木目金~高級腕時計を装飾する日本伝統工芸の技法

金属でありながら木の風合いを醸し出させる、 そんな技術が本邦に誕生したのは江戸時代だと言われています。 木目金もくめがね です。 主に日本刀の装飾に用いられた此の金属工芸技術は 一説には其の創始者の死と共に忘れ去られたとも言いますし、 又一説には、江戸後期に完成の域に達しつつもしかし、 日本はやがて明治維新を迎え、明治9年の廃刀令[※1] の発布と共にいつしか廃れてしまった、とも言います。 孰れせよ其の創始者は出羽国は秋田藩お抱えの鍔師 正阿弥伝兵衛しょうあみでんべい であるのも明治期に一旦技術が途絶えたのも間違いないようです。

My dear Frank. (Frank Muller Sunset). © Glenn E Waters 1,100 visits to this image. Thank you. photo credit by Glenn Waters
My dear Frank. (Frank Muller Sunset). © Glenn E Waters 1,100 visits to this image. Thank you. photo credit by Glenn Waters

鍔師伝兵衛は日本刀の鍛造技術及び漆技法を鍔の装飾に活かさんとして木目金を考案したのでした。 重なり合った様々な金属を削り出し叩き出せば、 丸で自然の木目が如き折り重なった文様の生じる其の様を見れば 伝兵衛の発想が成る程と大きく首肯出来るものですが、 其の為には高い技術的障壁を乗り越えねばなりません。 木目金の難しさは 鍛接 にこそある、と現代の名工である金属工芸家 千貝弘ちがいひろし 氏のする処です。

木目金は 一般社団法人日本銅センター(JCDA) に依れば 杢目銅もくめがね とも書くそうで同組織の出版する広報誌 [※2] の平成22年9月15日発行の第170号には 「杢目銅」/正阿弥伝兵衛の世界 と題す一章が用意されています。 簡略ながらも此処には実際に木目金製造に携わる 千貝氏の経験に基づく様々な知見が得られる貴重な頁となっています。 例えば其の基本的な製造法は以下の条項の如く記されています。

  1. 仕上がりの模様を想像しながら、金属板を数十枚重ね合わせる
  2. 積層材料を固定し、 ふいご 炉に入れ加熱。 融着 が確認できたら取り出す。
  3. 叩いて薄く延ばす。
  4. 板の表面を削ることで断層面が模様となって現れる。さらにたたくと複雑な模様に変化する。

上の第1条に太字にした金属板を数十枚重ね合わせ、 第2条に太字にした此れ等を融着させる技術こそが木目金の肝となるのは、 此れを 鍛接 と称し千貝氏の最難関と主張する処ですし、 又此の難しさから一時期木目金の技術は途絶したのでした。

鍛造とは日本刀などの製造技術で叩いて成型している手法を言い、 此の鍛の文字は鍛錬に用いられるが如く鍛えるの意で、 鍛接とは鍛え接合させる技術となるのでしたが、 此処では熱で以て融着させる手法を指しています。 孰れ現場では圧力を加えるような操作が行われているのかも知れません、 熱と圧力を上手く同調させているのではないかと拝察します。 しかし接着剤を用いるにあらず、螺子を用いるにあらず、溶接にあらず、 唯に熱を加え、圧力を加えて、融点など性質の異なる幾つかの金属を、 其の後、削って、叩いて、と言う荒療治をしても剥離の招かれないように面接合するのが 如何に困難であるか想像に難くありません。 木目金の技術に携わり始めた頃の千貝氏の鍛接の成功率が約5割、 20年を経、知見の蓄積された現在でも9割程と完璧には行かない数値が其の難しさを物語ります。 而して木目金の素材は産み出されているのです。

千貝氏に依れば現在、木目金の技法は、職人毎に遣り方が異なるのだそうで 金、銀、銅や其れ等の合金など、材料の組み合わせ方やまた鍛造方法なども 其々が其々の工夫を凝らしていると言います。 例えばネット上にも木目金を幻の技として、オーダーメイドの指輪を提供する 杢目金屋 がありますし、此処ではまた木目金の歴史などが記され、参考文献も紹介される頁[※3] も用意されており参考になるでしょう。

上の杢目金屋が指輪加工を生業とするのは 木目金技法が宝飾品技術及び市場との親和性が高いことを示しもするでしょう。 又、腕時計と宝飾品の親和性が高いのもバーゼルワールドなどのビジネスショーの性質を見れば勿論 腕時計ファンにも良く周知のものです。 しかしどうやら今迄、木目金の技法は腕時計の世界に導入されることはなかったようで 実に不可思議なことでもあります。 此れは若しかしたら日本人が自らの有する技術の軽視に問題があるかも知れません。 其れと言うのも頃日、此の木目金の技法をワンオフ、ハンドメイド、オーダーメイドの 超高級腕時計の世界に導入している人物が存在し、彼はスイス人であるのでした。 時計製造職人であり時計彫金師でもある キース・エンゲルバーツ 氏です。

氏が紹介されたのはテレビ大阪制作の人気番組 和風総本家[追] に於いてでかたむき通信に紹介したウブロ社のビバー氏[k1] 及びカンプスギターの愛好するツボサン社の鑢[k2] と同回の2013年7月18日木曜日放送分の 世界で見つけたMade in Japan 企画の中の一つでした。 スイスはジュネーブ、カルージュの住宅地に仕事に励む氏が 番組企画に沿い、日本製、大阪で購入したと言う切れ味鋭い小刀を用いて製作するものが何であるか、 なる問題であったのでしたが、其の解答が腕時計であったのです。

時計彫金師である氏が腕時計へあしらう実に細かな彫刻の角に丸みを持たせ 立体感を出すための仕上げに欠かせないと言うのがスイスの職人にはポピュラーなツール、 スティック式サンドペーパーであり、この鉛筆程の三角柱に巻き付けられた 紙やすりの先端を常に鋭角に新鮮に保つ為の切断に 切れ味鋭い日本製のナイフは必須であるのは、 即ち刃物の切れ味が彫刻の制度を左右するのだと言う訳です。

丸い枠に見事に彫り込まれた透かし彫りの竜の彫刻が仕上がれば 他のパーツを組み合わせれてスペシャルな腕時計が組み上がるのでした。 スイスには氏の如きオリジナルの特別な一品を一般に提供する時計師が数多く、 氏の製作した腕時計は年間6本しか拵えられず注文から数年待ちの状態で、 其のオーダーメイドのお値段は600万円からと言います。

そして氏の彫り込む竜の彫刻には 見るも深みのある紋様が浮かび上がっていました。 木目金です。 番組では氏がスイス時計に此の技法を初めて取り入れたと説明します。 氏は木目金を、江戸時代に日本で刀鍛冶職人が用いていた技術と説明し、 或る薬品を浸ければ金属でありながら丸で木目のような模様が浮き上がる、 銀だけが薬品に反応して模様が出る、と解説しました。 此れが氏の独自の工夫であるのでしょう。 画面には日本刀の装飾用に使われていた技術として木目金の鍔の映像が映し出されます。 遠くスイスに日本発祥の伝統的技法が今、花開かんとしています。 こうと聞いては食指の動く腕時計マニアも多く出て来ることでしょう。

考えてみれば日本刀の鍔と腕時計の相似たる哉、如何でしょう。 単に形状的なものだけにあらず、 当初其の保有する機能が必要されるも或る時から所有する者に嗜好的満足を 与える工芸品としての洗練度が要求されるようになった成り立ち迄似通っています。 そうであれば正しく木目金こそ腕時計の指向にお誂え向きの技術ではありませんか。 此の事実に日本人が気付かず、スイスの職人氏に先を越されたのは些か釈然としませんが、 上に書いた軽視と言うよりは灯台下暗し、と言った処かも知れません。 日本の時計関係者、業界人は如何考えられるでしょう。 少し残念ではありますが、しかし拍手もののキース・エンゲルバーツ氏の慧眼ではありました。

また氏に注目した同番組はお手柄でしたが、 素材として実に企画に沿った的確な人物を見付けたものの、 決して大阪製の小刀の切れ味を貶めるものでは無い主張とご理解いただいて、 しかし日本との結び付きに於いては存分には素材を活かし切れはしなかったようであると考えられるのは、 木目金を其の架け橋にとしなかった選択にあります。 其の技法に於いて最も難関とされる鍛接は番組内には扱われませんでした。 失礼ながらエンゲルバーツ氏が其の技術を有しているとは考え難くあれば、 恐らくは木目金素材を日本から取り寄せているのではないかと思われます。 詰まり此処にも番組の企画に沿う連携は二国間に有ると思われるのです。

木目金技法に於いては鍛接が自らを途絶せしめる程難易度の高い技術ではありますが、 しかし木目金は決して鍛接のみで成り立つ技法ではありません。 其の後の鍛造、彫金に依ってこそ作品は仕上がるからです。 融着技術を保有しなくとも技法を深く理解した彫金師も立派な木目金技法の継承者と言えるでしょう。 延いてはエンゲルバーツ氏を中心に次第にスイス時計界に此の技法が広まれば 固より金属加工に長けた人種の集まりですので鍛接融着の技術も独自発達しないとも限りません。 日本発祥の技法がスイスに広く伝播するのは好ましくはあります。 其れでも矢張り、 本邦にて其の技法は継承され、発展を促され、本流として在り続け、 出来得れば腕時計に其の技法を活かして欲しくはあります。

追記(2020年4月4日)

「和風総本家」に2020年3月19日放映分を最終回として終止符が打たれた旨、 当番組で大人気となった柴犬の子犬 豆助 の其の後の情報と共に本ブログ2013年7月30日の記事 クラシックギターの源流スペインのギター工房に日本のヤスリが奏でる至高の響き に追記しました。

使用写真
  1. My dear Frank. (Frank Muller Sunset). © Glenn E Waters 1,100 visits to this image. Thank you.( photo credit: Glenn Waters via Flickr cc
かたむき通信参照記事(K)
  1. ウブロの腕時計の精度を影ながら支える静岡県の加工機械とビバー氏の為人(2013年7月20日)
  2. クラシックギターの源流スペインのギター工房に日本のヤスリが奏でる至高の響き(2013年7月30日)
参考URL(※)
  1. 廃刀令(Wikipedia)
  2. 「銅」誌 第170号(一般社団法人日本銅センター)
  3. 木目金とは(杢目金屋)
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