明日香の村には日本最大の方墳ながら その盛土を全く失ってまるで舞台の様な大石が剥きだしとなったその外観から 石舞台古墳 と呼ばれる築造は7世紀初め頃と推定される遺跡があります。 この被葬者と目されるのが飛鳥の時代に強大な権力を揮った 蘇我馬子 であり墳墓は記録に残る 桃原墓 であるとされています。
当地は当時6世紀後半から7世紀、蘇我馬子の領有するもので 大化の改新に蘇我氏が滅びる迄蘇我氏の邸宅があり、 滅亡後は其の地は官有地となって草壁皇子の離宮なども同地にあったものとされます。
邸宅の池には島を持たせて当時としては変わった形態から嶋大臣とも呼ばれたからか、 島 とも呼ばれ草壁皇子の離宮も 嶋宮 と呼ばれる石舞台の西側に広がる其の地は現在 島庄遺跡 として取り扱われるものです。
当地に連綿と調査が継続されていました。 明日香村教育委員会は2011年、2012年にも調査を実施しており、 この際の発掘現場は既に埋め返されているものの今年2013年になっては昨日の2月9日に 発見のあったことを報告会に発表しました。 場所は明日香村中央公民館に文化財課の主催で参加無料にて催され 東京学芸大木下正史名誉教授の記念講演ももたれたとされます。
この調査報告に同課職員が齎した島庄遺跡の新発見こそ 蘇我馬子の邸宅が宮殿級の規模を持つものと推測される証左ともなる 建物を囲う塀の一部としての柱穴 が16mに渡り8つ連なるものでした。
既に以前の調査で同遺跡では7世紀前半のものと推定される大型の建物跡が確認されており、 今回の柱穴は同時代のものとしてその建物を囲む塀を支えるもので、 塀にも関わらず直径30から40cmと言われますから相当の大規模であるのは容易に推察され、 蘇我氏の権力の程が知られます。
さて島庄遺跡の詳細を知ろうとすれば矢張り此処は公式機関の 明日香村のホームページは文化財の発掘情報[※1] を頼りたい処ですが、流石に古都の地だけあって現地見学会などの有る程度の情報提供は見られるものの Webに流されるべき最も新しいものは広報紙2006年4月号のもの[※2] となれば格付けとしては最高ランクは与えられずBとせざるを得ないでしょう。 また残念ながら 国営飛鳥歴史公園 ホームページにも 石舞台古墳 は用意されるもののその西方島庄遺跡への言及はないようです。
例に依ってこれをWeb上一般から発せられるCGM(Consumer Generated Media)に求めれば 良質な情報を提供してくれている Don Panchoのホームページ[※3] に島庄遺跡に注視した情報ページが用意されるのが見付けられます。 写真も豊富で島庄遺跡付近の光景とされるものには石舞台古墳と方形池、飛鳥川、そして島庄遺跡の位置関係、及び周りの雰囲気が見て取れます。 埋め戻された島庄遺跡が石舞台古墳の有料駐車場になっているのも臨場感ある写真であり、 執筆者は2004年に現地説明会に赴かれた様子が伝わり、 加えて2005年開催の説明会の様子にも言及されています。
このように連綿と調査研究は続けられている訳で 今回の発見も併せ孰れ曽我氏絶頂期に権勢を誇った蘇我馬子の宮殿の全貌が露わとなる日も来るのかも知れません。
追記(2017年3月20日)
従来
各紙の報道に依れば舒明天皇陵とする説も有力ですが
其の位置する地域から
蘇我蝦夷の
また時期は2015年1月と2年程遡りますが小山田古墳の発掘の様子がとても分かりやすく収められている backin2020さんの共有されたYouTube動画も下に埋め込んでおきます。
- 石舞台古墳 - Ishibutai Kofun // 2010.03.31 - 09( photo credit: Tamago Moffle via Flickr cc)
- 2005年8月当時の島庄遺跡発掘状況図(2005年8月の資料(島庄遺跡情報))
- 文化財:発掘情報(明日香村)
- 島庄遺跡調査続報5:島庄遺跡情報(明日香村)
- 島庄遺跡:嶋宮推定地一帯に広がる縄文時代以降の複合遺跡(Panchoの新・飛鳥路巡り:2017年9月28日、Don Panch(応請氏)のご不幸を以てWebサイトは閉鎖されています。ご冥福をお祈りいたします。)