鳥獣戯画は言わずと知れた国宝、 京都市右京区高山寺伝来の絵巻物です。 その絵巻物としての構成は以下となります。
其々に成立の時代背景も作者も評価も其々異なるものですが、 当の栂尾山高山寺のホームページ[※1] よりその説明を以下に引用しましょう。
高山寺を代表する宝物である。現状は甲乙丙丁4巻からなる。 甲巻は擬人化された動物を描き、乙巻は実在・空想上を合わせた動物図譜となっている。 丙巻は前半が人間風俗画、後半が動物戯画、丁巻は勝負事を中心に人物を描く。 甲巻が白眉とされ、動物たちの遊戯を躍動感あふれる筆致で描く。 甲乙巻が平安時代後期の成立、丙丁巻は鎌倉時代の制作と考えられる。 鳥羽僧正覚猷 (1053~1140)の筆と伝えるが、他にも絵仏師定智、 義清阿闍梨などの名前が指摘されている。 いずれも確証はなく、作者未詳である。 天台僧の「をこ絵」(即興的な戯画)の伝統に連なるものであろうと考えられている。
紙の貴重な時代に即興的な戯画とはなかなかに身に付く技芸でないのは確かでしょうが、 その筆致は頗る達筆、溌墨淋漓足りて些かの迷いもなく 魚が水の中を泳ぐが如き自由な軌跡を描くのはどれ程の修練を積んだのでしょう。
この貴重な国宝は現在では甲巻と丙巻が東京国立博物館に、 乙巻と丁巻が京都国立博物館に寄託保管されているのだそうです。 そしてこれまた周知の通り鳥獣戯画は漫画のルーツとも言われているのでした。 平安の昔に紙と墨があらば既に其処には擬人化された鳥獣の滑稽譚が描かれるのは 実に以て日本人の本質的な性向を表しているのかも知れません。 なればこそ現代手塚治虫と言う偉大な漫画家を輩出し 世界に冠たる漫画文化が築かれたのでしょう。 此処に描かれた兎や猿や蛙は鉄腕アトムやドラえもんのご先祖様と言う訳です。
斯くも日本人に特筆的な属性とあらばそれが全国に広がっていない訳はありませんでした。
本日2013年1月26日早朝河北新報社などにこの鳥獣戯画に実に類似した墨書の発見[※2]
が伝えられる処です。
その発見場所こそ当時の都、近畿中央より遠く離れた奥州は平泉の王たる
藤原氏の居館跡
現在は史跡公園として公開されるこの遺跡は 北上川沿いに広がる段丘一帯で、藤原清衡、基衡の屋敷跡と伝来された歴史があり、 更には貴重な発掘が数多く成されてきた経緯から鎌倉幕府正史と目される 吾妻鏡 に見える平泉政庁としての 平泉館 に擬されている[※4][追] のでした。 正しく平泉文化の中心地であったとされる訳で、 当地に字名として柳之御所があることから後世なされた命名であると言います。
今回の発見があったのは昨年2012年10月の下旬、
この柳之御所遺跡より縦10cm、横4cmほどの大きさの
鳥獣戯画と似たような時期にそれ程のタイムラグも発生させず 似たような漫画が東北の果てに見られたとは当時の地政学、及び交通状況を思えば驚きであり、 また同時に平泉政権の京都との関係の研究の縁ともなるのは確実です。
未だ公開こそされませんので実際の筆致が如何なるものか分かりませんが、 絵達者の素人の手遊びに描かれたものと伝えられるもので、 然らば描いた本人もまさか800年の時を隔てた平成の世に 己の悪戯描きが斯様に珍重されるとは思いもよらなかったでしょう。 描かれる愉快な蛙もあって実に微笑ましいものです。 またこの貴重な板絵出土品には防腐処理が施され、 新年度以降の公開が約束されますから期待して待ちましょう。
さて、今回情報を得ようとした当該埋蔵文化財センターのホームページ (公財)岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センター[追] は先ずドメインがプロバイダ配下にあるのに加えて、 形式も古く更にはトップ画像も見えず 情報は最低限の更新はされているものの検索性も悪く、 残念ながら独断と偏見の格付けとして低く見ざるを得ないものです。 併せて 岩手県教育委員会[追] も決して褒められた姿勢ではく、 岩手県の今後のWebに於ける情報発信についての改善が望まれるものです。
追記(2020年2月7日)
「社団法人平泉観光協会」が「ひらいずみナビ」として見栄えを替えたのに併せて「柳之御所遺跡の紹介」[※3]
記事が削除されていましたので、新しく「
- 鳥獣人物戯画(栂尾山高山寺)
- 岩手・平泉柳之御所遺跡 擬人カエルの絵板出土(河北新報:2013年1月26日:2020年2月7日現在記事削除確認)
- 柳之御所遺跡の紹介 (社団法人 平泉観光協会)
- 観光アーカイブ/平泉を観る「柳之御所遺跡」(ひらいずみナビ)