まぐれ~書評前編~痛烈な皮肉と稀な事象

確率と言う物は人類史上比較的新しい学問であり、 まだほんの端緒についたばかりで何やらも覚束ない状況にありながら、 なかなかに人間の根源的、本能的な部分を突き揺さぶって已まないものがあるようです。 コンピューティング社会の到来、インターネットの普及に伴って ビッグデータなるものが俄かに注目をあびビジネス輩が跋扈する処となっていますが、 大道芸的であったり、奇抜であったり、奇を衒ったり、 時には詐欺的な言説も登場しては消える曖昧模糊たる現況はまた 確率が大いに金銭的な事象にも結び付き易いことを示すでしょう。

『まぐれ』書籍写真

数学的センスの無い経済学者は有り得ませんがまた 株式市場に携わるトレーダーなどにも確率論は必須とされてもいます。 以て統計は現在必須の学問とされているのですが、 此の如き黎明期には逆説めく主張も又正当性を以て登場するようです。 其れは決して統計は嘘をつく、などの浅薄な意見ではなくして、 統計の齎す根本的な問題であり、人の在り方と深く結び付いています。 何某か定立の惹起された時に此れを止揚発展させるべく生み出されたアンチテーゼの如き 此の現状に警鐘を鳴らす人物と其の処女作を本記事に書評として扱いたく、 特に本記事ではプロローグ及び第1章から第7章で構成される第1部 ソロンの戒め についてものしたく思います。

第2作目となる著書 ブラック・スワン(上) (下) (The Black Swan) で大いに名を馳せた ナシーム・ニコラス・タレブNassim Nicholas Taleb) 氏(以下、著者)は其の処女作から注目を浴びていました。 其の処女作が好評であり反響も得て、 様々なフィードバックもあって殆どの章が書き加えられ特に第11章などは大幅に拡張、 遂には本全体の分量が1/3以上も増えた第2版が、 望月まもる 氏の訳の労で日本版が刊行されているのが まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか (原題:Fooled by Randomness) です。

著者はレバノン内戦で地位を失った一門の出で 20年ほどをロンドン、ニューヨークに数理系トレーダーとしてキャリアを積み、 其の後2004年からは研究者に転じ専門を 不確実性科学 としてマサチューセッツ大学に教鞭を取る傍ら文筆をも営んでいます。 デカルトよりモンテーニュに惹かれるとする著者はトレーダーとして従事しながら自らを 懐疑的経験主義者 と称す姿勢にて投資の世界に強い疑義を抱き、現場を踏まえ、長く考究を重ねた結果に 正しく其のエッセンスを本書にエッセイとして綴り大向こうを唸らせたのでした。

ベストセラー作家の仲間入りをした著者ですが、 其の性向を一言で表すとすれば失礼ながら 皮肉屋 として良いものではないかと思います。 此れが生来のものか、其の家系の辿った顛末のためか、 将又数理トレーダーとしてキャリアを積む中で醸成されたのかは定かではありません。 第3章70頁には著者に取っての2大思想家として アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein) と ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes) が挙げられていますから其の影響の齎したものかも知れず、 ただ此の傾向を以てして著書にアンチテーゼたるユニーク性が齎されているのは確かです。

其れはトレーダーとしては一風変わった仕事の方針にも影響し第6章131頁には自ら其れを 歪みに賭ける 、また換言して稀な事象で儲けると表現しています。 従ってこそ 黒い白鳥ブラックスワン なる概念の第7章150頁には ジョン・スチュアート・ミルJohn Stuart Mill) の提唱する処とされていますので再惹起と言った方が良いかも知れません、其れがなったものでしょう。 処女作たる本編には著者の其の如きエッセンスが詰まったものとなっており、 随所に独自の視点から見た事象の描かれてもいて、 其れは株式市場ならぬ一般社会にも敷衍し得る知見となっています。 又同時に著者の周囲への或る範疇の徒輩への批判的言説としても顕れており、 処女作の初版が或る程度の評価を受けた第2版としての本書に 然し此の如き連中には通じていない旨記される態度も実に アイロニックironic です。 但し著者の批判する標的の代表たるは第4章100頁に彼の観念論の大家 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel) が名指しされ、 ルネ・デカルト(René Descartes) でさえ散々ですから気に病む処ではないのかも知れません。

著者は数理系トレーダーとしてのIT関連などのツールにも精通してもおり、 其の扱いにも長けているのが覗え、 此れ等が紹介されるのも門外漢には珍しくもあり、 また説明は金融概念や人物批判に比較して容易な語彙を用いて平易に綴られているのは 面白く、同時に便利に受け取る向きも多い筈です。

以上の如き視点から分解するに 以下の3点を以て本書の内容をカテゴライズする見方も出来るものとして宜しいでしょう。 実際に書かれている頁数を加えて下にリスト化してみます。

  1. ブラックスワンに象徴的なユニークな視点で表される事象
    • 第2章43頁、現実はロシアン・ルーレットよりたちが悪く回転式拳銃の弾倉が6個ではなくて 何百も何千もあるようなもので何十回も引き金を引くと、人は弾丸が1個入っているのを すっかり忘れ感覚が麻痺して安全だという錯覚に陥ってしまう、此れを本書では 黒い白鳥問題 と呼ぶ。
    • 第3章78頁、観察できる過去は一つだけだから後から見れば過去はいつだって明らかである。 私たちの頭は殆どの事象を起きる以前ではなく起きて以降に照らして解釈する。 答えを知っていて試験を受けるようなものだ。
    • 第3章82頁、 疑わしいときはシステマティックに新しいアイディアを否定するのが一番いいやり方である。
    • 第3章88頁、興味深いのは生き残るのが稀にしか起きない事象に直面した経験の多い 抵抗力のある一番歳を重ねた者である点。
    • 第3章91頁、市場に於けるランダム性の期間に対しパフォーマンスを計測する際の性質、 短期間ではパフォーマンス足るリターンではなくノイズ足るリスクを観測することとなる。
    • 第4章102頁、モンテカルロの詩、 優美な骸が新しい酒を飲むだろうLes cadavres exquis boiront le vin nouveau. 、と人間に必要な 罪のない楽しみペシェ・ミニョン
    • 第5章113頁、著者が クロスセクション問題 と呼ぶ、一番お金持ちのトレーダーが最悪のトレーダーであることの多い事象。
    • 第5章126頁、繁殖適応度で前世代より劣りながら生き残る特性である ネガティブ変異 ではしかし其の系統は大凡数世代以上を生き延びられない。
    • 第6章145頁、統計学が複雑になり、私たちの理解を超えてしまうのは、分布が対称でないときであり、 この信頼水準の安定的で非線形ならぬ上昇の非対称性が本書の核心であり、 デイヴィッド・ヒューム(David Hume) や カール・ライムント・ポパーKarl Raimund Popper) といった人たちの哲学的問題の核心である。
  2. 著者の如き性向を持つ人物の溜飲を下げ得る批判的意見
    • プロローグ9頁、運を実力と取り違える傾向がとても強い世界、それは市場の世界である。 10頁、不確実性を相手に仕事をする者として、特に経済学の分野でごそごそやっている、 ランダム性が一番分っていない科学者の皮をかぶったインチキセールスマン連中を山ほど見てきた。
    • 第2章55頁、長年市場を割高だと言ってきたロバート・シラー教授に その間に市場は2倍になったとあげつらう科学者と予言者や 晩のニュースで相場を騙る芸人と区別のつかない頭の悪いマスコミ。
    • 第2章58頁、具体的で生々しいリスクに目を取られ勝ちな人々に 受渡最割安センセーションで感情に訴えかけようとするマスコミは 表面的な手がかりに飛びつきリスクの確率を誤らせる危険性を孕む。 通念には簡単に一言で説明できる物事を好ませる部分があるが此れを法則とするのは過誤である。
    • 第3章85頁、シラー再び、市場はどこか間違っていてファイナンス理論が主張しているほど 市場は効率的ではないとする主張に教えに背く異端をつぶせと 声を荒げた最先端ファイナンス教の高僧達。
    • 第5章119頁、たまたま運がいいだけなのに能力に依るとしてしまう過誤、 何某かで得た信念の正確さを過大評価する連中の特徴の概観まとめ。
    • 第5章126頁、ランダム性の酷い構造で短期的に適正進化したかに見える種は 長期的には負け犬でしかなく、 期間を永遠まで延ばすとエルゴード性がが働いて確実に起きる稀な事象で絶滅する。
    • 第6章133頁テレビコメンテーターは言ったことの当たる頻度が成功に繋がる芸人に過ぎず 厳密な実証に基づいているか如何かではなく、むしろプレゼンテーション能力なんてものが 勝負の分かれ目になってしまっている。
  3. ツールの紹介
    • 第3章81頁、エルゴード性、非常に長いサンプル経路が皆お互いに似た結果に行き着くことを指す。 第9章194頁にも項目立てられている。
    • 第4章95頁、モンテカルロ・エンジン。
    • 第4章97頁、逆チューリング・テスト。

特に本記事で3件程付言したく、先ず上リスト第1点2番目の第3章78頁についての誤謬に陥り易いのは 経済学者はトレーダーだけにあらずして、著者の知る由もない 日本史に於ける自称歴史学者や研究家が往々にして陥る陥穽でもある点にて、 此の分野に無自覚者の大半を占める屡歴史本の書評で取り上げている 詐欺的徒輩の跋扈する状況は憂慮すべき事態にある処でもあります。 著者の言う 観察できる過去は一つだけだから後から見れば過去はいつだって明らかである は此の如き似非学者を糾弾するに、かたむき通信の 本能寺の変 ~信長の油断・光秀の殺意~ 書評記事 〔K1〕信長の戦国軍事学―戦術家・織田信長の実像 (歴史の想像力) 書評記事 〔K2〕 に取り上げた原著著者であり、かたむき通信で高く評価する 藤本正行 氏が述べる処とジャンルが全く異なるにも関わらず全く軌を一にしており、 其れは時系列で見る歴史学に於いて一層色濃くあるのが感じられます。 答えを知っていて試験を受けているような輩が大学教授としてあって 人様の採点をするなど烏滸がましくもあるでしょう。

次に取り上げたく思うのはリスト第1点3番目、の第3章82頁、 疑わしいときはシステマティックに新しいアイディアを否定するのが一番いいやり方である、 なる主張にて此の件に関しては以前はなまるチェック!なるブログに 所謂進歩主義者や事大主義的役人などが浅墓な言いっぷりで先人の知恵足る地名を軽んじるのを嘆いた記事 〔※1〕 をものしたものと同義であると考えます。 此れが市場にも敷衍され足る本書と見れば、 浅知恵に弄ばれるべきでない事象が世に殆どであると考えれば良いでしょう。

最後に付言したいのはリスト第3点の2番目、第4章95頁の モンテカルロ・エンジン 及び3番目の第4章97頁 逆チューリング・テスト にて此の2条については近年検索エンジンにスパム行為として認識される ワード・サラダWord Salad) 関連の技術其の物です。 此れで随分とGoogleを欺いて荒稼ぎをした業者もあったようですが、 此の技術が市場分析に於いても活躍する処であったのは面白く読みました。

さて、此れ等の一見奇矯にも見える言説の集群に 一本の筋を通す概念こそ昨今隆盛を誇る統計学へのアンチテーゼであり その核心足るのがブラックスワン、同じく著者言う処の 稀な事象 であり、第1部に於いての主題ともなっているのでした。

エッセイの体裁を意識してかの第1部前段に様々な事象と対する皮肉の記された後、第6章 歪みと非対称性 にはこの稀な事象の事例を挙げるなどして或る種の熱狂を以て説明されています。 中央値は語らない とする当該章初段には1,000回の賭けで999回は勝ち、1回負ける勝負に於いて 大抵は其の勝利頻度から賭けに参加する向きの多いのを怪しむのは、 勝利した時に得られるのは僅か1ドル、負ければ1万ドルの損失であるような払い戻し状況の非対称性も 専門家にさえ驚くべく程理解されておらず従って看過されるからであると言います。 殆どの分野では非対称性は重要ではなく頻度のみが注目され、 加えて信頼水準の無視出来ない非対称性が統計学者に稀な事象を等閑にさせるのです。

しかし分野に依っては全く以て単純化の行き過ぎであるのは明白で 当該分野では此れは白黒画然たる賭けに落とし込まれた罠であり、続く段 牛熊動物学 では自らが来週市場で小幅に上昇する確率が高いとしながら 大量に空売りする姿勢の正当性に諧謔を以て言及します。 此れこそ著者の数理系トレーダーとしての一貫した方針であり、上に記した 稀な事象で儲ける 実践である訳です。 稀な事象とは過去のデータを狭く解釈してしまった結果、リスクを見誤ることであり、 将来を予測する指標として過去の時系列データは役立たないものとする所以です。 土台が誰にも予測され得る未来は予測した人々の操作で平均に均されてしまうもの、 と紹介されるルーカス批判は 量子力学の観測問題 を彷彿とさせ面白くもあります。

第6章に促された稀なる事象の認識を以て、第7章 帰納の問題 では、白鳥はすべて白い、と言うのは真偽の判定の付かなければ而して命題足りえず、 ニュートン物理学は相対論に反証されてこそ科学足りえて星占いは其の範疇に属さず、 統計学は情報が増えれば知識も増えるとする面に目を瞑ることは出来ない、とするもので、 著者に多大な影響を与えたポパーの考えを借りて自らを極端で執拗なポパー主義者を自認する著者は 実証など不可能 であり、実証を重視することほど危ないものはない、とし、 永久に正しい真理の存在しない反証主義の社会に読者を誘うのです。 人間が効率的に記憶するに大いに用立つ因果関係はしかし其の圧縮で幾分か事象を捨象せざるを得ず 従ってランダムについて頼りないものとならざるを得ないのでした。

本書に頻繁に登場するキーワード ランダムrandom については著者の意を汲み取るに注意を払うべきでしょう。 ランダムに至らざるを以て更に無知の知と為せぬ輩が 大いに著者の不興を買う処となっているのです。

以下、書評の前編の最後に著者が本書のテーマを要約するに 勘違い、誤解を生ぜしめる状況の検討であるとする、 その対象たる対照的な事象を左右の列にまとめた8頁の表を引用しましょう。 自らを右列と確信している輩を或る日突然ブラックスワンが襲い 全く無き左列に在るのを思い知らせるのを皮肉る本書とも言えるでしょう。

一般
能力
偶然性必然性
確率的確定的
信念、憶測知識、確信
理論現実
逸話、まぐれ因果、法則
予測予言
市場でのパフォーマンス
運がいいだけのバカ能力のある投資家
生存バイアス市場の打ち克つ
金融
ボラティリティリターン(ドリフト)
確率変数確定変数
物理学・工学
ノイズシグナル
文芸評論
該当なし
(文芸評論家というのは自分たちの頭では理解できないものには名前をつけないようだ)
象徴
科学哲学
主観的確率客観的確率
帰納演繹
総合命題分析命題
一般哲学
偶然確実
偶然必然
偶然あり得るすべての世界で真
かたむき通信参照記事(K)
  1. 是非に及ばす~書評前編~本能寺の変、信長の油断・光秀の殺意(2013年2月23日)
  2. 信長の戦国軍事学~書評1~当代随一のドキュメンタリー作家太田牛一(2012年11月12日)
参考URL(※)
  1. 浅知恵で地名を変えるべきではない理由~Yahoo!G-Banz(はなまるチェック!:2012年2月19日)

追記 (2013年7月10日)
本書の 書評後編 を配信しました。

本書書評記事一覧
  1. 前編~痛烈な皮肉と稀な事象(2013年6月3日)
  2. 後編~免れ得ぬ吾人の性 (2013年7月10日)
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