ヘイ、ジュード~生活の小さな一場面が全世界を巻き込む曲

ロンドン五輪が開幕しました。 開会式のエンディングを飾るのは ヘイ、ジュードHey, Jude) でしたね。 20世紀最大の音楽家 ポール・マッカートニーPaul McCartney) の登場には驚かされもしましたが、 考えてみればイギリスで開催されるオリンピックとあれば当然でもありました。

何だか、がっかりしている親友の息子の小さな肩に手を置いて よぉ、どうしたい?そんなにしょげんなよ、 と言うのがヘイ、ジュードと言う歌です。 本当に生活の中のワンシーンに過ぎない、取るに足らない風景でしょう。

それを象徴するかのように曲は語りかけの ヘイ、からポールのアカペラで開始され直ぐにシンプルなピアノ伴奏が追い掛けます。 1コーラス目はこれのみに終始し、本当に少年に語り掛けるかのような始まりでは それでもその曲のメロディーの際立つ美しさを印象付けられます。 切々たるポールの歌唱は正しく少年の落ち込み振りを現しているかのようです。

2コーラス目に入りタンバリンとリズムギターが参加し、 やがてコーラスが入り始め、ドラムが刻まれ始めます。 小さな少年の落胆と小さな悲哀がここに未だシンプルな演奏に依り 哀愁を感じられるメロディーを以て演じられます。 ポールはジュードと他愛も無い話しに興じているのでしょうか。

それでも曲は楽器が重ねられるに連れ盛り上がりを感じさせるものへ変化します。 ポールのベターを繰り返す歌唱を契機に一気に多くの人々を巻き込み始めるのです。 演奏にはオーケストラまで参じています。 曲は大団円を思わせるリフレインへと突入して行きます。

曲の後半部の多くの人々を巻き込む盛り上がりは五輪の開会式に相応しいものでしたし、 そのエンディングとしては凡そ考えられないような調和を齎すもので 専用に設えたものでも為し得ない空気を生んだように思います。 小さな少年の小さな悩むを聴く歌は全世界を巻き込む曲でもあるのでした。

ヘイジュードはビートルズの後期に当たる曲で全く愛を謳うような歌ではありません。 ビートルズの登場時はラブソングが多いのですが グループが成長するに連れその割合は低下して行きました。 特にビートルズの解散直前はポールの作る曲は ジョン・レノンやグループとの関係が織り込まれたものが多かったように思います。 ザロングアンドワインディングロード(The Long And Winding Road)然り、 ゲットバック(Get Back)然り、 レットイットビー(Let It Be)然りです。 ヘイジュードは其れ等の嚆矢のような曲に思えます。

ビートルズ解散後のポールは敢えてラブソングに拘る作曲活動だったと思います。 それは解散時の反動だったでしょうしバンド音楽の原点に戻りたい気持ちもあったのだと思います。 それでも正直に言えば個人的にはラブソングでない解散に至る 悲哀が感じられる曲々が好ましくあるのを白状せざるを得ないのですが…。 若しかしたらポールは友人の息子に語り掛けるその裏に 最高のロックグループ、ビートルズが解散へと至るのを止め得ない悲しみを乗せ、 自らを慰め、激励していたのかも知れません。

近年のオリンピックの開会式と言うとショーアップ化が凄まじく 派手なパフォーマンスやギミックが設えられることが多いように思います。 それは或る意味仕方のないことでしょう、 世界最大の祭典なのですから並みの演出では観る人々の期待には応えられません。

その状況下、ただ音楽1曲を以て意表を付いている訳でもなく特別な細工を施す訳でもなく、 開会式のエンディングにこれ以上無く相応しい舞台を彩らしめたロンドン五輪の運営は 素晴らしい選択をしたでしょうし、これ以外は有り得なかったのかも知れません。 この他国には真似の出来ない正に英国オリジナルの開会式エンディングを 見せ付けられ嬉しくもあると同時に羨ましいばかりでもあります。

オリンピックが只一つ、人間の身体のみを以てする祭典ならば これ以上相応しい開会式エンディングもなかったでしょう。 これを成り立たしめる ヘイ、ジュード と言う曲には今更ながら驚愕せざるを得ません。 そしてヘイ、ジュードはポール・マッカートニーと言う只一人の人間より発せられ、 伴奏者を巻き込み開会式会場の人々を巻き込み果ては全世界の多くの人々を巻き込んだのでした。

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