司馬遷の史記が嚆矢となり本邦にては古事記、六国史が世に歴史を残さんとする行為の先鞭を告げるならば 漸く昭和に至りて勃興した木簡学なる全き新学問は歴史を考える上に最新の学問と言えるでしょう。 しかし此の新学問に依りて古事記、日本書紀は愚か今は散逸して正体不明の帝紀、旧辞の内容にも中るべき事実が明らかにされんとしています。 その開始は1979(昭和54)年、相次いだ大規模な木簡の発掘に木簡学会が設立されました。 以後10年を経る毎に、1989年には『日本古代木簡選』、 1999年には『日本古代木簡集成』と当該学会編の書籍が記念事業として刊行され 其れ迄研究者向けであった此の刊行物も遂に2009(平成21)年設立満30周年を迎えて門戸を広げた読者向けに刊行されたのが 本記事で書評を物する『木簡から古代がみえる(岩波新書)』(以下、本書)です。
木簡学会設立を遡ること18年、本邦に初めて木簡が木簡として発見せられたのが1961年1月24日の午後2時頃のことでした。
場所は平城宮跡第五次調査発掘現場(
斯くして設立された木簡学会の幸運は初代会長の岸俊男氏が歴史学者としての参加でありながら高度の考古学者としての素養を備えていたのにあるかに思います。 本書には木簡学会発足と同時に創刊された機関誌木簡研究の創刊号に寄せられた岸氏の 創刊の辞 の大部を当該章執筆者の和田萃氏が引用したのも、 此の文章に考古学的な 眼 があると主張するためでした。 和田氏は1966年藤原宮跡調査を共にした際、岸氏のお子さんがたまたま届けものに訪れたとき 自身も父である法隆寺五重塔心礎調査などに関わった建築学者岸熊吉氏に届けものをした経験を洩らすのを耳にし 恐らく其のときの作業手伝いが考古学的素養の養われた要因であったのではないかと推測します。 ともあれ此の僥倖を得て木簡研究では只に釈文に偏ることなく例えば今でも1966年の奈良県教育委員会による藤原宮跡の発掘調査の成果に出土した内にも 木簡の数十倍に及ぶ墨書のない木簡状木片も全て橿考研の収蔵庫に保管してあり、研究に何時でも利活用できるようになっていると述べます。 また123頁には李成市氏もこの創刊の辞の一部を引用しており 斯うして30周年記念事業書籍の各所に引用されているのは設立30年を経てなお岸氏の理念が木簡学会に脈々と受け継がれているのを示すものでしょう。
最重要木簡発見二事例
本書に其れが木簡発見史上最重要事と思われるのは上記しもした 最初の木簡 の発見、そして 長屋王家の木簡 の発見と言えるでしょう。 其れは本書の執筆者が15人ある中で前者は4人、後者は3人が触れ得ぬではおけぬ程であるのに伺えます。
最初の木簡の発見は1961年1月24日の午後2時頃、
平城宮跡内の北寄り、ちょうど2010年4月に復元された
長屋王家木簡は木簡が広く周知されるようになった契機と言えます。
1988年8月末、奈良市役所の西方域のデパート建設予定地での発掘調査に於いて
井戸やゴミ捨て用の溝状の土坑から約3万5千点にも及ぶ木簡が出土したのでした。
中に
長屋親王宮鮑大贄十編
と記す木簡があり左大臣長屋王の邸宅であることが判明したのでした。
長屋王は天武天皇の皇孫にて続日本紀には長屋王とあるにも関わらず出土した木簡には長屋親王と記されており
また当時切っての上流貴族ですが其の生活実態は律令条文くらいしか参考に供せる資料がなかった状況に
平城京内では発掘調査で邸宅の主人が判明した稀有の事例として其の家政運営に関わる内容の大量の木簡群が出現したのですから
此の衝撃もまた大きく従って世に広く報道されたのでした。
加えて長屋王邸に隣接する二条大路の南北両路肩に掘られた濠状遺構からも二条大路木簡と称す約7万4000点にも及ぶ木簡群が出土しており、
都合約11万点もの木簡の分析から従来史書に依るだけでは知り得ない事柄が続々と判明する様子は本書を読むだけで痛快です。
長屋王家については上記の如く其の家政の事務遂行の状況、果ては勤め人の勤務評定なども伺え、
律令制下にも大土地所有者は存続し其の経営手法から奈良時代の権力構成に大きく作用する上流貴族個々の地方豪族との関係も伺い知れます。
長屋王邸には藤原不比等の女以外の妻妾子女が居住していたと考えざるを得ない様子も伺え従来の婚姻史との照合が求められる状況も出来しました。
其の妻妾子女の起居したのは邸宅西区画の
西宮
であれば奈良時代が平安時代の当該区画
木簡発見ダイジェスト
実は木簡は最初の発見以前にもなされています。
海外では20世紀初めには中国西域で漢、晋代の
時期 | 名称(発掘場所) | 概要 |
1928年 | ||
1930年 | 秋田県 | |
1961年1月 | 平城宮跡出土木簡 | 最初の木簡の発見 平城京遷都の様子 |
1963年 | 内裏北外郭官衙 土坑SK820 | 木簡の広がりをほぼ網羅 2番目に重要文化財に指定 |
1966年1月 | 藤原宮跡出土木簡 | 郡評論争決着 |
1967年〜69年 | 北秋田市胡桃館遺跡 | 火山灰に埋もれた古代の村(日本のポンペイ) 37年後2004年解読段階的調査実施 |
1981年4月 | 野洲市上永原遺跡 | 歌舞伎忠臣蔵五段目山崎街道の場を示す木簡 |
1981年※ | 飛鳥石神遺跡 | 天武朝期に天皇号既に成立 |
1986年 | 大坂魚市場跡 | 魚屋店頭に魚名や値段が書かれている経木の原型 |
1988年8月 | 長屋王家木簡 ・二条大路木簡 | 広く木簡が世間に周知 |
1997年※ (1991年発見) | 飛鳥池工房遺跡 | 葛城地域の工人の所属遷移 |
上表からも木簡学が如何に新しい学問かが分かるでしょう。 また上表では特に本書に詳細の記された発見を挙げましたが他にも 大阪市の前期難波宮の下層遺構や桑津遺跡、奈良県桜井市の山田寺跡や上之宮遺跡、明日香村の坂田寺跡、徳島市の観音寺遺跡から出土した論語木簡など まだ発見数の少ない7世紀中葉前後の木簡の出土事例が紹介されています。 上表にも発掘日時が記されていたため挙げはしたものの本書には軽く紹介されるだけの 滋賀県野洲市の上永原遺跡出土の播州小屋掛け興行一行が近江に出向た際に配布した上演目録か散らしと思われる木簡や 今でも時々スーパーなどで見掛けるかも知れぬ値札の元祖でしょう大坂魚市場跡出土木簡、 また発掘時期は示されないものの 汐留遺跡出土の明治時代の荷札木簡や 執筆者の一人和田氏が知る範囲内で最も新しいとする徳島市の観音寺遺跡出土の 命札 と称す昭和30年代のものが木簡として扱われるのも意外にて 新しい木簡事例も紹介者の思惑通り一般には興味を惹かれるものと思います。
木簡の重要さ、有効性を鮮やかに示した事例
木簡が歴史を書き換えた最も端的な事例として
藤原宮跡出土木簡
を先ず挙げて宜しいのではないでしょうか。
地方行政区画の名称である
最初の木簡の発見の分析からは平城京遷都の様子が伺い知れます。 続日本紀を閲するだけでは疑義の発っせられる遷都の経緯について 先ず第一は和銅3(710)年の元日朝賀の儀は、藤原宮で行われたのかそれとも平城宮でのことだったのか、 という疑問には710年3月という正に遷都が行われた月に作成され、 税物に結び付けられ伊勢を出発し平城宮に運ばれた木簡から平城宮ではなく藤原宮で行われたことが導かれます。 次に何故僅か2年という短期間で遷都が実現したのかという疑問には藤原宮の大極殿と平城宮の大極殿が同規模であり、 瓦が転用されていた発掘上の事実から710年元日の使用後に解体して平城宮へ移築したこととなるのですが、 其の完成は715(和銅8、霊亀元)年の元日朝賀の儀迄であり、 大極殿は宮内で最も重要な建物であったがその完成は遅れ天皇の居住や日常政務に支障がなくなった段階で遷都したのだと推察されます。 儀式の場は暫くはなくても構わなかったことや遷都以降も造営工事は継続されたこと、 即ち新都は時間を掛けて漸う姿を顕にしていった当時の状況が木簡から浮かび上がったのでした。
世間に木簡の周知を促した長屋王家木簡からは
光明皇后が自らを理由にして追い込まれた本人の屋敷邸跡地に
自らの皇后宮を営んだという続日本紀の語らない隠された事実が白日の下に晒され、木簡の価値を見せつけた好例と言えるでしょう。
また平安京では延喜式などから朱雀大路に柳並木があったこと知られていますが二条大路木簡からは
他にも 宮町遺跡こそ史跡紫香楽宮跡であることが判明し、 第一次大極殿の北側に、奈良時代後半になって大膳職が置かれ、 恵美押勝の乱に与した官人が官位をすべて剥奪する刑に処され、 長屋王家は飯と酒を売る店を経営し、 平安時代初頭にも当時の平城旧京の地が未だその余勢を維持していたなど、など 如何様豊かな平城京像は描かれたのは皆木簡発掘と其の後の研究に依る成果でした。 また天武朝期既に 天皇号 が成立していた証明となったのが飛鳥石神遺跡出土木簡です。 更には此の石神遺跡や飛鳥京跡からは行政組織として 天武13(648)年頃を境に サト の表記が 〜五十戸 から 〜里 に変化してことも明らかになったのは飛鳥の世なれば まだまだ古代の様子が木簡に依って此れからも明らかにされていくだろうと思わしめるのに充分でしょう。 7世紀中葉前後の木簡は 大阪は前期難波宮下層遺構や桑津遺跡、奈良は山田寺跡や上之宮遺跡、明日香村の坂田寺跡、徳島では観音寺遺跡から出土した論語木簡などに 未だ極く少数しか知られておらぬものから今後の発掘、研究成果が大いに期待されます。
地方木簡伊場遺跡出土木簡
木簡の出土は中央だけに限りません。 本書には地方木簡に多くの事例と共に紙幅もかなり割かれますが 此処では本記事執筆者が編著者の向坂鋼二氏に直接薫陶を受けまた起居しおります地域にもある伊場木簡を取り上げます。 下に載せる2図が本書に紹介される伊場木簡を向坂鋼二編著 伊場木簡 - 全国遺跡報告総覧 から引用した木簡図です。
左第三〇号図は現在全国各地で四点出土している
右第三九号図は 呪符木簡 です。 呪符木簡とは悪霊・邪神・災難から身を守り、また幸運を齎すと信じられている呪句を記したもので、 呪術のための符号、即ち 符籙 として 急急如律令 の呪句が墨書されていただろう盛り上がり残存部分が示されています。
本書刊行迄に全国から出土した木簡の総数は、約37万点にも達します。
地域的にみても木簡が出土していない都道府県は一つもないのだそうで
本書などを参考に自らの住居する地方で発掘された地方木簡を閲してみるのも楽しいのではないでしょうか。
本書には伊場遺跡木簡以外の地方木簡は勿論、
地方木簡以外にも歌木簡や東アジアの木簡文化など多様性に富んだ木簡世界も紹介され
また巻末のトピックには木簡なるものの数奇な運命を物語っているかの如き尾籠な話にはなりますが
木簡とは
本書に木簡を端的に一語で表している部分が2箇所見えるものと考えます。 一つは 木簡は基本的にゴミである であり、もう一つは 木簡はナマの史料である という言及です。 一見ネガティブに感じられるような言及を装いながら 歴史を捻じ曲げようとする作為の介入が全くないのを強く主張する意図が捉えられます。 屡々歴史資料は一次資料であっても研究者を戸惑わし迷わし謝らせる内容に満ちています。 特に古代史には正史に類するものしか見えず時の権力者の意図が含まれざるを得ません。 新学問たる木簡学は其のような乏しき環境に極々客観的な資料としての木簡を有用足らしむべく機能しているのです。 文字資料たる 史料 にも特に 出土史料 に分類される木簡は 文字資料であると同時に考古資料としての属性を有せば 誰の意図をも差し挟まない当時の状況を今有り有りと吾人の眼前に現出せしめるのでした。
荷札のデパートと称される程に諸国の多様な品目の荷札を含む 内裏北外郭官衙の土坑SK820の木簡1785点は1963年に発見されながら木簡として2番目の重要文化財に指定されたのは40年以上も経た2007年でした。 此の長年月に本邦木簡の資料としての特性が隠されていると本書はします。 即ち木簡は脆弱で取り扱いの困難な遺物なのです。 本書には此の脆弱な遺物の保存、保管法も記されています。 水漬け状態で発掘される木簡は水が失われれば元の形を保っておられず 実際に執筆者の一人が保管作業を実施した経験からは水漬け状態の木簡が安定するのに出土後数年を要するのだそうです。 日本の木簡を考えるとき忘れてはならない特徴でしょう。 従って木簡は発掘から内容が公開されるのにも時間が掛かり時には一般に公開され難い状況ともなるのを理解する必要があるでしょう。 但し本書には調査者に課された責務についても言及されます。 長きに渡り地中に在り放っておけばまた長きに渡り眠り続けたであろう資料の眠りを覚ましてしまった以上 万全の体制で後世に伝える必要があるのに加え其れ等の資料的価値を広く知って貰うべく 実物の広範囲での公開が不可能であるからには資料のもつ情報を可能な限り引き出して分かりやすい形で世に出すことこそ責務であるとされていますので 一般の研究者にも好事家にも慨嘆の必要はないものでしょう。
木簡とIT
斯く脆弱な木簡の保管には細心の注意が払われ、 従ってデータの蓄積と公開にはITが活用されるのも新時代の学問木簡学の面目躍如足り得るでしょう。 釈読、釈文検討には複数の目が注がれますが其の目は人間の目だけにあらずしてコンピュータの目も有効活用されているのだそうです。 調査検討が為され蓄積された知見はデジタルにも変換保管され一般に公開されてます。 本書には奈良文化財研究所が運営する 奈良文化財研究所木簡データベース が紹介されていますので興味のある向きは参照なされると宜しいでしょう。 本記事に紹介した 伊場木簡 - 全国遺跡報告総覧 も当該データベースに保管、公開されているものです。 向後更にITは木簡研究及び蓄積公開に利活用されていくものと思われます。
因みにデジタルアーカイブが活用される木簡の蓄積と公開ですが 本書にはまた脆弱性という木簡の遺物としての特質に起因して従来積極的に開催されてこなかった実物公開が 期間を限りながらも其の実施が一つの潮流になりつつあるとしています。 公開には夫々の展示条件に基づく制限が多いでしょうが広く実施されるようになることが望まれます。
木簡学会刊行事業
本書は新書の体裁を取る以上要約的にならざるを得ませんが 其れでも尚且つ木簡というものが読者に総括的に伝えられるべく工夫され また年毎に刊行された会誌などから伝達のための知見も蓄えられ30年を経て十分蓄えられた知見が一般にも伝え得る技量となって日の目をみた書籍です。 歴史に興味を抱きながら探偵小説に傾く歴史愛好家界隈に飽き足らぬ好事家には打って付けの刊行物となるのは間違いありません。 歴史愛好者でいながら専門家にあらずして木簡なるものになかなか馴染みのなかった向きには其の概要を知るためには好適のお薦め書籍です。
冒頭にも述べましたが木簡学会では刊行事業が行われています。 最後に本書跋文にも更に木簡を知るためにと記されている書籍一覧の中から木簡学会刊行事業に於ける刊行書籍を紹介しましょう。 木簡学会の会誌たる 木簡研究 は学会創設の年1979年11月の創刊以来、年一回の刊行に最新の木簡出土情報を蒐集され、公開されています。 従って当該書籍を閲すれば毎年の全国の木簡出土状況の一覧がなる至極便利なデータの宝庫として重宝されています。 また冒頭にも記しましたが1989年刊行の 日本古代木簡選 、1999年刊行の 日本古代木簡集成 が入手可能となっており吾人に役立つものでしょう。