R.A.ディッキー(37歳)MLB前半戦でブレークしオールスター初登板~ナックルボーラー誕生の共通点

前半戦を終了したメジャーリーグベースボール(MLB)は 今年2012年7月10日も華やかにオールスターが ロイヤルズの本拠地カウフマン・スタジアムで開催されました。 日本からはダルビッシュ有投手も選出され話題を呼んだ処です。 この オールスターゲーム の6回裏のナショナルリーグのマウンドを務めたのが 今年37歳にして初選出、遅咲きのメジャーリーガー R.A.ディッキー 投手でした。 先頭打者にヒットを打たれ、死球を与えるなどしながらも アメリカンリーグの攻撃を見事零点に抑えて見せました。 一死一、二塁のピンチを切り抜ける ダブルプレーに仕留めたボールはナックルボールでした。

ナックルボールは野球の変化球の中でも特殊な変化球です。 本格派速球投手でも変化球を投げない投手はいません。 多彩な変化球を操る投手もいれば切り札としての変化球を持つ投手もいます。 例えばかたむき通信では最早馬主としての扱いの方が多い かつて大魔神として一世を風靡した佐々木主浩さんは フォークボールを決め球としましたが大半の投球はフォークボールではなく、 飽く迄決め球としてここぞと言う場面で投げ込むものでした。 変化球を投げる投手でも基本的には直球が投球の大半を占めるものです。

ところがナックルボールを投げる投手はその大半の投球がナックルボールに占められます。 制球の難しいとされるナックルボールではなく 通常の直球を投じるときはカウントを整えるくらいだとも言われます。 また普通の投手はナックルボールを滅多に投じはしません。 その投球フォームが極端に異なるため直ぐに見破られてしまいますし、 捕手の捕球も難易度が高く専門性が要求されるにも関わらずその準備がないからです。 この特殊性からナックルボールを主体とする投手を ナックルボーラー と呼んでいます。

現在メジャーリーグの現役にこのナックルボーラーは一人しかいません。 それがニューヨークメッツに所属する ロバート・アラン・ディッキーRobert Alan Dickey) 投手なのです。

ディッキー投手は1996年にレンジャーズに1位指名されるも健康診断の際 右肘靱帯の一つが生まれつきないと言う珍しい身体であることが分かり、 これは速球を投げ得ない証明ともなるため契約金を値切られてしまいました。

2001年メジャーデビュー以降、本人の思うような成績を上げられず 2005年にナックルボーラーへの転向を決心します。 しかし付け焼き刃の変化球が通じる筈もなくまた数年低迷、 これに倦まず弛まず研鑽を重ね遂に今年2012年前半突然のブレークを果たし 12勝1敗(防御率2.40、奪三振123)のトンでもない成績で球宴初出場を決めたのでした。 昨季までのメジャー9年の通算の41勝50敗、防御率4.34と言う数字と比較してみても 今年の成績の破格さが伺われます。

ディッキー投手がナックルボーラーとしてこうしてブレークする以前、 ナックルボーラーと言えば去年2011年に引退した ティム・ウェイクフィールドTim Wakefield) 投手でした。 ウェイクフィールド投手は1988年にピッツバーグ・パイレーツに入団した際は野手としてでした。 1992年にメジャーデビュー時にはしかしナックルボーラーだったのです。

プロのあまりのレベルの高さに半ば諦めかけていた彼を救ったのが 遊びで投げていたナックルボールでした。 コーチの助言で投手にそのナックルボールを武器として転向、 以降19年間先発にロングリリーフに活躍し去年44歳で引退する年も7勝し 見事通算200勝を達成したのでした。

ウェイクフィールド投手の200勝達成で ナックルボーラーの達成者は7名となりました。 メジャー史上200勝達成投手は111名で、 ナックルボーラーの割合は6.3%、 これは現役にはディッカー投手一人を残すのみと言う割合から考えれば 異常な高確率と言えます。 これだけの実績を見せ付けられ尚ナックルボーラーは少ないのでしょうか?

ナックルボールの創始者は1910年代に活躍した エディ・シーコットEdward Victor Cicotte) 投手とされます。 彼はイチロー選手の記録が取り沙汰される際には必ず名前の挙がる彼の球聖 タイ・カッブTyrus Cobb) 選手と同期で1905年にデトロイト・タイガースに入団するも 漸次成績を上げていくカッブ選手と対照的に直ぐ解雇されてしまいます。 1908年にカッブ選手が三冠王に輝いた時には ボストン・レッドソックスで再デビューしましたがなお梲は上がりません。 1912年にシカゴ・ホワイトソックスにトレードされた翌年に漸くブレークするのです。

資料が見当たらず判然しませんが想像するに 恐らくシーコット選手は1905年から1912年の雌伏の時に ナックルボールを開発したのではないでしょうか? 魔球と言われたカーブが ウィリアム・アーサー・-キャンディ-・カミングスWilliam Arthur -Candy- Cummings) により初めて投じられたとする1870年から既に40年、 シーコット投手は新たな世紀に於いて新たな魔球に選手生命を託したのかも知れません。

その選手生命を1919年の不幸な事件で最盛期に終えたシーコット選手は しかし14年間のキャリアで208勝しナックルボーラー200勝の一人としても名を残しています。

200勝7ナックルボーラーに名を連ねこそしませんが、 1950年代、60年代に活躍し1985年にリリーフ投手として、そして通算150勝以下の投手として 初めてアメリカ野球殿堂入りした ジェームス・ホイト・ウィルヘルムJames Hoyt Wilhelm) 投手がいます。 そのメジャーデビューは28歳と現役を終える選手がいても可笑しくない年齢で、 40歳を過ぎても安定した活躍を見せました。

これ等歴代のナックルボーラーを見ていると例外無く遅咲きであることが見られます。 そして総じて選手生命の最後の賭けとしてナックルボーラーに 背水の陣で転向しているのでした。

野球は少年の憧れのスポーツ、 ピッチャーは中にも花形です。 少年野球では常に試合の中心に圧倒的な存在感で注目を集めます。 それらの中からほんの僅か、一握りの投手がメジャーリーグで活躍の場を与えられるのです。 本格派であるのが本来自然でしょう。 そう考えればナックルボーラーは異質であり、 当初から少年が目指す形態のピッチング方法としては有り得ないのでしょう。 大人となって弱肉強食のメジャーで追い詰められて初めてなし得る投球なのかも知れません。

ナックルボーラーには兄、 フィル・ニークロPhilip Henry Niekro) 、そして弟の ジョー・ニークロJoseph Franklin Niekro) のニークロ兄弟も忘れることは出来ません。 この兄弟とも、兄は通算318勝、通算221勝と200勝以上ナックルボーラーでもあり、 併せて539勝は兄弟勝ち星メジャーリーグ記録となるのだそうです。

プロ入り、そしてメジャーデビュー後僅かながら勝ち星を挙げるも 開花、大成したのは兄は28歳、弟は32歳でした。 ニークロ兄弟では何時の時期からナックルボーラーとなったのか判然しませんので 必ずしも背水の陣で挑んだナックルボーラー転向ではないかも知れませんが、 他に紹介したナックルボーラーと併せ考えれば ナックルボーラーには我慢強さが共通点、 と言うようりは最低限の必要条件なのかも知れません。

そして一度ナックルボーラーとして開花すれば まるで長年の活躍が予約されてもいるかのように それぞれが40歳代になるも活躍を見せているのも見逃せないでしょう。

ナックルボーラーの歴史は知れば知るほど面白いものだと思います。 そしてウェイクフィールド投手の引退で途切れるかも思われたナックルボーラーの歴史も ディッキー投手のブレークで連綿と引き継がれて来たものが もう一世代引き継がれることとなりました。

そして今、ジョー・ニークロの息子、 ランス・ニークロ(Lance Niekro)選手は2003年メジャーデビューするも 2008年に解雇され一旦は一般企業に就職しましたが、 現在は伯父さんのフィル・ニークロの指導を受け ナックルボーラーとして挑戦すべく日々奮闘努力しているのだそうです。 次の世代に引き継がれるナックルボーラーの担い手としの活躍も近いのかも知れません。

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