青銅製の発掘物が相次ぎます。 昨日は因幡国は鳥取市から勾玉の発掘したのをかたむき通信に記事[K1] にし、本日2013年1月25日は鏃の発掘が報告されたのは中国地方の反対、四国側、 備中国は岡山市教育委員会を通しての 中国戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)製と推察される鏃(矢尻)の発掘です。
鏃の素材としては古い時代には木や竹、石に骨のものが発掘され
日本に於いては弥生後期には急速に鉄製に移り変わった[※1]
ものとされます。
青銅製の鏃は大陸固有の文化なのかも知れず、
発表に於いて中国製のものとされ、その形式は
中国製の青銅鏃が発掘されたと言うことは即ち発掘地域が
当時相当の先進性と勢力と財力を持っていたことを伺わせるものです。
岡山市教育委員会が発表したと言うことですから、それは岡山市である訳で、
それは右の地図にも示した通り市街地に程近い
南方遺跡は2009年2月2日より後楽館高校の建設に伴い調査を開始、 調査対象面積は当初にも約5キロ平米に及ぶもので吉備国の流れを汲む岡山県下にも 屈指の規模と内容の豊富さを備えた集落遺跡であり、 弥生時代の吉備地域を代表する拠点集落であったことが判明したものとされます。 国立岡山病院地方循環器病センター建設や 島高裁岡山支部岡山地家簡裁庁舎建て替えの際などにも発掘は進められ、 地道な努力に依ってそして今回岡山市北区国体町の済生会病院の新棟建設に伴う発掘に際し この発見がなったものでした。
南方遺跡の特徴は岡山市埋蔵文化財センターの 扇崎由 氏の名義のPDFファイル[※3] に以下のようにして共有さています。 またその下には同ファイルよりその位置の示される図に 時代名を書き入れたものを記載しました。
此の図を見れば弥生時代前期と中期の地域が折り重なり存在する南方遺跡は かなりの長期に渡り栄えた集落と見られるものでしょう。 流石に古代に大和朝廷や出雲国と並び名を馳せた吉備国だけあり、 それを裏付ける物証とも言える今回の 双翼式銅鏃 発見であったと言えます。
そのような歴史的背景もあってか各市行政教育委員会の許に配置される 其々の埋蔵文化財センターのホームページの中にあっても岡山市のもの[※4] は未だ情報整理や検索性に難点は見られるものの今迄見た中には比較的充実しており 格付けとしてAランクを与えても良いのではないかと独断と偏見で考えます。
その岡山市埋蔵文化財センターが今回の発見のあった 南方(済生会)遺跡発掘現場に於ける現地説明会の開催を告知していますので、 本記事の最後にも書き添えましょう。 日時は来る2013年2月2日の土曜日の午後1時半から、 場所は勿論南方(済生会)遺跡発掘現場であり、 山市北区国体町3と案内[※5] されるものです。
使用図写真- Metropolitan - 32.75.318 et al( photo credit: toranosuke via Flickr cc)
- 南方遺跡について(岡山市埋蔵文化財センター)
- 矢(鏃)(Wikipedia)
- 楽浪土城の青銅鏃(鄭仁盛:東京大学考古学研究室:2002年3月30日)
- 南方遺跡について(岡山市埋蔵文化財センター)
- 岡山市埋蔵文化財センター
- 発掘調査情報-2012(平成24)年度の発掘調査(岡山市埋蔵文化財センター:2013年1月22日)