渋滞が深刻な問題となりつつあった東海道の自動車の大動脈 東名高速道路と平行に走らせ解決を図ろうとした 新東名高速道路が御殿場~三ケ日間の162kmを開通したのはこの春 2012年4月14日でした。
暫くはお祭り騒ぎで渋滞もありました。 初物食いの人々、物見高い人々、行列があれば並んでしまう人々でごった返したのは、 新東名の対する注目度の高さを表していたように思います。 今の世のこととてTwitterやFacebook、mixiなどに写真付きで実況さながらの配信をしたり、 中には動画で状況を伝えてくれる方まで居ました。 帰ってからはブログなどにまとめた方も多かったようですね。
人々の関心がこれだけ高いとメディアも放っておきません。 さてでは実際東名と第2東名でよーいドン!したらどちらが速いのか、 などと言う実験もされたりしたようです。 僅か10分ほどの差で第2東名の方が早く到着するような感じでしたが、 東名の渋滞が緩和されるだけでも良しとされる処なので、 思ったよりも差が出ない状況もこの人々の興味の求める処に因ってなされた如き実験には 結果は成る程大団円、拍手と言った雰囲気で面白可笑しく伝えられていたように思います。
また別の面からドキュメント方式で伝えられたのが 悲喜交々のサービスエリア物語でしょう。 従来何もしないでも東名を利用するお客さんの幾らかの割合は サービスエリアを利用してお足を落としてくれるものですが、 これが南北に分断されてしまったのですから堪りません。 そこにはなかなかのドラマが誕生するのでした。
確かテレビなどでは静岡県西部の新旧サービスエリアの対決が特集されていたりもしました。 両者は運営母体がどちらも鉄道会社であり、 近畿圏の鉄道会社が運営する東名の浜名湖SAに新しく 地元の鉄道会社が運営する新東名の浜松SAが正面からぶつかるという構図だったようです。
浜松SA (NEOPASA浜松上り/NEOPASA浜松下り) は地元浜松が楽器の街であるのに因んで建物に鍵盤などあしらい、 やはり物珍しさからかなりのお客さんが集まって健闘するに対し 浜名湖SA (浜名湖SA上り/浜名湖SA下り) は些か苦戦を強いられたようです。 しかし浜名湖SA側も手を拱いているだけではなく 様々な手段を講じる様はまさにビジネス戦争、 なかなか見応えのあるドラマに仕立てられていたようです。
新東名の実運用に至ってこの如き経済効果が発揮せしめられたとき、 槍玉に挙げられるべきなのはマスコミであるとの主張が 日刊SPA!に2012年7月21日、清水草一氏の文責で前後編に分けられ掲載されているのが面白く読めます。
前編は現状を鑑みれば新東名を無駄だと断罪したマスコミは怪しからん! と言った論調になっています。 ひと通り怒りを示した後、マスコミと国民の喜劇的な要請を上手くかわす 高速道路プロ集団として NEXCO中日本 が称揚されています。 その秘密兵器が 路肩 でした。 そして後編ではこの活用、 暫定拡幅 で渋滞は解消されるとの主張がなされています。 興味の沸いた方はご参照まで。 また氏は扶桑社から新書 高速道路の謎 を上梓してもいます。
新東名、第2東名は1987年に閣議決定された後、 15年の長きに渡り計画、実行に移されてきたのであって 2012年春、突然目の前に現出したのではありません。 地元には長い間、通るだの通らないだのと言った噂の中、 粛々と作業が進められ構築物は徐々にその姿を現しつつあったのでした。
作業の進む最中それと知らず、或るとき遠州の山奥へ車で足を伸ばすと 山の中に突然灰色の巨大な塗り壁の如き化け物が現れました。 それは勿論第2東名を上に渡す橋脚だったのです。 まだ上に橋梁の欠けられない橋脚は山間に幾つも並んで立っていたのでした。 それはまだ見ぬイースター島のモアイ像などがこのような趣きなのだろうか、 否、これほどの壮観には値すまいと言ったほどの感を与えるものでした。
大きな構造物はそれだけで畏怖と謂おうか、 人を敬虔な気持ちにさせるものがあるようです。 しかし今、其の上に道路が掛かり、上を走れば狭く小さく思えるのですから不思議なものです。