全国的な知名度も得られた感のある東京スカイツリーが今年 2012年5月22日に遂にオープンとなります。 その開業に先立ち最寄り駅の東武伊勢崎線業平橋(なりひらばし)駅(東京都墨田区押上一丁目)が 昨日春休みを前にした2012年3月17日に とうきょうスカイツリー駅 改名しました。
ネット上のニュースサイトでも競うように17日当日にこれを伝えていました。
業平橋駅の名称の使用は80年にも及ぶそうで それを惜しむ人々の声から、 旧業平橋駅 という表記が書き加えられたとのことです。
80年にも及ぶと聞き例に依ってWikipediaを紐解いてみて驚きました。 Googleで 業平橋駅 で検索して表示された筈の業平橋駅をクリックすると、何と既に設えられた とうきょうスカイツリー駅 に転送されるのです。 以下が転送された Wikipedia:とうきょうスカイツリー駅 のページ画面です。 タイトルの下に確り (業平橋駅から転送) と表記されています。 まるで名前を惜しむ地元民の心がウィキペディアにも通じたかのようですね。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjpfhMF3ZzIgUyp-zQoxFYsd-5L9NLeDWFRf8WoffiemFkBmGzC0hrBzBMAKsWKlb606dXkdqosFhISqVbnWYmN8pRuUYxCPaZQ2D82PMSufmLZpPPxQrFm1PFdkjpF_6EokUWXb6GvfLgA/s1600/narihirabasi2.120318.gif)
因みにその内消えてしまうだろう 業平橋駅をタイトルとしたウィキペディアページのスクリーンショットを 記念に撮っておいたものが下の図です。 Googleのキャッシュよりスクリーンショットを作成しました。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjWvzreVlM9OINILq51om1bBdYnePRlRWhhwAzWijQG81ZtK-AvjrY3uCVD7UCAMG4gexLP0XJpYru1X0KnMUMghCWkafVsryjE5NwylltVt5LXhTvztNVuKZ6pSQCZfh1AcjHdJNTPBopI/s1600/narihirabasi1.120318.gif)
ウィキペディアの早い仕事には驚かされましたが、 沿革は確り業平橋駅時代どころか其れ以前のものが残されています。
1902年は何と明治35年の開業当時の名称を 吾妻橋駅(あづまばしえき) と言いました。 今から110年前のことです。 2年後の明治37年には一時廃止されましたがそれから更に4年後明治41年に貨物運輸のみ再開、 明治43年は西暦で言うと1910年に旅客営業を再開すると共に 浅草駅(あさくさえき) に改称されました。 それから大正時代を跨ぐ21年間をこの名称で過ごした後、時代も昭和となって6年の 1931年に浅草雷門駅(現・浅草駅)が開業したことで 業平橋駅としての名称が開始されたそうです。 これが今から81年前のこと、 詰まりこの駅は大半を業平橋駅として過ごしてきたことになりますね。
項目名がとうきょうスカイツリー駅となっていてもウィキペディアには 旧業平橋駅としての駅名の由来が残されており、 近くに架かる隅田川の吾妻橋とその付近の町名業平に由来するとのことで、 在原業平は稀代の色男で 伊勢物語 全国各地にその伝説は残されその一つがこの業平橋駅になる訳です。
地名としても業平は各地に点在するのですが、 こと橋の名前に限っても Wikipedia:業平橋 には以下のように列挙されています。
余程日本人に好かれた歴史上の人物と言えますね。 若しかしたら何処かにあやかりたいと言う気持ちもあるのかも知れません。
なお 東武鉄道株式会社 の2012年3月7日に配信されたプレスリリース(PDFファイル)を見ると 「とうきょうスカイツリー駅」に駅名改称! 業平橋 駅名改称記念 乗車券&ストラップを発売! ~ 駅名改称を記念して今しか手に入らない記念グッズを発売!! ~ (2018年12月28日現在削除確認) と記念のキャンペーンの催しが伝えられます。 鉄道ファンにはこれまた堪らないプレゼントとなるでしょう。 但し2012年3月17日のお知らせ 業平橋駅 駅名改称記念乗車券セット完売のお知らせ (2018年12月28日現在東武鉄道株式会社webサイトでは2016年度以降のお知らせしか掲載されていません。) を見れば人気のほども覗えますので欲しい方には激しい競争となりそうです。