古墳時代出雲国に大勢力の扶植されていたのは良く知られています。 ではその伯耆国を挟んだ隣の隣、向こう三軒両隣の大和朝廷に近い側、 因幡国の勢力は如何なるものであったでしょうか。 鳥取市埋蔵文化財センターが実施した発掘調査にそれの伺える発見が 鳥取市教育委員会を通して伝えられました。 目下国内最古と目される保存状態も良好な青銅製の勾玉の発見です。 これによりかなりの勢力が因幡国に存在した可能性も高まって来ました。
発掘場所は右の地図に見える鳥取市の中心街から西へ10kmほどにある 松原古墳群 の内にも 松原10号墳 と呼ばれる円墳の中から見つけられたと多くの報道機関の伝える処です。
この古墳群は国道9号線の改築事業に伴って実施されるもので 発掘は平成17年(2005年)から開始され平成20年(2008年)に 松原古墳群に相当する鳥取西道路部分に及び、 当該年夏には現地説明会が催されました。 公式のページ[※1] からも古墳の密集状態及び横穴式石室に於ける使用された石の大きさが伝わりますが、 また説明会に参加された方が情報の共有[※2] をしてくれてもいて、数々の古墳が尾根上に密集して展開し 古墳時代後期(6世紀前半)の円墳が8基、方墳が2基数えられるのが分かります。 またその形態は木棺直葬であり盗掘などもあったようで 最大規模のものからも須恵器が幾らかと耳環が発掘された程度で 副葬品は土器以外には見られない旨も知らされます。
以降も発掘は進められ、現地説明会など2009年11月14日にも開催され[※3] そして今回上記した如く新発見が齎されたのでした。 例に依って当該機関ホームページからは詳細は伝えられませんので 以下に各メディアの報じる処の記事の中から幾つか列挙します。
以上、一連の報道からはこの国内最古であるとされる勾玉は極めて稀なもので4例目の発掘であること、 青緑色をしており縦17mm、横5mm、重さ1.6gとかなり小さなものであること、 同時に発掘された副葬品に管玉やガラス製があり装飾用と見られること、 最古と目される時代の特定は同時に発掘された須恵器の特徴からなされたこと、 などが分かります。
勾玉はWikipedia[※4] に依れば縄文時代から存在し素材としては 翡翠、瑪瑙、水晶、滑石、琥珀、鼈甲などが知られますが、 土器製も見られるとのことで此れに今回4例目となる青銅製も加えられるでしょう。 そしてそれは何を始原とし、何に使用されたものかも未だ謎とされるのが興味を惹かれます。
今回の発掘に先駆け神戸市の下大谷1号墳でも青銅製勾玉は出土しているとされます。 同時代勾玉の素材としての宝玉が不足した時期でもあるそうで 青銅を以て代替素材とした可能性も言われますが矢張りまだ明瞭な事由は判明せず、 また青銅製勾玉が稀少であるとも言える訳で そうなれば被葬者は影響力の大きな首長だったこととなります。 若しかしたら土器製、青銅製の勾玉がこれ等の謎を解く鍵となるやも知れず、 今後の研究が待たれる処です。
斯くも興味深き青銅製勾玉ですが、 これが来る2013年2月9日から3月24日迄、 鳥取市歴史博物館で一般に公開されます。 同館のホームページ[※5] を見れば常設展示室は有料の処、今回は特別展示室を利用しての展示にて 無料で観覧が提供されるものとなっています。
古海61号墳、松原1号墳丘墓、鳥取城跡、 加えてこれも初公開となる青谷横木遺跡の 天暦9年(955年)の年号の書かれた木簡なども公開されるようですので 考古学ファン、歴史ファンには堪らない展示となりそうです。
参考URL(※)- 松原現説行いました(鳥取県公式サイト埋蔵文化財センター:2008年9月14日:2020年2月3日現在記事削除確認)
- 鳥取県鳥取市・松原古墳群(大和國古墳墓取調室:2008年9月14日)
- 松原古墳群(鳥取市松原)の現地説明会を開催します(鳥取県公式ホームページ報道提供資料:2009年10月30日)
- 勾玉(Wikipedia)
- 鳥取を掘る!!発掘調査最前線(鳥取市歴史博物館やまびこ館:2020年2月3日現在記事削除確認)