渋谷ハチ公像除幕式にはハチも参列~往生写真が渋谷区郷土博物館に寄贈公開

待ち合わせと言えば ハチ公前 でしょう、 東京近辺の生活者は一度は 渋谷駅での待ち合わせに利用したことがあるのではないでしょうか?

Wikipediaの 忠犬ハチ公 の項目は予想以上に分量があり確りした作りで ハチ公の人気振りを覗わせるものです。 これを元に以下かたむき通信的に抄出再構成してみたいと思います。

先ずはこのハチ公の銅像が設置されたのは1934年(昭和9年)の4月21日で 盛大に除幕式が催されたそうですがハチも参列したそうなんです …え?ハチが? そうなんですよ、ハチは銅像が作られた時には生きていたんですね、 知ってました?

銅像になるくらいの人物は大抵物故されてからのことですし、 況や人ではなく犬ですよね?と思えばどうしても 死後に生きていた頃が思い起こされての措置かと思えば然にあらず、 しかもハチは銅像の作者の安藤照さんの処へモデルとして通っていた ってんですから尚驚きです。

またハチ公が渋谷駅に通い詰めるほど想っていた主人とは 僅か1年ほどのお供だったようなんです。 秋田大館で産まれ生後3月ほどのハチが米俵に詰め込まれ電車に揺られ 大東京に上京したのが1924年(大正13年)の松の明ける頃、 そしてご主人が急逝したのが翌1925年(大正14年)の初夏と云うことです。

愛犬家のご主人にはハチの他にジョンとエスって名前の犬もお供してたそうです。 3匹ともご主人の急死にはショックは同じだったでしょう。 それぞれの運命を背負いそれぞれ生き続けた3匹ですが、 渋谷駅に通ったハチにはそれ迄に紆余曲折もあったそうで涙を誘います。

そして渋谷駅にハチ公の姿がしばしば見掛けられるようになったのは 1927年(昭和2年)の秋、ご主人の没後2年余りしてのことでした。 この時ハチはご主人宅に出入りしていて兼ねて懇ろの 渋谷駅から一駅の植木職人さんのお宅にお世話になることになっていたのでした。

皆に愛されている今のハチ公を思えば渋谷駅に頻繁に出没するようになった当初は 苛められたり疎まれたりしているなんて思いもしませんでした。 それを哀れに思ったこれも兼ねてよりハチと馴染み深い愛犬家の方が この旨を新聞に寄稿したところ大きく取り上げられたそうです。 これが今に至るハチ公大人気の始まりでした。 1932年(昭和7年)のことです。

翌1933年にも再度新聞に取り上げられ有名となったハチは やっと渋谷駅でも可愛がって貰えるようになったそうです。 この頃銅像のモデルとして彫塑家の先生のお宅へ通っていたんですね。

そして1935年(昭和10年)3月8日、ハチ公は死にました。 満で数えて11歳でした。

このときのハチの往生の写真が実は残されているそうなんです。 当時の駅員さんが保有していたその写真を娘さんが 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 に寄贈されたのだそうです。 写真は駅員に囲まれる中に目を閉じて横たわるハチの写された、 渋谷駅の手荷物室で撮影されたと思われるものです。 当時から人気者のハチの最期ということで新聞にも掲載されたとか。

この寄贈された写真は同館で一般公開されます。 期間は 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館展示会一覧 の新収蔵資料展の一部として 今年2012年は昨日6月16日から来月7月22日までの1月余りです。 問合せの電話番号は 03-3486-2791 となっています。

昔より教科書から絵本までさまざまに取り上げられている忠犬ハチ公の物語ですが、 最近では日本映画の ハチ公物語 や、ハリウッド映画の HACHI 約束の犬 などに仕立てられてもいますね。 どんな筋立てなんでしょうか? 何だか観たくなってきてしまいました。

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