ブランドと一体化して後世に名を残す人物は
知名度が高く周知されているために多く思えますが
矢張り選ばれた人物として其れ程容易くなれるものでもないのは確かです。
アパレルには
腕時計業界を広く見渡せばクォーツショック、クライシス以降、 機械式腕時計を携え純化して雄々しく蘇った高級腕時計業界は まるで日本の戦国から後の茶の湯の世界を見るようです。 なんとなれば腕時計の本分たる時を刻む精度自体はクォーツに譲らざるを得ない性能ながら、 人々に広く珍重されるものとなったのは正しく付加価値にこそ有り、 従ってブランドに物語と伝説は不可欠のものとなったのです。 高級腕時計の顧客は物語と伝説を腕に巻き歩くのでした。
ウブロにこの物語と伝説を与える一助となるのが 2012年夏に発表された MP-04アンティキティラ でした。
1901年、地中海上の
アンティキティラ島の機械の魅力に取り付かれたのがスイスの時計師、
ビュッテ氏の経営したBNBコンセプトの興味深い業態が Chronos(日本版)2010年1月号 に記載されています。 本号の特集は ETA2010年問題を追う ものでその影響について2009年の後半にビュッテ氏の語る処及び、 当時のBNBコンセプトの様子が写真入りで記載されています。 手作りの印象の強い機械式腕時計ですが、 超複雑機構を得意とすればその筆頭たるBNBコンセプト工房内には 3軸と5軸のCNCマシンが計11台もの台数導入されているのは特筆すべきでしょう。 そうして削りだされた部品が仮組みされたムーブメントに ガラス製の甕が被せてある写真も興味深いものです。
超高級腕時計ムーブメントは例えば予価7,350万円と言う コンコルド C1 クァンタム グラヴィティ[※1] に関して、そして2009年に発表されたオリジナルブランド コンフレリ・オルロジェル に関して語られ、マニュファクチュールとしての未来をも感じさせるものです。
ETAムーブメントとの関連について聞かれたビュッテ氏がインタビューアーに見せたのは キャリバー1666と名付けられたトノー(樽型)シェイプの手巻きのペースムーブメントでした。 目付けの施された地板からトリプルバレルの除く美しい仕上がりの写真も掲載されています。 この受注時のロットは200~300を想定するも1台からでも受け付けると言うスタイルこそ BNBコンセプトの創業来変わらざる姿勢でした。 しかしETAムーブメントに絡んで提出されるにも関わらず 私はムッシュ・ハイエクの敵ではありません、と言う このムーブメントに於いて取られる方針は ビジネス的には決して上手い遣り方ではなかったのかも知れません。
飛ぶ鳥を落す勢いかにも見えていたBNBコンセプトのしかし経営状況は クロノス本号が発売される時には事態はどうにもならないものとなっていました。 リーマンショック以降の不況に 超複雑機構の需要の多くを一時に失い経営が行き詰まりを見せていたのです。 恐らくはアンティキティラ島の機械に嵌まり込むような職人肌のビュッテ氏に取っては 営利企業としての経営は不得手なものであったのかも知れません。 この時ビュッテ氏が救いの手を求めたのがビバー氏でした。
BNBコンセプトの経営は上手く行っていないもののその卓抜した技術力と開発能力に ビバー氏はウブロに同社を吸収合併したのでした。 しかしそれが只単にウブロ社の技術力補完だけのためでないのは 援助側である筈のビバー氏がビュッテ氏の合併に対する条件を丸呑みした事実からも覗われます。 その条件こそが、アンティキティラの機械の機構復元プロジェクトの継続、 及びそれを営利目的利用しないことだったのです。
この件に関してはかたむき通信に書評もものした[K1] 成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。 にビバー氏の言として詳しく伝えられます。 その際に契約書もないまま口約束で快諾したのは契約書を嫌悪するビバー氏の性向もありますが、 何よりビュッテ氏のアンティキティラの機械に掛ける情熱を知っていたのも大きい、と言います。 ビバー氏は機械式腕時計のルーツとも言えるこの アンティキティラの機械の謎を解く機会がウブロに与えられただけで充分、と言うのです。 こうして2010年1月、30名の時計技師と共にBNBコンセプトはウブロに吸収合併されました。
マティアス・ビュッテ氏は2013年現在ウブロの製造及び開発ディレクターとして活躍しています。 アンティキティラ島の機械のメカニズムの再現の約束は果たされ、 2012年夏、遂に完成の日の目を見ました。 そしてまた約束通り MP-04アンティキティラ は4本のみ生産されたのみです。 其の内2本はパリ及びギリシャの博物館に1本づつ寄贈されました。 またウブロ本社には1本が保管されます。 残りの1本はアテネ国立考古学博物館と共同でオークションに掛けられ その落札金額は研究費として寄付されるのが決定している、と 成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。 に伝えられます。 アンティキティラの機械を通して機械式時計の原点に光を当てようとした ウブロには新たな伝説の一頁が書き加えられたのです。
追記(2013年7月20日)
ウブロ社会長ビバー氏の為人の図らずも垣間見えるテレビ番組が放映されたのを受け ウブロの腕時計の精度を影ながら支える静岡県の加工機械とビバー氏の為人 を配信しました。
追記(2014年12月22日)
本記事に取り上げた
アンティキティラ島の機械
は紀元前100年から150年の作とされていましたが新しい見解[※2]
では紀元前205年に遡るものとされています。
すると三角法の最初の使用者とされる
追記(2017年5月17日)
GoogleサイトのGoogleロゴが屡々当該日のイベントに合わせて変化するのは最早周知となりましたが
今日本日2017年5月17日にはアンティキティラ島の機械の
On 17 May 1902, the former Minister of Education, Spyridon Stais, made the most celebrated find while studying the artifacts at the National Archaeological Museum. He noticed that a severely corroded piece of bronze had a gear wheel embedded in it and legible inscriptions in Greek. The object would come to be known as the Antikythera Mechanism. Originally thought to be one of the first forms of a mechanised clock or an astrolabe, it is at times referred to as the world’s oldest known analog computer.
1902年5月17日、元文科相のSpyridon Stais氏が国立考古学博物館で遺物の研究する中から
アンティキティラ島の機械を発見したものとされていますので
Googleが今日2017年5月17日其の日を115周年記念と銘打つのも肯んじられる処です。
引用文を更に読めばStais氏は青銅の著しく腐食する中にも埋め込まれる歯車と其れにギリシア語の目立つ碑文を検出しました。
本記事にも記すように従って元祖機械式時計とも天体観測用の機器としてのアナログ計算機とも考えられた
アンティキティラ島の機械は世界で最古のアナログコンピュータとも目されており
Googleがトップで紹介するほど痛くご執心なのも
- The Antikythera Mechanism( photo credit: Tilemahos Efthimiadis via Flickr cc)
- コンコルド(一般社団法人日本時計輸入協会)
- It turns out the world's oldest 'computer' dates back to 205 BC(2014年12月1日)
- Antikythera wreck(Wikipedia:英語版)