西楚覇王項羽、兵馬俑焼討ち疑惑で四面楚歌

つい先頃もお隣中国からは 万里の長城 に関するホットな話題が届けられ、 これもお隣 韓国との間で議論が持ち上がっている 中、またまた歴史上の話題が届けられました。 焼け跡ある陶俑を発見 項羽侵略の痕跡? と東京新聞が2012年6月10日朝刊で伝える処です。

中国では陝西省西安市郊外にある世界文化遺産、 兵馬俑 (へいばよう)の調査を進めていますがこの最新情報を9日に中国中央テレビが公表したもので 以下にその一部を引用します。

鮮やかな色彩の兵士の陶俑(とうよう)が多数見つかったほか、 一部に焼けた跡のあるものがあった。 紀元前二〇六年に秦を滅ぼした項羽が放った火の痕跡との見方が有力だ。

秦の始皇帝亡き後、大陸を二分した英雄 項羽と劉邦 は小説では司馬遼太郎氏の、 漫画では横山光輝先生の作品が有名です。 楚漢戦争に題材を求めた作品は吾人を楽しませてくれる良質なエンターテインメントであると同時に 歴史を学ぶ教科書ともなり得ます。

遂に秦帝国を咸陽に追い詰めた両雄は 鴻門の会 を設け表向きは優雅に催されたその最中、 劉邦の命は生きるか死ぬかの瀬戸際にあり、 上手く生へと転んだのでした。

この会で完全に劉邦を支配化に収めた項羽は 劉邦が従来の野卑さの素振りも見せず暫時治安安寧に統治した咸陽に於いて 秦最後の王、子嬰一族を殺戮し、略奪の限りを尽くし火の海と化さしめたのでした。 都としての咸陽は項羽が故郷の楚に錦を飾るために彭城を都と定めたため捨てられたのでした。 劉邦が後に漢の都城として建設した長安はこの咸陽郊外になります。

勿論秦の始皇帝はこの時世には亡く、秦始皇帝陵内にありました。 この陵を取り巻くように配置されるのが秦の始皇帝を黄泉の国に守る兵を治めた兵馬俑坑である訳です。 秦始皇帝陵は咸陽郊外にありましたが 財宝の眠るのは間違いなく略奪の対象にならない筈がありません。

そして項羽の大掛かりな咸陽略奪、焼討ちが歴史的事実である以上 世界遺産である兵馬俑を焼いたと嫌疑を2,200年の後に掛けられても致し方ない理屈ですね。 なかなか言い訳の利かない事態でしょう。 着々と漢中で勢力を扶植した劉邦と軍神韓信に垓下に追い詰められ 四面楚歌にあった状況の再現であるかのようです。 正しく歴史は繰り返すと言うものです。

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