国産旅客機三菱リージョナルジェット(MRJ)が1,000台、21%のシェアを目指し着々と受注

数百億にも及ぶ多額の助成金が出ているためか、 なかなか厳しい評価も多い中、着実のプロジェクトを進め、 或る程度の成果が上がってきた事業に日本独自航空機開発があります。

流石に航空機事業になるとその大掛かりな処から2012年現在、 未だ現物が上がっていないのにも関わらずその発端は今から一昔以前、 2002年の8月迄遡らなければなりません。

第2次大戦後、壊滅した日本航空機産業を復活せんと 1956年(昭和31年)に通産省肝煎りでスタートしたプロジェクトにて 1964年(昭和39年)8月に遂に形となったのが 最終的に180機製造され或る程度の成功も収めた国産旅客機 YS-11 でした。

改善で安定した性能を発揮しつつも運営組織上、 様々な問題点も包含しつつその運命を終えましたが、 日本ではこれ以降独自航空旅客機が計画されていませんでした。 其れ等問題点も考慮に入れつつ2002年に経産省肝煎りで 約40年振りに国産旅客機が企画されたのです。

経済産業省は新エネルギー・産業技術総合開発機構、通称 NEDOネド) を窓口とし希望企業を募りましたがこのとき手を挙げたのは 三菱重工業株式会社 だけでした。 開発期間は2003年(平成15年)度から5年間で予定開発費は500億円、 その半分が国から補助されるものでしたが、 となれば自社負担は250億円、 成果を出さねば半分とは言え国庫を利用していますから 何を言われるか分からない事業に手を挙げたるのにはそれなりの覚悟が必要だったろうと思います。

成算は有りました。 民間旅客機製造に於いては米国ボーイング社と欧州エアバス社の2強に 割って入るのは難しい状況が続いた中、1990年代になると リージョナルジェットRegional Jet) という市場が開けて来たのです。

リージョナルジェットとは Regional=地域、の意である如く、 地域間を繋ぐ小型のジョット旅客機を表し、 それが時代の要請する ハブ・アンド・スポーク 運航、即ちハブ空港と周辺都市を結ぶハブから放射状に伸びる スポーク部分の路線を受けもつ旅客機の需要とマッチして急激に伸びだしたのでした。

ボーイング社及びエアバス社の製造する旅客機とは異なるこのマーケット用に 生産される小型旅客機は座席は100席以下で大、中型のジェット機よりも低騒音であり、 短い滑走路でも離着陸が可能であるように設計されます。

このセグメントに於いて カナダのボンバルディア社、ブラジルのエンブラエル社がシェアを伸ばしていました。 このセグメントはターボプロップエンジン方式旅客機を代替するものでもあり、 日本にとればYS-11の属した馴染みのあるものです。 この伸びる市場に経産省と三菱重工は成算が有ると見たのでしたた。 そしてMRJ(三菱リージョナルジェット)プロジェクトは誕生したのです。 インターネット上には当該プロジェクトのホームページ MRJ - Mitsubishi Regional Jet も用意される処です。

MRJとその背景についてはだんだんとその形を現し始めた3年程前2009年10月16日に 日経ビズに記事 「リージョナルジェット」~日本も参入狙う、航空機の新市場 が配信され状況が分かり易く書かれてあります。

この記事にはまたリージョナルジェットの予測と 三菱重工の販売計画及び採算ラインも記されています。

それに依れば中長期的には需要が拡大する見込みのリージョナルジェット機に於いては 当時2009年から20年(~2028年)の新規需要が4275機と予測されてことを紹介しています。 此処では同期間におけるターボプロップ機の新規需要予測は1749機とされ、 今後のマーケット状況としてターボプロップ機の市場は緩やかに減少し、 リージョナルジェット機がそれを補いつつ新市場を開拓することになるとしています。

このマーケットに対して三菱の目論む販売計画は型式証明を取得してからの10年間で1,000台、 即ち21%の台数ベースのシェア獲得を目指していることになります。 同時に採算ラインは300台から400台とされます。

三菱の目論みは画餅にあらず、 プロジェクトは粛々と進行し、営業もそれに連れ着々と受注して来ています。 2008年3月27日にANAをローンチカスタマーとすることに成功25台の受注、 2010年末にはトランス・ステイツ航空(AX)から100台を受注 2011年6月にANIグループホールディングスから5台受注、 そして今月、ブルームバーグの2012年7月12日の記事 「MRJ」100機受注、三菱航空機が米スカイウェストから などでスカイウェスト航空から100台の発注を得たことが発表されたのです。

これにより都合230台、 目標とするシェア21%、1,000台にはまだまだですが、 採算ラインは見えて来たのではないでしょうか。

先の大戦の傷跡は未だ残っていました。 日本に取っては嘗てはその優秀性が世界に冠たるものであったものの 大戦に依り忽然と消えてしまった航空機産業が復興を果たすのも 近い将来であるのかも知れません。

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