破産のため国重文本殿売却せざるを得ない弘前東照宮と日光東照宮と神社本廳

日光以外にも静岡県の久能山東照宮は馴染みのあるところですが、 失礼ながら青森県にも東照宮の在ることを知らされたニュースが流れました。 それは全国的に弘前東照宮の名を知らしめると共に 破産手続き開始の公表でもあり発信者からすれば慙愧に耐えぬところでもあったでしょう。 そのニュースは河北新報社の2012年4月20日の記事 弘前東照宮 国重文本殿売却へ 負債2億円、破産手続き開始 (2019年1月29日現在記事削除確認) に見られます。

記事に依れば青森県弘前市の宗教法人 東照宮 が2012年4月19日青森地裁弘前支部から破産手続きの開始決定を受けたとのことです。 負債総額は2億円以上とのことで同社が所有する国の重要文化財である 東照宮本殿は競売により売却される見通しだと伝えられます。

記事には是非ともそうして欲しいところである 本殿の重要性に鑑みた処理も考慮される旨伝えられると共に 弘前東照宮の由来も末尾に添えられています。 それに依れば1617年とありますから元和偃武の翌々元和3年 時の弘前藩主2代津軽信枚(のぶひら)の正室が徳川家康の養女であることから 弘前城内に創建し、1924年現在の弘前市笹森町の地に移されたそうです。 本殿の建立はその4年後の1628年で時は流れ徳川の御世も終わった1953年、 昭和の28年に国の重要文化財に指定されたそうです。

さて同記事中にはもう一つ、 門外漢には興味深い記載事項が有りました。 それは神社の破産が全国で2例目であると言う情報を齎してくれるそのニュースソースが 神社本庁 と言う組織であると言うことです。

神社本庁では公式サイト 神社本庁 も用意しておりそのトップページには神社本庁の説明としてでしょう、 神社本庁は、伊勢の神宮を本宗と仰ぎ、 全国8万社の神社を包括する組織として、昭和21年に設立されて以来、 祭祀の振興と神社の興隆、 日本の伝統と文化を守り伝えることにつとめてきた、とされています。

即ち伊勢神宮を頂点として神社本庁が統括するところの神社庁が各都道府県に存し、 青森県にも勿論神社庁 青森県神社庁 が存し、その組織化に恐らく 弘前東照宮 (2019年1月29日現在ページ削除確認) も所属する、ということになるのでしょう。

ところでWikipediaにも 神社本庁 項目が有り、なかなか面白い事項が記載されています。 神社本庁公式サイトではそれ程主張のなかった 神社本庁の本来の表記について 神社本廳 である旨、記載されているのもその一つです。

更には項目4.4.の 神社本庁との被包括関係に属さない神社 には有名な神社であっても、神社本庁との被包括関係を有せず、 単立宗教法人として運営されている場合がある、とされ、 例に挙げられる一つには 日光東照宮 が含まれているのです。

東照宮とは、征東大将軍に連なる征夷大将軍として天下を征した徳川家康公に賜られた神号、 東照大権現を祀る神社としての名称でしょう。 ならばこそその総本山は日光東照宮が本来なるところでしょうが、 この日光東照宮は神社本庁には属さずして、 名称に東照宮を冠し、由来も徳川家との所縁が明確な 弘前東照宮は神社本庁の組織化に配される、と言う按配になっているのが 実に興味深い部分だと思えるのです。

神社本庁自体が昭和の御世になったの設立ですし、 弘前東照宮はその創設者は津軽公にてご一新では 津軽宗家は伯爵、徳川将軍家は公爵ですが共に明治政府から爵位を賜る謂わば同列に連なり、 更には昭和には米国に進駐されるなど激動の時代を過ごした後のことですので 必ずしも名乗りを同じくすれども同組織化に属す必要はない訳ですが、 面白い状況だと思います。

弘前東照宮は今回破産の憂き目に遇いましたが、 救世主の現れないとも限らず、また歴史は消えることもありませんから、 どのような経緯で弘前と日光が別系統の組織に属するところとなったか 何某か機会が有れば伺ってみたいものだと思います。

追記(2012年7月10日)

破産管財人から重要文化財弘前東照宮本殿が競売により売却される見通しが伝えられたのを受け 重要文化財弘前東照宮本殿が100万円、重文の売買方法の穴 を配信しました。

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