遠州浜松とペリー黒船嘉永7年来航横浜資料の発見との些細な関係

遠江国浜松藩の幕末の藩主たる三河井上河内守家には極々別懇の縁の有って 森鷗外の著作に名前を認めた時には親しみを感じられるも 鷗外の取り上げ方は決して宜しい具合のものではありませんでした。 従ってその印象に非道く関連付けられたのが 貶黜へんちゅつ の2文字であったのですが、 だいぶ以前の読書にて歴史小説の如何なる作品に収められたるかは失念してしまいました。 関連付けられた2文字と共に著作者の名で検索を掛ければ 今では青空文庫のヒットしてその内容迄伝えられるものです。

現在長泉寺山門に移設された最後の浜松藩主井上河内守正直下屋敷門(2016年6月26日撮影)
現在長泉寺山門に移設された最後の浜松藩主井上河内守正直下屋敷門(2016年6月26日撮影)

その一つが 伊沢蘭軒 であり、もう一つが 渋江抽斎 でありました。 脳裏に微かに染み付いた記憶の文面では前者が近いのですが、 記憶の片隅が呼び掛ける 阿部一族 を見てもどうにも見付からないのが寂しい処、 孰れ読み返して再び記憶を掘り起こせたならば本記事に追記もしましょう。

三河井上家に貶黜の連想が働かしめられるのは第3代 井上正任 と第8代であり遠江浜松藩第3代藩主でもある 井上正甫 が共に奏者番の役職を解かれ前者は蟄居を後者は貶黜を幕府から命じられているのでした。 前者も其の後大規模な人員削減を余儀なくされる移封を命じられていますから 如何でか同じ系図に2人も貶黜を被った不名誉な家系と 鷗外が軽く触れていた記憶がこびり付いているのでした。 実際後者に至っては実に不名誉な失態を演じたのがその原因なのですが鴎外の 伊沢蘭軒 には以下引用の如く記されています。 この井上家の後に浜松入りしたのが教科書などにも 天保の改革 で知られる水野忠邦であった訳です。

此移封は井上河内守正甫の貶黜に附帯して起つた。 正甫は奏者番を勤めてゐて、四谷附近の農婦を姦した。 これに依つて職を免じ、遠江国浜松より棚倉へ徙された。 水野左近将監忠邦は唐津より来つて其後を襲ぎ、長昌は又忠邦の後を襲いだ。

この井上家が浜松藩を納めることとなったのはその初代は第6代 井上正経 の宝暦8年(1758年)の国替えに由来しますが、 その以前治めていた国が現在の福島県の一部となる 磐城平藩 でした。 その治世は僅か10年程でしたが、 浜松藩とは同じ藩主を戴いた縁があったのです。 両藩の藩主はこれ以降同じ家を藩主に戴き幕末を迎えることとなりました。

その幕末は 泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず と言った訳で、ペリー提督指揮する黒船の来航に呼び覚まされたのは言う迄も有りません。 嘉永6年来航(1853年)にあっと言う間に引っ繰り返るような騒ぎとなった黒船に 全国からは血気盛んな若者が湧き出るような活況を呈したのが翌嘉永7年(1854年)来航で この時ペリーとの交渉は浦賀、横浜、下田、と場を移しつつ実施されたのですが、 この横浜に於ける停泊時の見物人に磐城平藩士も居たのです。

これを証明する書物が発見された旨、本日2013年1月18日に地元報道機関に依り伝えられました。[※1] 亀山正知、室克、児島篤古なる3名の磐城平藩士が横浜に視察した記録資料8葉に 黒船図及び其の配置、横浜港守備の各藩の砲台の設置状況などが纏められ、 異艨よう誌いもうようし と題されていると言います。

発見したのは市文化財保護審議会長でありまたいわき歴史文化研究会代表でもあるご仁で 今年2013年、幕末を舞台とする大河ドラマの初回放送を見て 黒船に関して収蔵資料を繰って見ればこの発見と言うのですから面白いもので、 また同時に3名の一人亀山が荻野流砲術師範であったことを示す資料も見つかったとあれば 此れに限らずまだまだ貴重な資料が眠っているのではないかとも思わされる出来事です。 以て磐城平藩が幕末の潮流に準じ海防に敏感であったのが窺い知れ、 従って3名は見物人とは言え諜報員としての藩命を帯びていたのでしょう。 貴重な資料の分析、特定及び公開が待たれる処です。

浜松藩井上家はその後上記した如き大過を閲し 一旦は陸奥棚倉藩へ左遷の憂き目を見、 更には代が替わった28年後には浜松藩主へ復帰を果たすと言う激動の時代を迎えました。 井上家の後へ磐城平藩主として入った安藤家は幕末まで順調に代替わりしますが 維新時には明治政府軍と敵対し落城消失の憂き目を見ます。 また新政府樹立の際には井上家は徳川宗家の静岡移封に伴い上総鶴舞に所領を移されたのに対し、 安藤家は減移封を免れ藩知事となり、廃藩置県の後も最後の藩主 安藤信勇 は其の最期を磐城平で迎えたと言うことで、 比較すれば存外対照的な動向を示したようです。

歴史を見るに、卑近な位置迄事象を引き寄せると趣深くなるものにて、 孰れ鷗外再読の際には更なる資料の公開も有るでしょう 其れも含めた一皮層の乗じた歴史観で臨めそうです。

参考URL(※)
  1. 平藩士の「黒船」視察記発見 いわき歴史文化研究会代表小野一雄さん(福島民報:2013年1月18日:2017年4月30日現在記事は削除されています)
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