生きて帰る『NO LIMIT』(栗城史多著)書評

冒頭には目標を目の前にして引き返すエピソードが盛り込まれる、 その書物のタイトルが NO LIMIT ~ノーリミット~自分を超える方法 (以下、本書)とは逆説的なものです。 栗城史多くりきのぶかず 氏の著述する書籍です。

一旦戻る決断を下せば、死の接近を明瞭に感じられ、 それ迄の冒険の共有も出来なくなり、 更には登山そのものに意味を見出せなくなります。 登頂と言う希望を眼前に失えば、 時間の感覚失い暗闇の中に自分の終わりを意識し心の灯は今にも消えそうになります。 その中に想起するのはただ一つだけ、 遥かに遠く感じられるベースキャンプへ 生きて帰る 、それだけなのでした。

氏のオフィシャルWEBサイト[※1] には氏は 世界7大陸最高峰制覇を目指すソロアルピニスト と紹介されています。 また公式ブログや[※2] Facebookページも用意され[※3] Twitterアカウントも持ち[※4] ネット上での情報配信に長けているのが伺えます。

それもその筈、氏にとってはネットは強い味方なのでした。 スポンサー獲得の手法として重要なのが一つの大きな理由ですが、 過酷な冒険を達成するための手法でもあるのでした。 それは本書に 共有し、感動を分かち合うのが、本当の冒険だと思っている。 と記されることからも分かります。 氏の登山の特徴は単独であり、無酸素であり、 そして共有される処にこそ特徴があるのでした。 最後の特徴は従来管見になく、新時代の登山家だと言えるでしょう。 共有、シェアは現代のインターネットのキーワードでもあるのでした。

その最も効果的なチャネルが動画配信のYouTubeです。 自らの登山の経過を全世界にYouTubeを通し配信する手法は現代に於いて実に効果的なものでした。 多くの人々が彼の経験、感動を動画を通して共有することが出来るのです。

しかしそれは過酷な挑戦を更に過酷とするものでした。 荷物が増えることは勿論、同行動のカメラマンは居ませんから、 時には1度上った場所をカメラを備えてからもう1度下りて上り直す 二度手間迄厳しい条件の中に必然的に増やすこととなってしまうのです。 それでも氏に取っては共有こそ財産であるのでしょう、 この挑戦は2007年5月に世界第6位の高峰 チョ・オユー (8,201m)に於いて単独・無酸素登頂と同時に動画配信が実践されて以来、継続されています。

本書は過酷な登山の実践から得られたメッセージを 一歩を踏み出すためのあと少しの勇気を持てない人々に向けて綴られています。 しかし読んで煽られるように勇気付けられて動き出すことを強いられる必要もありません。 挑戦を続ける氏に気付き、注目するだけでもそれを氏は喜ぶでしょう。 本書は恐らく自らを鼓舞するためのものでもあるです。

本当の冒険は否定されることからはじまる と本書にあります。 未だにそれと思わず見ても氏に否定的な言及は数多くあります。 それも込みの挑戦であると本書は言わんばかりです。

そしてなお山に足を踏み入れれば 其処に最も危険なものは 山登りへの執着心 であるとも記されます。 ここにも本書に通底する逆説的な在り様から惹起する命題が跋扈するのでした。 元々著述家ではない氏に未だ扱い兼ねているこの逆説的存在理由こそ本書の真骨頂なのです。 登山には禅的な問答に添うべく処が多いのだと思います。 なればこそ有名な何故山に登るのか、と問われた時、 其処に山があるからだ、と言う答えも導かれるのでしょう。 日本には峻険な山峰を修験の場とする人々が古くから在りもしたのでした。 役小角など山岳宗教の祖として古代より親しまれています。

矛盾を併せ呑んでこそ過酷な挑戦が適うものでしょう、 実際とは常に互いに相容れぬと思われる状態が自然に並存するものです。 登頂とはそれら二律背反を敢えて受け入れてこそ成就するものなのでしょう。 従って本書は読者を応援すれども其の侭在ることも受け入れ、 同時に自らを鼓舞する書でもあるのでした。

ヒマラヤのシェルパは登山者を 運が良いか悪いか で評価すると本書は言います。 彼らには山の神様にその登山者が招かれているかどうかこそが重要事なのでした。 氏は同時に ほんのひとつの工夫ですべてが変わる とも言います。 単なる運命論者に登攀の実践など望むべくもないことです。 しかし運命を甘受する精神も必要条件であるのです。

生きて帰れば其処は空気が濃く、草や小さな花が咲いている、 それだけでも生命を感じ、心を落ち着かせてくれる場所なのでした。 標高4,090mのベースキャンプです。

そして再び氏は人々と共有のための山頂を目指します。 2012年秋、4度目のエベレスト登頂に挑戦している真っ最中なのです。 公式サイトには2012年9月24日の最新情報として 高所順応のための7200m地点でのステイから 現地時間15:00(日本時間18:15)過ぎにキャンプ2(6,400m)まで無事に下山した旨が記されます。 更にYouTubeからUstremとなった動画配信[※5] では、急な氷壁を登攀中で中継が適わない旨も22日付けで配信されています。

本書に氏が特に ゾーン と呼ぶ状態が記されています。 登山中に集中の余り周りが見えなくなり独特の世界に入ってしまうことを言うのだそうです。 特に8,000mを超えた酸素の薄い世界で入り込みやすい世界で 時間の感覚も寒さの感覚も無くなり頂のみしか見えなくなってしまうのだそうです。 聞くだに生還の難しい危険な状態であるのが分かります。 このとき最も大切なのは 山を見るのではなく、山の先を見ること であると氏はします。 氏は今、ゾーンの中に山の先を見ているでしょうか。

追記(2018年5月21日)

残念な知らせが届けられました、 栗城史多くりきのぶかず 氏の訃報です。 享年三十五歳と言う若さでした。 朝日新聞、毎日新聞、産経など大手報道機関は言うに及ばず、 地方の新聞からネットニュース迄、多くのメディアの伝える処です。 比較的削除処理のされることの少ない ITmediaが本日2018年05月21日は15時45分に配信したニュースへのリンク[※6] を下に貼り置きましょう。 今はラインブログに移行された、 氏の公式ブログ[※7] には栗城事務所の小林幸子氏が本日2018年5月21日15時13分付けで悲しい記事[※8] を配信しています。 以下に当該記事から一部分抜粋します。

生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。

生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、
最後に執着してしまったのかもしれません。

自分を超える方法 を極限状態で実践しながら、しかも 生きて帰る、 此の二律背反を同時に成し遂げる難事は栗城氏を以てしても実現はなりませんでした。 御冥福をお祈り申し上げます。

参考URL(※)
  1. 栗城史多オフィシャルWEBサイト
  2. 栗城史多オフィシャルブログ
  3. Kuriki Nobukazu(栗城史多Facebookページ)
  4. @kurikiyama(栗城史多Twitterアカウント)
  5. 登山家・栗城史多 が エベレストから生中継【Kuriki "EVEREST SHARE"】(Ustream)
  6. 登山家・栗城史多氏、エベレストで死去(ITmedia NEWS:2018年05月21日)
  7. 栗城史多 公式ブログ(Powered by LINE)
  8. 栗城についてのご報告(栗城史多 公式ブログ:2018年5月21日15:13)
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