20世紀サッカー界にその名の燦然と輝くアルゼンチンの英雄
このエピソードが記されるのは幻冬舎から
篠田哲生
氏に依って上梓された
成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。
(以下、本書)なる書籍です。
篠田氏はライターでありながら時計専門学校を終了し
機械式腕時計の組立て修理の技術を有し当然その知識は極めて専門的ながら
本書は唯にその世界に陥らずウブロと言うスイス高級腕時計界に新風を巻き起こしたブランドと
その立役者であるビバー氏にスポットを当てた
腕時計に興味の無い向きにも楽しい読み物となっています。
上に挙げたマラドーナ氏のエピソードの他にはF1界の大御所
ウブロとはフランス語で舷窓、即ち船の窓の意味です。 船体に設けられるそれは凡そ丸型で窓枠のネジ締めの目立つ無骨なものですが ウブロの腕時計にはベゼル(腕時計のダイヤル部分を囲む枠)に設えられた ネジ止めは高度で魅惑的なデザインに結晶しており、 ブランドアイデンティティーを示すものともなっています。
ウブロ社は1980年に
こうした状況下クロッコ氏が経営を委ねるべく頼ったのがビバー氏でした。 ビバー氏はかたむき通信にも2012年6月9日にアワーグラスの記事[K1] をものした際にウブロ社のCEOとして言及しました。 本書に由れば氏は1949年、ルクセンブルクに生まれ、幼少期にスイスに移住したとされます。
時計業界へ携わるようになったのは1975年、
1982年には
30代でブランパンを大成功させ、機械式腕時計を復興せしめ、 スウォッチグループでまたオメガを立て直すと言う輝かしきキャリア、 2大ブランドを蘇らせる離れ業を演じた同氏の去就に注目が集まるのは当然です。 業界中にビバー氏は自らのブランドを立ち上げると目されながらしかし氏の選んだのは 上記した通りクロッコ氏の要請を受けウブロのCEOとなる道でした。 そんなビバー氏がウブロ社に参加した途端、 未だ製品も出来ていない内から世界中の腕時計販売業者から取り扱いの申し出があった、 と本書は伝えます。 ビバー氏が携わった時計ならば間違いはないと言う大きな信頼を氏は既に勝ち取っていました。
一挙手一投足の注目されるビバー氏がウブロ入社した2004年の時点で社員30数名であったと言います。 しかしこの時点に在社した社員は現在では殆んど残っていません。 ユーザーにはフレンドリーで知られるビバー氏も自社には実に厳しい存在でした。 実績の無い者は去るしかなかったと本書に伝えられます。 此処から立て直しを目指し人員刷新を図った際の平均年齢がまた驚くべきものでした。 何と74歳、ビバー氏はこれを 経験を買った と称します。 当時それ位新興ウブロに経験は必要なものだったとも述べています。
新興ウブロを老舗に勝利させるために ビバー氏が取った施策として本書には3つの大きな考え方と 3つの守られるべきブランドテイストが紹介されます。 3つの考え方とは、以下列挙する処になります。
また、3つの守られるべきテイストとは、以下列挙する処でした。
そしてビバー氏が新興ウブロ社に掲げたコンセプトこそ フュージョン (融合)でした。 従来腕時計界に於いては日本を震源地とするクウォーツショック以来、 分類は以下の両者に截然と分かれていました。
此処に割って入るウブロのコンセプトを氏は両者の融合に求めたのです。 ウブロはそれ迄にも新素材を用いるなどして そのコンセプトを活かし易い状況にあったのも利用されました。 素材の価値を活かすウブロにはフュージョンたる セラミックとゴールドの合金の マジックゴールド も開発されたのです。
このウブロのコンセプトを代弁するかの如き新素材 マジックゴールドの共同研究開発組織はスイス連邦工科大学ローザンヌ校であり、 今ではこの時の生徒はウブロに研究員として入社、 環境もそのままウブロ社内に移されているとされます。 また驚くべきことにこれは見学者に公開されてもおり、 実際の工房を見学者に解放し剰え組み立て体験迄させてしまうと言いますから 驚かされますが、このオープン性もウブロ流なのでした。 上にマラドーナ氏の組立て体験を紹介しましたが 何もその対象者は有名人に限らないと言う訳です。 因みにこの考え方は日本の本田技研からもインスパイアされていると 本書にビバー氏の言として紹介されています。
ビバー氏の上に挙げた如きを一端とする経営手腕を以てウブロは急激な成長を遂げます。 2008年ウブロはスイスのルイヴィトンを中心とする複合企業体 LVMH(Moët Hennessy-Louis Vuitton S.A.)[K2] に参加、また2009年には機械式ムーブメントである ユニコ を開発して本格的マニュファクチュールへ一歩を踏み出しました。
2004年にビバー氏がウブロに参加した当初そのロールモデルに設定した フェラーリ に持ち掛けるも拒まれていたパートナーシップを 2011年に遂に成就します。 誰もが買えるものではないのに誰もが知っている、 ビバー氏はウブロを腕時計界のフェラーリ如き存在のブランドに育てようとしたのでした。
2012年夏にはウブロの画期的腕時計 MP-04アンティキティラ が発表されます。 紀元前150から100年頃に制作され、 1901年にアンティキティラの沈没船から引き上げられると言う数奇な運命を辿った この世界最古と言われる アンティキティラ島の機械 との関わり深いこの腕時計は世界に4本だけの限定生産とされ、 然るべき場所に収められることが 決定していますので入手こそなりませんが、 その本書に紹介される実に興味深いエピソードは一読の価値があります。 其処にはビバー氏の契約スタイルが端的に現れてもいます。
成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。 本書タイトルが発した疑問は本書を読む内に氷解するでしょう。 ウブロのリピーターは40%とも言われ驚くべき高さを誇ります。 ウブロに魅せられた人物は何本もウブロを手に入れるのです。 其処にはビッグバンを柱に限定モデルを多発するビバー氏の老練な戦術もありはしますが、 一度手に入れた者を瞬く間に虜にするだけの魅力をウブロが持つ証左でもあるでしょう。
ブランドを成立させるのは美しいデザインと革新的機構だけのみにあらず、 とビバー氏は言います。 偉大なプレステージブランドの後ろには必ず偉大なクリエイターがいた、と断定しさえもします。 そして仮令彼らが亡くなったとしても そのクリエイターとブランドが同化することで作り上げられたイメージは永続できるのだ、とも。 図らずもビバー氏は自らがウブロに於いてその主張を体現しているかのようでもあります。
追記(2013年1月13日)
ウブロ MP-04アンティキティラ 及び アンティキティラ島の機械 について更に詳細な記事 HUBLOT MP-04アンティキティラ~現代に蘇るアンティキティラ島の機械 を配信しました。
追記(2013年7月20日)
図らずもビバー氏の為人の垣間見えるテレビ番組が放映されたのを受け ウブロの腕時計の精度を影ながら支える静岡県の加工機械とビバー氏の為人 を配信しました。
使用写真- Premiere "Senna" Modelo Exclusivo Hublot Ayrton Senna, lançado na premiere.( photo credit: senna.org.br via Flickr cc)
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