湖の歌人
同じく静岡県西部に位置しながら、一方
佐鳴湖は近年漸く水質調査結果の汚濁度全国ワースト
廣蔭は佐鳴湖南岸の地に生まれ育ち遠州国学者の系譜を引きますから、
子供の頃から馴れ親しんだ佐鳴湖を歌に詠み込まない筈もありませんでした。
世に広く佐鳴湖を発信したいとも思ったでしょう。
其れには歌に織り込むのが一番だと考えたかも知れません。
「
入野と竹村家
三方原台地の南端が沖積平野に落ち込んだ崖下に広がる北の富塚の地と向かい合う様に、 佐鳴湖の南に広がる地が入野です。 入野 は古くからある地名で奈良時代の木簡にも其の名前が見えます。 この入野村に庄屋としてあるのが 竹村家 にて、 其の本家を 本竹 と言い、幕末に近い新しい分家に 中竹 がありましたが、 此の中竹の家の二代目として誕生したのが 竹村廣蔭 でした。
竹村家は郷土研究史の一書『入野地区の史跡』に仍れば、 初代は竹村源四郎尚輝と言い、一説には元堀江城主中安兵部少輔定安の家臣であったものが、 弘治年間(1555年〜1558年)故あって致仕し入野村に住んだとも、 また一説には伊勢の浪人の室町時代末期に入野村に住みついたともされ、 孰れ酒造業に財をなし、代々庄屋、大庄屋を勤めたとされています。
堀江城は現在の舘山寺の遊園地「浜名湖パルパル」に有り、 永禄年間には城主大沢氏[K3] の元、徳川家康の猛攻を退けて和解に持ち込んだ堅城でも有ったのは、 浜名湖に面す要害として建てられていたからで、 此の城と所縁が有るとすれば廣蔭は遠祖の頃から浜名湖にも縁付いていたとも言えます。 同書の系図をみれば初代尚輝は天正19年(1591年)に没し、次代尚嗣は寛文3年(1650年)に没していますから、 次代尚嗣が比較的長命であったのが窺われ入野に於ける礎石を築いたのかも知れません。 孰れにせよ江戸時代の極々初期から竹村家は入野に根を張り、廣蔭は傍流二世とは言え庄屋を務めもし、 其の系譜を紛れなく継ぐ者として有ったのでした。
変化抄
竹村廣蔭は著書を幾つかものし、中にも『変化抄』は浜松の幕末当時を知る貴重な一次史料です。 此れが今、吾人に誰でも閲覧可能となっているのは、 全く祖先の書き物を反故にせず大切に保管し、尚、浜松市当局に提供下さった竹村家ご子孫のお陰にて、 現在、webサイト「浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」[※1] にて竹村廣蔭自筆の原書其の物が画像として全二巻総て公開されています。 此の如く状況が整えられながら、しかし残念にも本書については研究が進んでいるとは言い難い状況に有ります。 「解題・説明」が以下引用の如く記されていますが、其れで全てと言って宜しいでしょう。
『変化抄』上下2巻。 / 美濃紙仮綴。表紙ともに墨付八十六枚。 / 竹村広蔭(1793-1866)の著書である。広蔭は浜松領の敷知郡入野村(現在の浜松市西区入野町)の佐鳴湖畔の旧家に生まれた。 その本家からは歌人の竹村尚規が出ており、広蔭の家はその分家であった。 広蔭はまた風雅のたしなみがありその友に石川依平、八木美穂、久保長秋等があって、著書に歌集『門田八束穂』また『農民老夫随筆』がある。 / 『変化抄』はその序にあるように 「おのれはやくよりしるしおけるを、ここかしこゑりいたし、をりをり人に尋ねもし、きゝもして」永年見聞したことがらにつき、 百七十七項の多きにわたって筆録したもので、嘉永五年(1852)に脱稿したものである。 内容は農林水産業に関する事項をはじめ産物、食物、衣類、住居、器具、風俗、習慣、祭礼、行事等多岐にわたっており、 浜松地方の農村の民俗土俗を知るためのよい手がかりとなっているし、こうした方面の記録がとぼしいので収載した。 本書は広蔭の末裔竹村梶代氏の所蔵にかかわる。(『浜松市史』史料編四) / 備忘録・郷土誌、安政地震の記事あり。 / 浜松市史史料編四に翻刻あり。
しかも此の「解題・説明」は全く『浜松市史史料編四』に掲載されている其の儘の文章であり、 従って此の出版年の昭和三十六年から既に干支を一巡して還って猶、状況は変わっていません。 「浜松地方の農村の民俗土俗を知るためのよい手がかり」の「記録がとぼしい」儘であり、即ち研究の遅れを示しています。 此れでは竹村家ご子孫而已ならず『浜松市史史料編四』編者の面々にも失礼と言うものでしょう。
浜松市博物館に出向けば、 何故か不勉強ながらも自意識の強い年寄りが暇に任せて町医者の待合よろしく古文書解読と称し烏合するのですが、 『変化抄』を古文書の教科書にしながら、著者の廣蔭を、 文法も知らず古文書を読もうとする日東駒専、大東亜帝国の受験生にも劣る己の自己弁護の募って、 「廣蔭自体が文法を知らない」と良くも自らを棚に上げて何の口が、と思わされるのも、 「国学者として評価が低い」だの、貴方様は何処ぞの何方様ですか、と思わされるのも、 上の学者連が竹村廣蔭及び『変化抄』に確たる意見も持てず曖昧に口を濁しているのを得意な顔で受け売りしていれば、 全く貧しい研究状況の底辺に於ける露見が見られ、些か寂しさに嘆かれもし、与太評とは言え廣蔭の不当な低評価を是正したい気持ちも相俟って、 何某か当該関係研究に役立ちたいとの思いは漸う強まりました。
『国歌大観』
『国歌大観』なる書物があります。 松下大三郎、渡辺文雄の両者に20世紀初頭に編まれて国文学に於ける和歌研究史に画期的な成果を齎しました。 其の肯綮こそ、通し番号「国歌大観番号」に有ります。 本邦に周知された古歌に通し番号を振り、古歌検索に多大な便宜を齎したのでした。 昨今のインターネットに検索エンジンが必要不可欠であるのを見れば如何に重大事かが知れるでしょう。
当該番号を以て複数の異なる研究者間で和歌の正確な特定が可能になりました。 彼我の研究者で主張する処の和歌の齟齬がなくなったのです。 論文を参照するにしても「国歌大観番号」に拠れば立ち所に目的とする和歌に辿り着ける様になったのです。 然るべき識者の言及する和歌にも迷い無く、自ら主張を欲する和歌も間違い無く、人に伝えるのが可能になったのでした。 土台、本来目的とする研究に於いて研究対象となる和歌を一々求める度に資料を漁るのでは時間の浪費でしか有りません。 其の様な状況は、整理整頓の苦手な向きが出掛け前に探し物に気持ちを急かれるのと一般で、好ましい筈が有りません。 賀茂真淵と本居宣長も「国歌大観番号」が有ればさぞかし喜んで書簡の遣り取りに活用したでしょう。 整理を研究の要諦と考える自らには尚更其の価値が重く感じられます。
『変化抄』項目通し番号
上に挙げた『浜松市史史料編四』は昭和36年11月1日に発行された書物にて『変化抄』の活字翻刻が掲載されています。 此の活字翻刻に加えて『変化抄』は原文が上記の如くデジタルアーカイブにて閲覧出来ますから、 原文と先学との翻刻を並べ突き合わせが可能です。 然も、『変化抄』原文は竹村廣蔭の手に仍る一筆の書ですから、 次第に同人の癖にも慣れ、読み取りがし易くなれば、古文書学習にも中々に得難い最適の環境が整うでしょう。
斯くの如き貴重な『浜松市史史料編四』には嬉しいことに別効能があります。
『国歌大観』と同様、177項目に通し番号が振られているのです。
研究に於いて無駄な手間を省こうと言う研究者の
- 御鍬様のこと(390)
- 馬持のこと(390)
- 文化元年比圦のこと(390)
- 家作高値のこと(391)
- 入野川魚類減少のこと(391)
- 入野川名物並に風景のこと(391)
- 麥刈後裨植付のこと(392)
- 農家家作のこと(392)
- 氏紳御祭禮のこと(392)
- 薩摩芋のこと(392)
- 女子前掛のこと(393)
- 袖無羽織並に浅黄頭巾のこと(393)
- 丼のこと(393)
- 草堂畑並に大平畑のこと(393)
- 小前祝儀のこと(393)
- 枕並に椀のこと(394)
- 黒椀のこと(394)
- 衣類のこと(394)
- 白襦衫白股引のこと(395)
- 髪結のこと(395)
- 富野新田植付のこと(395)
- 高機のこと(395)
- 義親新佛の節不祝儀のこと(395)
- 男髪互結のこと(396)
- 籾揃のこと(396)
- 苗の蒔方のこと(396)
- 大念佛のこと(397)
- 猪かこひのこと(397)
- 萬八蒸籠のこと(397)
- 文政二年米價下落のこと(398)
- 窓戸鍬のこと(398)
- 凧糸入の籠のこと(398)
- 櫛笄のこと(398)
- 馬子唄のこと(398)
- 竿歌のこと(399)
- 丈長のこと(399)
- 肩掛のこと(399)
- 濱松菓子司のこと(399)
- 富塚紙漉のこと(400)
- 鰻掻のこと(400)
- 腰挟銭入のこと(401)
- 男女賃銭のこと(401)
- 早稲並に奥于のこと(401)
- 櫃手桶類の脚のこと(401)
- 圦樋のこと(401)
- 塗盃のこと(402)
- 蜆塚村貝塚のこと(402)
- 墓参灯燈のこと(402)
- 轆轤のこと(403)
- 自在鍵のこと(403)
- 濱茶のこと(403)
- 家屋移築のこと(403)
- 三ッ山景勝のこと(404)
- 佐鳴の浦をつゝれる詞(403)
- 脇差のこと(407)
- 臼引のこと(407)
- 狂言芝居のこと(407)
- 踏臼のこと(407)
- 藻苅のこと(408)
- 落鰻のこと(408)
- 餾漁のこと(408)
- 白魚漁のこと(408)
- 籾種入田なへのこと(409)
- 富野新田手切のこと(409)
- 紀州膳のこと(409)
- 湯屋のこと(410)
- ひよんどりのこと(410)
- 羽織のこと(410)
- 蜆採のこと(410)
- こむろきひしやうのこと(410)
- あおりのこと(411)
- 籾種萠し方のこと(411)
- 草履下駄のこと(411)
- 男帯のこと(411)
- 入野茶のこと(412)
- はむてんのこと(412)
- 瓢箪のこと(412)
- 帯巾のこと(413)
- 文政十一年出水のこと(421)
- 廣蓋並に大平のこと(413)
- 着物の色のこと(413)
- 入野子供花賣のこと(414)
- 下女髪結のこと(414)
- 紙入のこと(414)
- 女すそよけのこと(414)
- 石垣のこと(415)
- 麥打のこと(415)
- 田植付曰數のこと(415)
- すかひのこと(413)
- 戸障子のこと(415)
- 手塩皿その他角物皿のこと(416)
- 御蔭参りのこと(416)
- 秋葉山常夜燈のこと(416)
- いなのこと(417)
- 鐵瓶のこと(417)
- 風呂敷包のこと(417)
- 宇布見村藻賣のこと(417)
- 縣居翁靈社碑銘のこと(418)
- 飯櫃掛のこと(418)
- 野布施のこと(418)
- 泥亀のこと(419)
- 味よきものをうまし、おいしと言うこと(419)
- 天保八年飢饉扶食のこと(419)
- はぜ漁のこと(420)
- 着物の裏の色のこと(420)
- 下女下男の笠のこと(420)
- 股引のこと(420)
- 爐のこと(421)
- 棧留織のこと(421)
- 出生兒の手の開き具合のこと(421)
- 木綿合羽並に引廻しのこと(421)
- 凧の地色のこと(422)
- 砂糖作りのこと(422)
- 彦尾茶摘のこと(422)
- 和地山ご掻きのこと(422)
- 南平井戸始のこと(423)
- 父母兄姉の呼び方のこと(423)
- 線香酢醤油、溜り製造のこと(423)
- 舞坂海苔始のこと(424)
- 堀谷村石灰燒のこと(425)
- 長澤村靈泉のこと(425)
- 江戸城西御丸炎上のこと(425)
- 稗植付のこと(425)
- 麥蒔付刈入のこと(426)
- 豆腐屋のこと(426)
- 若者念佛のこと(426)
- 黒砂糖並に藺作りのこと(427)
- 小澤渡村音羽松のこと(427)
- 美園の松のこと(428)
- 女帯巾のこと(428)
- 蕎麥苅取のこと(428)
- 照降傘のこと(428)
- 男兒前掛け並に鐵砲襦袢のこと(429)
- 日傘のこと(429)
- 着物の身巾襟巾のこと(429)
- 半纒羽織並に池町秋葉鳥居のこと(429)
- 盗人半纒のこと(430)
- 指下駄並に駒下駄のこと(430)
- 長繩並に鳥捕のこと(430)
- 中抜の藤倉草履のこと(430)
- 番小屋のこと(431)
- 衣類等支度賄のこと(431)
- 着物の襟のこと(431)
- 江戸城本丸炎上のこと(432)
- 宇治茶のこと(432)
- 風呂敷背負方のこと(432)
- 西鴨江橋のこと(432)
- 女ゆもじのこと(433)
- 綿打のこと(433)
- 下作人気強くなりし時勢のこと(433)
- 織屋始のこと(434)
- 茶摘みのこと(434)
- 塗笠のこと(435)
- 羽織の丈のこと(435)
- 女髪結のこと(435)
- 女子風俗のこと(435)
- 湯桶のこと(436)
- 地築のこと並に西鴨江花學浣建立のこと(436)
- 嘉永三年秋大水のこと(436)
- 正月破魔弓手まり等高値のこと(436)
- 中通り重立家六ヶ敷なりしこと(437)
- 前掛にて相對のこと(437)
- 弘化三年ぶつ潰しのこと(437)
- 兎狩りのこと(437)
- 宇布見の藻のこと(438)
- 日雇賃のこと(438)
- 舞坂新田開發に付當村田面水腐のこと(438)
- 雨具に蓙を用ひること(439)
- 大豆作のこと(439)
- 牛痘並に新種痘のこと(439)
- 瀬林難場のこと(442)
- 當村悪水吐堀割のこと(442)
- 僧侶風儀等のこと(443)
- 異國船到来のこと(445)
- 嘉永七年並に安政二年大地震のこと(445)
- 安政二年地震濱松並に近在被害のこと(448)
- 當村高部春庵念佛を諸人へすすむること(449)
通し番号
此の『国歌大観』に新情報が盛り込まれるべく見直された『新編国歌大観』について聞き及ぶに耳を疑う事態が有りました。 通し番号「国歌大観番号」とズレが生じていると言うのです。 使用者の便宜上有り得べからざる事態です。
「通し番号」と言えば些か誤解を招きます。
詳細を説明するに「通し番号」とは換言すればデータベースに於ける「ID」です。
当世充分普及したインターネットでSNSやネットショップにログインするのに必要な「ID」と一般です。
SNSやネットショップではID及びパスワードを以て本人確認の用に足します。
「
恐らくは「新編国歌大観番号」では余程情報工学、コンピュータ科学に於いては疎い向きが番号を振ったのでしょう。 ITに暗い向きには致し方のないことかも知れません。 恐らくは「国歌大観番号」を「通し番号」として考え、連番であることに重きを置いたのでしょう。 情報の整理に「通し番号」を用いるのは全く当然の行為で、 代表的なデータベースシステム「MySQL」でさえ、「AUTO_INCREMENT」なる自動連番機能を有します。 しかし「通し番号」で有れば、情報が途中に追加されればズレが生じるのは理の当然です。 「通し番号」と言う字面ならではの特徴も誤解を孕み易く、 「新編国歌大観番号」に於ける問題を生んでしまったのは無理からぬ事情だったのかも知れません。 「通し番号」は本来自然数ですので自然とユニーク性を帯びます。 自然数は重複が無いからです。 従ってこそ他社間の通信に此の「通し番号」を用いて当該歌を指示すれば互いに齟齬が生まれないのでした。 併し、一旦情報に拡張を含めようとすると問題が発生し易いのはデータベースに於けるスケールと一般でしょう。 現在のデータベースシステムでさえ重複無く連番を振るのは中々に至難事なのです。 「通し番号」と言うと子供の用事にも捉えられ兼ねず容易な仕事だと考えられ勝ちなのですが、決して其の様なことは無いのです。 此の事情を鑑みて本記事にも「通し番号」なる語彙を用いて事情を説明しようと目論んだのでした。
『浜松市史史料編四』の事情
今に「浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」[※1]が『変化抄』の「解題・説明」として記載する文章は、
上にも記した様に『浜松市史史料編四』の「解題」として活字翻刻の前に記載されている文章の転載です。
此の「解題」からは研究の遅れを読み取れると共に、供与を受ける後学への期待も示されている様に感じ取れます。
『浜松市史史料編四』の「あとがき」には謝辞が送られるべき人名と共に記載されていますが、
『高林方朗の研究』をものした小山正氏や、『濱松風土記』を著した会田忠氏など、
浜松の郷土史を齧った自身には著書も拝読するお馴染みです。
又「特に市史編さん顧問として御懇篤な御指導を賜り、校訂を仰いだ、東京大学教授・東京大学史料編纂所長坂本太郎先生」と有る
坂本太郎
は其れこそ特に自身が
彼等先学が、実に有難く有用な仕事を果たしてくれた『浜松市史史料編四』は、実は問題も孕んでいます。 廣蔭自身が「変」字を用いているにも関わらず『浜松市史史料編四』には『變化抄』と「變」字が使われているのは、 昭和36年と言う活字の改刻出来以前の状況が影響しているでしょうので今は考えませんが、 其れより先ずは単純に、誤字、脱字、衍字、落丁が目立つのです。 此れは〆切の有って印刷されれば後の修正の効かない従来の書籍には無理もないのかも知れません。 誤字、脱字、衍字は此処では問題は招かれませんが、落丁については直接「通し番号」に悪影響を及ぼします。
又、『変化抄』原文には竹村廣蔭が自ら項目立てした「◯」が付されています。 『浜松市史史料編四』では基本的にこの「◯」が頭に付された一纏りの文章を項目として「通し番号」を振っているものと見られますが、 此の原則から外れる部分が有るのです。 原文と『浜松市史史料編四』を突き合わせてみれば、 恐らくは意味上一纏りに見られる項目は複数の「◯」を同じ「通し番号」下の項目とするものも有れば、 同じ「◯」項目内にも割注や小書きを別項目として別の「通し番号」を振っているものも有ります。
「通し番号」の方針
此処に於いて『変化抄』に「通し番号」を新たに振る仕事は有用な仕事と考えます。 此の際、「ID」を細かく宛てがえば宛てがう程、異なる他者間での箇所の特定は容易になりますが、 行き過ぎては形態素解析になり兼ねません。 「◯」の付された文章を一纏りとして扱うことは、著者の意志に沿うものと考えられます。 又、「◯」を基本的単位として扱うことは、先学の『浜松市史史料編四』編者の意図の継承ともなるでしょう。 同時に落丁部分の「◯」の付された文章には然るべき「ID」が必要で有るのは論を俟ちません。 「ID」としてならば「数字」に拘る必要は有りませんが、『浜松市史史料編四』編者の意図の継承と言う意味でも、 「通し番号」が直感的に「ID」を他者に汲み取らせる属性を有することからも「数字」を採用すべきと考えます。 此処に新「ID」は数字を以て宛てがうことを決定します。
扨、併し前述した通り「通し番号」を振るのは中々の難事です。 加えて『変化抄』に於いては『新編国歌大観』の其の轍を踏みたく有りません。 而して『浜松市史史料編四』の「通し番号」が其の儘に流用出来る要請が有ります。 問題は那辺に有るか、今一度考えてみれば「連番」に有るのは上の「通し番号」に章立てして詳細を説明しました。 不用意な「連番」こそ誤謬を孕む可能性を極めて高めます。 また「ID」には「連番」である必要性も有りません。 此処で「連番」には必要以上に拘らないことを一大方針とすることを決定します。
『浜松市史史料編四』に於いては一巻巻頭の廣蔭自序となる「変化抄端書」と、 二巻の最後に位置し特別な項目立てもないものの跋文と考えて宜しい文章には「あとがき」として、 「通し番号」を振っていません。 又、事情は不明なので此処では「落丁」としておきますが、 二巻巻頭言はすっぽり抜け落ちていますので当然「通し番号」は有りません。 此れらは通常特別な文章と位置付けられますので、自然な処置とも言えますし、 他者間で任意の箇所の特定に不便もないでしょうが、 今回新しく「通し番号」を振る作業に於いては、しかし特別扱いはせず特定の数字を付与します。
上記と関連して特別な文章には特別な通し番号を振りたくなります。 例えばレースなどではレース中に振られるゼッケンは大抵は前年度の成績を元にしており、 即ちゼッケン1番がディフェンディング・チャンピオンとなっていますが、 国内レースに世界チャンピオンが特別参戦する場合など「01」が振られることが有ります。 又、野球に於いても「0」や「00」、「0」の後に特定の数字を振って背番号とするケースが有ります。 即ち、例えば『変化抄』に於いても既に用いられている「1」との重複を避ける為に、 「変化抄端書」に「0」番を、あとがきに「00」番を、二巻巻頭言に「01」番を振りたくなりますし、 一旦は今回も採用と考えましたが、扱い上不具合も多く、採用を見送りました。 既に『浜松市史史料編四』に振られている「通し番号」は自然数しか用いていません。 今回の「通し番号」に於いても自然数に限定することを決定します。 従って今回「連番」に重きを置いて一時は採用を検討した、 例えば「170.1」「170.2」などの小数点は自然と却下されます。
「通し番号」の系列
不採用を決定した「0」で始まる番号ですが、此れは一つの系列として考えられます。 「変化抄端書」に「0」番を、あとがきに「00」番を、二巻巻頭言に「01」を振れば、 他に抜け落ちている項目に順に「02」「03」と振ることが出来ると言う意味です。 小数点も一つの系列と考えられるでしょうし、「系列」とは人の補足を容易にする数の「まとまり」と捉えて宜しいでしょう。 連番には拘りませんから、すると今回自然数に於いて別系列を採用すれば宜しい筈です。 『浜松市史史料編四』に用いられている自然数は1から177の177箇であり、 3桁の自然数が用いられていると言うことは即ち 「1〜100」と「101〜200」の2系列が用いられていると考えられます。 次に採用するのは「201〜300」が自然ですので、此れを今回採用します。
プログラミングのナンバリングに屡々用いられる手法ですが、
最初から「通し番号」には「10、20、30…」と振ることが有ります。
プログラムの改訂に於いて、行の途中に挿入が必要になるのは屡々ですので、
その際は「15」、「25」、又の改訂には「13」、「23」などと振ったりします。
即ち下一桁は
後学が必要に駆られて「通し番号」を更新することも有るのは必然です。 「0」番系列を採用しないのも其処に有りました。 系列が増やし難いからです。 今回、第一回の改訂に200番系列を用いるならば、次回は301番系列が採用可能となり、 以降も401番系列、501番系列が採用可能となる上に、其れらは全て自然数であると言う塩梅です。
新「通し番号」必要項目の列挙
以上を以て「通し番号」を新たに振るのを実践してみたく思いますが、 其れには先ず、原文と突き合わせた上での『浜松市史史料編四』の不足分を全て挙げなければいけません。 此処迄で既に「二巻巻頭言」の抜けを指摘しました。 併せて前記した様に、文頭に「◯」の付与されたものを、別項目扱いとしたもの、 更には落丁と思しき項目を加えて列挙一覧を以下に、上記規則を鑑みた「通し番号」と共に記します。
- 変化抄端書(P387/特/DA2左)
- 変化鈔巻第二巻頭言(抜/特/DA43左)
- 天保十年希なる旱魃のこと(抜/126.1/DA52右)
- 続牛痘並に新種痘のこと(P440/170.1/DA65左)
- 続々牛痘並に新種痘のこと(P441/170.2/DA66左)
- 続僧侶風儀等のこと(抜/173.1/DA72左)
- 続々僧侶風儀等のこと(抜/173.2/DA73左)
- 伊賀上野地震(抜/173.3/DA74左)
- 続異國船到来のこと(抜/174.1/DA75右)
- 続嘉永七年並に安政二年大地震のこと(P446/175.1/DA77右)
- 続安政二年地震濱松並に近在被害のこと(P448/176.1/DA79右)
- 世の中奢に変化致すこと(抜/178/DA84右)
- 仏法変化堕落して無戒破戒のこと(抜/179/DA85左)
- 平田仏道大意に仏教を見破ること(抜/180/DA85左)
- 仏道本国の天竺に亡びたること(抜/181/DA86左)
- 日本の仏法延命のこと(抜/182/DA87右)
- 太子と馬子仏法を弘めること(抜/183/DA88右)
- 太子と馬子子孫衰亡のこと(抜/184/DA89右)
- 平田釈迦の化けの皮を剥ぐこと(抜/185/DA89左)
- あとがき(『浜松市史史料編4』)(P449/特/DA90左)
「通し番号」の次には題目を記してあります。 題目の後の括弧内は三属性を記しており、 一番左は『浜松市史史料編4』の掲載頁数、掲載の無いものは「抜」とし、 当該項目の題目は便宜上独自に新たに用意しました。 220番の「あとがき」は跋文として特別の位置を占めるのは『浜松市史史料編4』が「通し番号」を振っていないのに明らかで、 『浜松市史史料編4』が項目名を立てているのは他と同様ですが、原文に記載が無いのを明確にする為に括弧付きで (『浜松市史史料編4』)と記入して有ります。 次の属性は連番を重要視した場合、原文に於いて順序が逆転しない様に参考の為に振ったもので、 従って小数点を用いざるを得ない項目も有ります。 此処では序文、跋文に『浜松市史史料編4』では「通し番号」が振られていませんので、 巻第二巻頭言と併せて「特」としてあります。 括弧内の最後は原文の掲載箇所を示すもので本来何丁の「オ/ウ」としたい所ですが、 原文の元としている「浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」に正確な丁合いの記載が無い為、 記載されている数字を其の儘利用し「デジタルアーカイブ」の意で「DA」を冠し、 当該見開きの「右」か「左」かを併せて記しており、当然ながら此の属性は抜けが有りません。
改訂『変化抄』項目通し番号
『変化抄』項目通し番号に新「通し番号」必要項目の列挙した一つ一つを、 原文の順序に従い挿入したものが以下の改訂『変化抄』項目通し番号になります。
- 変化抄端書(P387/DA2左)
- 御鍬様のこと(P390/DA8左)
- 馬持のこと(P390/DA9右)
- 文化元年比圦のこと(P390/DA9右)
- 家作高値のこと(P391/DA9左)
- 入野川魚類減少のこと(P391/DA9左)
- 入野川名物並に風景のこと(P391/DA9左)
- 麥刈後裨植付のこと(P392/DA10左)
- 農家家作のこと(P392/DA10左)
- 氏紳御祭禮のこと(P392/DA10左)
- 薩摩芋のこと(P392/DA11右)
- 女子前掛のこと(P393/DA11右)
- 袖無羽織並に浅黄頭巾のこと(P393/DA11右)
- 丼のこと(P393/DA11右)
- 草堂畑並に大平畑のこと(P393/DA11左)
- 小前祝儀のこと(P393/DA11左)
- 枕並に椀のこと(P394/DA12右)
- 黒椀のこと(P394/DA12左)
- 衣類のこと(P394/DA12左)
- 白襦衫白股引のこと(P395/DA13右)
- 髪結のこと(P395/DA13右)
- 富野新田植付のこと(P395/DA13右)
- 高機のこと(P395/DA13左)
- 義親新佛の節不祝儀のこと(P395/DA13左)
- 男髪互結のこと(P396/DA13左)
- 籾揃のこと(P396/DA14右)
- 苗の蒔方のこと(P396/DA14左)
- 大念佛のこと(P397/DA14左)
- 猪かこひのこと(P397/DA14左)
- 萬八蒸籠のこと(P397/DA15右)
- 文政二年米價下落のこと(P398/DA16右)
- 窓戸鍬のこと(P398/DA16右)
- 凧糸入の籠のこと(P398/DA16右)
- 櫛笄のこと(P398/DA16右)
- 馬子唄のこと(P398/DA16右)
- 竿歌のこと(P399/DA16左)
- 丈長のこと(P399/DA16左)
- 肩掛のこと(P399/DA17右)
- 濱松菓子司のこと(P399/DA17右)
- 富塚紙漉のこと(P400/DA17左)
- 鰻掻のこと(P400/DA18右)
- 腰挟銭入のこと(P401/DA18右)
- 男女賃銭のこと(P401/DA18左)
- 早稲並に奥于のこと(P401/DA18左)
- 櫃手桶類の脚のこと(P401/DA18左)
- 圦樋のこと(P401/DA19右)
- 塗盃のこと(P402/DA19右)
- 蜆塚村貝塚のこと(P402/DA19左)
- 墓参灯燈のこと(P402/DA20右)
- 轆轤のこと(P403/DA20右)
- 自在鍵のこと(P403/DA20右)
- 濱茶のこと(P403/DA20左)
- 家屋移築のこと(P403/DA20左)
- 三ッ山景勝のこと(P404/DA21右)
- 佐鳴の浦をつゝれる詞(P403/DA22左)
- 脇差のこと(P407/DA25左)
- 臼引のこと(P407/DA25左)
- 狂言芝居のこと(P407/DA25左)
- 踏臼のこと(P407/DA25左)
- 藻苅のこと(P408/DA26右)
- 落鰻のこと(P408/DA26左)
- 餾漁のこと(P408/DA26左)
- 白魚漁のこと(P408/DA27右)
- 籾種入田なへのこと(P409/DA27右)
- 富野新田手切のこと(P409/DA27右)
- 紀州膳のこと(P409/DA27左)
- 湯屋のこと(P410/DA28右)
- ひよんどりのこと(P410/DA28右)
- 羽織のこと(P410/DA28左)
- 蜆採のこと(P410/DA28左)
- こむろきひしやうのこと(P410/DA29右)
- あおりのこと(P411/DA29右)
- 籾種萠し方のこと(P411/DA29右)
- 草履下駄のこと(P411/DA29左)
- 男帯のこと(P411/DA29左)
- 入野茶のこと(P412/DA30右)
- はむてんのこと(P412/DA30左)
- 瓢箪のこと(P412/DA30左)
- 帯巾のこと(P413/DA31右)
- 文政十一年出水のこと(P421/DA31左)
- 廣蓋並に大平のこと(P413/DA31左)
- 着物の色のこと(P413/DA31左)
- 入野子供花賣のこと(P414/DA32右)
- 下女髪結のこと(P414/DA32右)
- 紙入のこと(P414/DA32右)
- 女すそよけのこと(P414/DA32左)
- 石垣のこと(P415/DA32左)
- 麥打のこと(P415/DA33右)
- 田植付曰數のこと(P415/DA33右)
- すかひのこと(P413/DA33左)
- 戸障子のこと(P415/DA33左)
- 手塩皿その他角物皿のこと(P416/DA33左)
- 御蔭参りのこと(P416/DA34右)
- 秋葉山常夜燈のこと(P416/DA34左)
- いなのこと(P417/DA34左)
- 鐵瓶のこと(P417/DA35右)
- 風呂敷包のこと(P417/DA)
- 宇布見村藻賣のこと(P417/DA36右)
- 縣居翁靈社碑銘のこと(P418/DA36右)
- 飯櫃掛のこと(P418/DA36右)
- 野布施のこと(P418/DA36左)
- 泥亀のこと(P419/DA36左)
- 味よきものをうまし、おいしと言うこと(P419/DA37右)
- 天保八年飢饉扶食のこと(P419/DA37右)
- はぜ漁のこと(P420/DA37左)
- 着物の裏の色のこと(P420/DA37左)
- 下女下男の笠のこと(P420/DA38右)
- 股引のこと(P420/DA38右)
- 爐のこと(P421/DA38左)
- 棧留織のこと(P421/DA38左)
- 出生兒の手の開き具合のこと(P421/DA39右)
- 木綿合羽並に引廻しのこと(P421/DA39右)
- 凧の地色のこと(P422/DA39右)
- 砂糖作りのこと(P422/DA39左)
- 彦尾茶摘のこと(P422/DA39左)
- 和地山ご掻きのこと(P422/DA40右)
- 南平井戸始のこと(P423/DA40右)
- 父母兄姉の呼び方のこと(P423/DA40左)
- 線香酢醤油、溜り製造のこと(P423/DA40左)
- 舞坂海苔始のこと(P424/DA42右)
- 堀谷村石灰燒のこと(P425/DA42左)
- 長澤村靈泉のこと(P425/DA43右)
- 変化鈔巻第二巻頭言(抜/DA43左)
- 江戸城西御丸炎上のこと(P425/DA50左)※123小書き
- 稗植付のこと(P425/DA50左)
- 麥蒔付刈入のこと(P426/DA51右)
- 豆腐屋のこと(P426/DA51右)
- 若者念佛のこと(P426/DA51左)
- 天保十年希なる旱魃のこと(抜/DA52右)
- 黒砂糖並に藺作りのこと(P427/DA52左)
- 小澤渡村音羽松のこと(P427/DA53右)
- 美園の松のこと(P428/DA53左)
- 女帯巾のこと(P428/DA54右)
- 蕎麥苅取のこと(P428/DA54右)
- 照降傘のこと(P428/DA54右)
- 男兒前掛け並に鐵砲襦袢のこと(P429/DA54左)
- 日傘のこと(P429/DA54左)
- 着物の身巾襟巾のこと(P429/DA55右)
- 半纒羽織並に池町秋葉鳥居のこと(P429/DA55右)
- 盗人半纒のこと(P430/DA55左)
- 指下駄並に駒下駄のこと(P430/DA55左)
- 長繩並に鳥捕のこと(P430/DA56右)
- 中抜の藤倉草履のこと(P430/DA56右)
- 番小屋のこと(P431/DA56右)
- 衣類等支度賄のこと(P431/DA56左)
- 着物の襟のこと(P431/DA57右)
- 江戸城本丸炎上のこと(P432/DA57右)※143割注
- 宇治茶のこと(P432/DA57右)
- 風呂敷背負方のこと(P432/DA57左)
- 西鴨江橋のこと(P432/DA57左)
- 女ゆもじのこと(P433/DA58右)
- 綿打のこと(P433/DA58左)
- 下作人気強くなりし時勢のこと(P433/DA58左)
- 織屋始のこと(P434/DA59左)
- 茶摘みのこと(P434/DA60右)
- 塗笠のこと(P435/DA60左)
- 羽織の丈のこと(P435/DA60左)
- 女髪結のこと(P435/DA60左)
- 女子風俗のこと(P435/DA61右)
- 湯桶のこと(P436/DA61左)
- 地築のこと並に西鴨江花學浣建立のこと(P436/DA61左)
- 嘉永三年秋大水のこと(P436/DA61左)
- 正月破魔弓手まり等高値のこと(P436/DA62右)
- 中通り重立家六ヶ敷なりしこと(P437/DA62右)
- 前掛にて相對のこと(P437/DA62左)
- 弘化三年ぶつ潰しのこと(P437/DA62左)
- 兎狩りのこと(P437/DA62左)
- 宇布見の藻のこと(P438/DA63右)
- 日雇賃のこと(P438/DA63左)
- 舞坂新田開發に付當村田面水腐のこと(P438/DA63左)
- 雨具に蓙を用ひること(P439/DA64右)
- 大豆作のこと(P439/DA64左)
- 牛痘並に新種痘のこと(P439/DA64左)
- 続牛痘並に新種痘のこと(P440/DA65左)
- 続々牛痘並に新種痘のこと(P441/DA66左)
- 瀬林難場のこと(P442/DA67左)
- 當村悪水吐堀割のこと(P442/DA68右)
- 僧侶風儀等のこと(P443/DA69右)
- 続僧侶風儀等のこと(抜/DA72左)
- 続々僧侶風儀等のこと(抜/DA73左)
- 伊賀上野地震(抜/DA74左)
- 異國船到来のこと(P445/DA74左)
- 続異國船到来のこと(抜/DA75右)
- 嘉永七年並に安政二年大地震のこと(P445/DA76右)
- 続嘉永七年並に安政二年大地震のこと(P446/DA77右)
- 安政二年地震濱松並に近在被害のこと(P448/DA79右)
- 続安政二年地震濱松並に近在被害のこと(P448/DA79右)
- 當村高部春庵念佛を諸人へすすむること(P449/DA80右)
- 世の中奢に変化致すこと(抜/DA84右)
- 仏法変化堕落して無戒破戒のこと(抜/DA85左)
- 平田仏道大意に仏教を見破ること(抜/DA85左)
- 仏道本国の天竺に亡びたること(抜/DA86左)
- 日本の仏法延命のこと(抜/DA87右)
- 太子と馬子仏法を弘めること(抜/DA88右)
- 太子と馬子子孫衰亡のこと(抜/DA89右)
- 平田釈迦の化けの皮を剥ぐこと(抜/DA89左)
- あとがき(P449/DA90左)
改訂『変化抄』通し番号の活用
以上にて、『浜松市史史料編4』の落丁と思われるについては「通し番号」を以て他者との意思疎通を図れる様になりました。 早速、通し番号を活用するに、誤字、脱字、衍字について、目に付く処を指摘してみましょう。 但し、正誤の判定し兼ねるものや、鼻から『変化抄』を誤記として正字に置き換えているものは省いて、 成る可く誤字の蓋然性が高そうなものに限定しています。 中には判別の難しい相似系のくずし字も見えますが、意味、脈略上から誤字の可能性が高いと判断したものを挙げています。 最初の数字が今回改訂した「通し番号」で、次が『浜松市史史料編4』の問題の有る文字を含む文字列、最後に当該修正文字列を記し、 誤字、脱字、衍字にはアンダーラインを施しています。 「―」を記したものは対応する小書きが丸々抜けていることを示します。
猶、『浜松市史史料編4』の「例言」には 「編さん者の記入にかかる傍注は、すべて上下に( )を施し」、 「原文に欠損文字ある場合には□を挿入し」、 「断定を憚ったものは、傍注に( ヵ)の文字を添え」と有り、以下の列挙も其れに従います。 但し「(虫)」としてあるのものは記載が有りませんが、「虫食い」の意とは思われます。
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