クラシックギターの源流スペインのギター工房に日本のヤスリが奏でる至高の響き

広島呉市の 仁方町にがたちょうヤスリ 業者が約30社存在し、其れ等業者が製造する全国シェアが95%を占める 日本一の鑢の街です。 処で面白いことに此の殆んどの業者の社名には の2文字が含まれているのです。 此れこそ強固で鋭い切れ味を製造する鑢に齎す秘密でした。

古くから鑢製造を生業とする各社には味噌壷がありました。 味噌は昔、壷に入っていましたから其れ故、壷入り社名となったものでしたが、 此の味噌は鑢の焼入れを一層効果的にするものです。 何処の家庭にもあるごく普通の食材、味噌が強い鑢に不可欠なものとは驚きですが 此の技法は日本刀にも用いられているもので、 鋼の焼入れに携わる方に取っては当たり前のこととされており、 其の知見を公開してくれているホームページ[※1] もあります。 鑢の歴史は古く紀元前2000年には既にギリシャのクレタ島で青銅製のものが用いられ、 又日本では7~8世紀頃と推定されるものも発見されているとか、 味噌を鑢の焼入れに用いるのは古くは秘伝であったそうで、 目立ての溝からして焼き入れ用の味噌を蓄えるにお誂え向き、 進んで味噌が不可欠なものとなったのであれば、 若しかしたら日本刀の焼き入れ技術が鑢の技法を取り入れたのではないかと考えられないでもありません。

鑢の焼き入れは800℃に溶けた釜の鉛の中に浸け込んで施されます。 鑢には細かく目立てされていますからどうしても鉛が溝に入り込んでしまいますが、 この溝を味噌で埋めてコーティングしてしまおうと言う寸法です。 そして味噌の効能は此れだけではありません。 焼入れの仕上げに一気の冷却は必須ですが、此処でも一役買うのです。 焼き入れ釜から取り出した極熱の鑢を一度溶かした鉛を封入する為に厚く堅く設えられた釜に叩き付ければ 余分な鉛は落ちて味噌だけが鑢上に残った状態となります。 此れを冷水に中に突っ込んで一気に温度を下げるのですが この時味噌の塩分が冷水の温度を更に下げる役割を果たすのです。 味噌の塩分で更に下がった水温、即ち焼き入れ冷却温度の低下が更なる強度のある仕上がりとなり鑢の強靭さが抜群に増すのです。 これぞ伝統の鑢の味噌焼きであり、 長年使っても草臥れない耐久性と抜群の切れ味を鑢に齎すのでした。

此の 味噌付乾燥工程 を実際に見せてくれる番組が2013年7月18日木曜日に放送されました。 かたむき通信に高級腕時計ウブロを支える日本製精密加工機械を記事[K1] にもした日本の美点を取り上げるテレビ大阪制作の人気番組 和風総本家[追] での人気企画 世界で見つけたMade in Japan にて ツボサン株式会社 、即ち 三株式会社、明治16年創業の鑢一筋130年の老舗を紹介した放映回です。 同社内の当該工程に、味噌汁状にした液にヤスリを直に浸けてなお味噌を更に束子で塗り込んで後、 乾かした鑢の表に味噌も露わな様子が画面に映し出されました。

ホームページ内の製品ラインナップには見当たらないものの番組の紹介では 同社では楽器工具の HOSCO ブランドで HOSCO Luthiers Tools―ギター用工具 (2020年4月4日現在記事削除確認)なるギター専門鑢を手掛けていると言うことです。 世界から注文が後を絶たない このギター用鑢こそが番組の趣旨に沿う 世界で見つけたMade in Japan であった訳です。 或るギタービルダーがドイツのフランクフルトの国際見本市で不図目に留まった此の日本製の鑢を興味半分で買ってみれば 驚きの切れ味を発揮、使い具合も素晴らしく爾来今に至る迄、毎日愛用しているのが 3本の線がブランドマークとして刻まれるTSUBOSAN(壷三)製造の鑢でした。

此のギタービルダーは職人歴35年の ジョルディ・カンプス 氏、2013年現在55歳の御仁で、 マドリードから700kmのスペイン東部はカタルーニャ州 Gironaジロナ の小さな街 Porqueresポルケーレス に構える創業から半世紀以上の歴史を有し今も14人のギター職人が所属して 年間3,000本を製造、世界33箇国に出荷する カンプスギター工房GUITERRES CAMPS in Girona) を率いる2代目であり、若い時分にはスペイン国王に家具製造コンテストで表彰されている経歴の持ち主の 一流の木工職人なのだそうです。 同工房で製造されるギターは音の切れが良く、作りが丁寧で引き易い、と演奏家も絶賛であると番組のナレーションが紹介する背景には カンプス CUT-900S/TUNE (23万1千円也)の美しいフォルムが映し出されるのでした。

木工加工も金属加工も必要なギタービルドに於いて、特に仕上げ工程に鑢は欠かすことが出来ません。 此のギター工房に壷三の鑢が活躍するのが仕上げ部屋でした。 画面に映し出されるのは棹加工にて天神にローズウッド材と思われる化粧板が貼られるものの 未だ糸巻き用のスリットも穿たれておらず、 粗削りされたマホガニー材と思われる棹を作業に都合良い角度の付いた治具に嵌め込んで、 特に粗削り加工で未加工と成り勝ちな天神側、ジョイント部の裏側を削り込むのに 必須の役割を壷三鑢が果たしているのでした。 見れば鉄芯も入れられていないのが露わな指板も貼られていない状態で、 角度付き治具への嵌め込み用にボーリングされた2つの孔は 恐らくは工程を繋ぐ基準穴でもあるだろう、とは経験上容易に推測出来ました。 番組でカンプス氏が誇らしげにスペインこそがクラシックギターの発祥の地だと言及するのに 兎角異論を持つものではありませんし、勿論日本が本場では有り得ませんが、 画面に映し出される工房内を見渡せばベルトサンダーや蝦蛄万など、 日本のギター工房でもお馴染みの景色が見られ、 様々影響を与え合いながらもあるでしょう、ギター工房と言うものは 成る程真剣に拵えようと思えば国は違えど孔を穿つ方法論に到る思考法まで似てくるものなのだと思わされ、嬉しくもなった次第です。

Flamenco photo credit by Fernando García
Flamenco photo credit by Fernando García

棹は弦を押さえて弾くギターの手の当たる正に要の部分、 演奏性に実に重要な部分であるのは、 一日の演奏時間が長いときには3時間以上にも及ぶフラメンコギターの演奏者、と番組が説明するまでもなく フラメンコならずともギター奏者には謂わずもがな、 ギタリスト達は疑いなく楽に弾ける自分にあった使い易いものを選ぶ訳で、 ギタービルダーは此れを長時間弾き続けても疲れにくい滑らかな手触りの棹に仕上げる必要があるのは勿論です。 一般向けの番組用にとギターのネックは厚さと握り易さが兎に角大切であるとして、 しかし此れを任意の形状に気に入る迄磨き上げるのはこれまた木工経験者ならば推して知るべしで、 棹の裏側を始め、天神根元からジョイント部迄、ギター全体を丁寧に磨くのに 鈍らでは草臥れて仕方ありません、 此処に切れ味鋭く耐久性に優れた鑢が必要となるのでした。 其処に天恵の如く導から出遭ったのが壷三製鑢にて 以前のスペイン製の鑢で3回掛かっていた処を1回で削れてしまえば 毎日肌身離さず愛用せずには居られないのも肯けようものです。

斯くて遠くスペインのギター工房に得られた信頼は棹加工に留まらず 金属部分の仕上げ加工にも活躍することと相成るのでした。 カンプス工房の金属仕上げ担当の女性が使うのは壷三がギター専用鑢にも 特にフレット用として販売しているものです。 金属であるフレットが切り出されたままでは演者の指を傷付けてしまいますから 仕上げ加工にフレット研磨加工は必須です。 ギター工房などではフレットの仕上げにはベルトサンダーに棹を斜めに 丁度フレットの端が当たるようにして加工したりもするものですが、 カンプスギター工房ではHOSCOの文字が刻まれた専用のフレット鑢でフレットを一つ一つ研磨する様子が映し出されます。 必ずしも此の一つ一つの手作業がマニアが有り難がるように良いものでは有りませんが、 例えば貴方の愛用するギターが長い年月を経て指板が痩せて フレットが少し浮いて演奏の邪魔となるようであれば カンプスギター工房を真似て壷三鑢で調整するのは良い考えでしょう。

さて、西の職人芸に合わせて東の職人芸が番組に披露されるのが壷三の職人氏達、 例えば目立て職人歴50年を閲すると言う女性は 鑢の目を等間隔に同じ深さで入れる達人として紹介されます。 鑢は使い勝手を考え先端から柄元へ厚く傾斜する構造となっており、その傾きに合わせて目を立てる たがね の深さを調整する必要が有ります。 上下に震動する鏨の深さをハンドルを回す左手で、 鑢を送り出す右手と連携しながら流れる様な速度で鋼の鑢に目を立てる様が画面に映し出されます。 こうして職人芸で綺麗に整った目の入れられた鑢が上記した最終工程の焼き入れ、 味噌付乾燥工程 に送られるとと言った段取りになっているのでした。

当番組当企画の最大の見せ場となるのがビデオレターでの遣り取り、 壷三社とカンプス工房の洋の東西を越えた交流が感動を呼びます。 壷三の女性職人などには感極まって涙ぐむ方も見られ感動も一入です。 カンプス氏がいみじくもギターにも使い易さがあるように、 自分に取っては壷三の鑢が最も使い易いのだ、とした比喩に端無くも応じるかの様に呟かれた一人の女性職人の言葉が印象的でした。 削っている処がね…音が良く切れる音だわね… 、正しく職人であってこそ其の心の内から出て来る此れ以上無い宝石の様な言葉でしょう。 当該人気企画を産み出したのは流石の此の番組が ギターが奏でるフラメンコに負けない良い音がギター工房に響き渡っている 、と番組を〆たのはなかなか憎い演出であったことでした。

追記(2020年4月4日)

「和風総本家」は「二代目和風総本家」に改題し、司会者変更するなど、形を変え継続されたものの、 2020年3月19日放映分を最終回に終止符が打たれました。 其の旨、Twitterの当該アカウント @wafusohonke でも当日付けで呟かれています。 ただ、Webサイトは現時点でも其の儘残されており、放送終了の挨拶が記されているのですが、 当番組で大人気となった柴犬の子犬 豆助 の其の後の様子の掲載されたコーナー 追跡!歴代豆助のその後 も用意されており、二十三代を数える柴犬達の現在の大写しの写真がファンの為に掲載されています。

使用写真
  1. Flamenco( photo credit: Fernando García via Flickr cc
かたむき通信参照記事(K)
  1. ウブロの腕時計の精度を影ながら支える静岡県の加工機械とビバー氏の為人(2013年7月20日)
参考URL(※)
  1. やすりと味噌 切れぬ縁(鋼と越後の名工など「大工道具と刃物」の資料集)
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