大阪都構想住民投票に於ける世代バイアスを考える

去ること一週間前、2015年5月17日に大阪市に於いて 特別区設置住民投票 (2020年5月5日現在記事削除確認)が実施されました。 本記事表題ともした所謂 大阪都構想住民投票 です。 結果は 大阪市における特別区の設置についての投票 開票速報 (2020年5月5日現在記事削除確認に付き、平成27年8月7日発行のPDF 大阪市公報 第5735号 に新たにリンクを貼り置きます。)にある如く賛成694,844票、反対705,585票と10,741票差、 百分率に直せば49.62%対50.38%と0.76%と1%にも満たない僅差で以て否決されたのは充分周知されているでしょう。

Osakajo Castle 大阪城 photo credit by Ari Helminen

現代年金世代が弥増すに連れ現役世代の比率が必然的に減ぜられ、 社会福祉、医療費などが国家経済に大きな影を落としているのも周知、 国の財政を悪化させて来たのは現在年金世代を膨らましつつある世代である中、 国策を決定するになお民主主義に於ける多勢を以て己の欲望を押し通して憚らぬものと怨嗟の声もなお弥増す渦中の 大阪都構想住民投票は世代間闘争が其の儘税金受給者側と納税側に別れての構造として 分析と称して出回るのは世代別投票率棒グラフに大阪市特有の南北問題の現れたる 投票率地域差地図をオーバーラップして見ての知見として60代、70代以上たる高齢者側の勝利が提示されるものです。 反論も勿論多く諸々提示される此の分析結果の是非は兎も角、 現在は民主主義の構造的欠陥としての高齢者偏重政策への批判の言説が虚実取り混ぜ跋扈するのが実態となっており、 受けて投票権取得年齢を下げたり、20歳以下の子供の選挙代行権を親に与えたり、 果ては高齢者の一票の重みを下げたり剥奪したりせよ、などの主張が飛び交ってもいますが、 本記事を起こしたのは大阪都構想の是非及び大阪市民の選択を云々するものでも 其れ等を材料に捏ね上げられた言説を批判するものでもありません。 本記事には現在他方法も然るべき準備を積めば選択可能な中に依然として従来の投票方法が維持されている 其の形態に因って世代バイアスが掛かっている疑義を提示したくあるものです。

端的に言えば現投票手法は現代現時点に於いては 例えば全国的な処で言えば新聞各紙の在り方、卑近な処で言えば回覧板のシステムなどと同様、 高齢者に合わせたシステムであって然ればこそ高齢者世代に偏重した結果が齎されるのは構造上の必然であろうと考えられます。 郵送された投票権を携え投票所に自ら決められた期日、時間に赴く方法は高齢者に寄った手法であるならば 現役層の投票率は低下するのも理の当然となります。 此処で少しく想像を逞しくするのが許されるならば Estoniaエストニア共和国 で現実に普及し国政選挙でも国民の数割が利用している電子投票が今回の大阪都構想住民投票に取り入れられていれば 結果が逆転したかは兎も角、若年層、現役層の投票率が高まったものでしょう。 また今回の住民投票に限らず選挙に於けるネット化が進めば現代に於いては 恐らく若年層、現役層の投票率は高まるものでもあるでしょう。 エストニア方式のネット投票に於いては現日本では若年バイアスが働くのではないかと スマートフォン普及、ネット利用率、利用形態など鑑みれば容易に推察されるのです。 即ち投票手法形態には現時点での世代バイアスが内在されると本記事には主張を繰り返す処であります。

2012年々末の第46回衆議院議員総選挙に於いては 選挙に於ける投票行動を義務であるかの如く思い込む属性を持つ集団が 選挙に行けと声高に叫ぶ其の声は属性を同じくする集団に向けられる滑稽を提示する記事[K1] をかたむき通信にものしました。 言う迄もなく選挙権は義務ではなく権利であり、己れの主張を世の中に押し通そうとする行為を許すものであって、 翻って権利なるものは大手を振って行使するものになく慎ましく利用するのが日本の美徳に従うものであったでしょう。 然れども選挙を義務かの如く取り扱う集団が大きいのも現況として是認せざるを得ません。

現在マスメディアで分かり易さを売り物にして人気のニュース解説者などに代表されるような人物が 屡々若年層の低投票率を憂い投票行動を促す言動を取っているのは多く同意を得られるものと思います。 此の如き人気解説者は団塊の世代真っ只中の大阪都構想住民投票に於いては正しく高齢者側であり 成る程情報化著しい現代にあっても新聞を数紙横断して読む優位性を主張を屡々敢行するのを頷けもします。 処が此の如き人物は大凡現在の投票形態を是として 一票の重みの地域差や選挙区方式の影響に付いては大いに語るにも関わらず 新方式の導入に見向きする様子は不可思議なほど伺えません。 勿論ネット選挙にも問題点は未だ多く抱えるのは実用化しているエストニアでも見られますし 近年の情報セキュリティに於けるニュースの喧しさから伺えもしますが、 俎上に乗せずして芽を詰む行為を是として良いものでもないでしょう。 偏向を許す投票方式が採用されて良い筈はありません。

今若しネット選挙が一般化して其々がスマートフォンから投票出来る体制が整えられ、 投票権の郵送と投票所開設の不効率から従来の投票手法が切り捨てられとしたとき、 若年層が高齢者に声高にネット選挙を促すのは如何にも理不尽です。 多くの高齢者が情報化社会に適合出来ず投票行動を諦める様も彷彿されます。 然うであればこそ高齢者に偏向した手法が高齢者側から若年層、現役層側に強いる状況には不自然を感ぜざるを得なくあるのです。 現在若年層に投票を促す行為諸々はネット投票が一般化された際に高齢者にネット投票を促す行為に一般と捉えられます。 翻って些か悪意を含む表現をすれば彼の人気解説者は言葉巧みに大常識を捏造して世代間ギャップを超えて 高齢者の代表たる己れの主張を若年層世代に押し付ける作為を常態化しているのを 正義として通用させ他方を蹂躙するのを許すのに快哉を叫ぶのは悪趣味が過ぎるでしょうし、 彼を人気解説者足らしめる人気の源泉が窺われるものでもあります。

大阪都構想住民投票結果に寄せられた意見に多く見られる 世代間ギャップが存在し利害が相反する面がある蓋然性は高く思われるとき 上記の如き投票方式に依って其の世代毎に変更した結果が得られるものとするのが本記事の主張ですが、 而しても此の状況を憂う意見に多く見られるような民主主義の一票の平等性は失わせるべきではないでしょう。 頑なに旧来の手法が遵守され他方法が取り入れられないのは 穿ってみれば現方法で甘みが得られる集団が新方式の導入に消極的であろうとしてもです。 更に此の考えを発展させれば 特殊な世代に因って元来日本人の常態が失われ国益が損なわれる侭に世代交代を待つのは遅きに失するとなったとして 投票方式に依る世代間バイアスが在るとき新方式に高齢者バイアスを廃せるものとしても 若年層バイアスが掛かると分かっているならば公正さを保つためには導入は憚られるべきであるものと考えます。

選挙権と言う権利の行使を恰も義務であるかの如き表層で覆い 自らの確固たる優位を以て劣勢側に投票行動を促した上では合意の上での決定であり倫理上の問題も不在として 尚且つ此の如き旗幟鮮明の蛮勇を以て同属性の集団への自己の存在証明の訴求としても機能する滑稽譚さは同時に 益する処が偏るに因って全体としては国益を損なう行為を 大手を振って声高に取り扱えるような性質のものに取り繕わしめる危うさも孕みます。 然れども元来日本人の常態ではないものと思われる現況は孰れ本来の属性を取り戻した世代に移行したとき 前世代から大きな不利益を蒙った其の交代世代が 怨嗟の連関を断ち切るべく、後世に禍根を残さず処理するものでもあるでしょう。 有して当たり前と前世代が考えた権利を放棄して若い世代に裁量を任せることもまた選択肢としてあるのです。

己れの権利を押し通し糅てて加えて己れに都合の良い手法を他者に押し付けるような属性は 元来日本人に薄かったものと拝察すれば 現況は飽く迄も現況に過ぎず特有の属性を有す世代が日本国を通り過ぎれば 大きな禍根を残すか如何かは兎も角悪弊は失われるものでしょうし、 坂口安吾の堕落論ではありませんが、 例え遅きに失したとしても其れが受け容れるべき日本であるのでしょう。

使用写真
  1. Osakajo Castle 大阪城( photo credit: Ari Helminen via Flickr cc
かたむき通信参照記事(K)
  1. 第46回衆議院議員総選挙とWeb認識についての一考察(2012年12月16日)
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