも縛られない状況は幸運でした。

使用写真
  1. Byodo-in, Phoenix Hall( photo credit: tsuda via Flickr cc
  2. 世界遺産 平等院(スクリーンショット)
参考URL(※)
  1. 国宝 平等院鳳凰堂修理について(世界遺産 平等院)
  2. 全ての瓦が降りました:鳳凰堂修理のニュース(平等院:2月14日)
  3. 平安時代の瓦:鳳凰堂修理のニュース(平等院:2月14日)
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