30年の時を越えて蘇ったミヨタ・キャリバー9015ムーブメントと2010年問題

遷都論は近頃は落ち着いたようですが、ことあるごとに持ち上がる言説でもあり、 平安京より古くあれば都を遷すのは比較的頻繁でもあったようです。 王城たる都を移すのと同様、ご神体を遷す際には遷宮と呼び伊勢神宮の式年遷宮は良く知られた処です。 この式年とは定められた年という意味にて此れが伊勢神宮では20年となっている〔※1〕 のでした。

20年に1度の遷宮には技術の継承の意味も込められています。 而して持統天皇4年(690)から1300年もの時を越えて 伊勢神宮の社殿構築の技術は正しく後継者に受け継がれているのでした、 であるとすれば30年と言う年月は技術継承にはギリギリの処であるのかも知れません。 その意味では2007年秋の シチズン時計株式会社 の決断は機械式ムーブメント開発技術喪失の瀬戸際であったと言って良いでしょう。 そして2008年8月、最初の試作品が完成し、量産品としての品質が担保され2010年5月、 世に送り出されたのが Cal.0910 ムーブメントだったのです。

Techné Harrier Ref. 363 (Miyota 9015), versions 132 & 031

このシチズンの機械式ムーブメント復活プロジェクトは40人体制で発足し、 その発足式には100人が参加したと言いますから 社運を掛けると迄は言わない迄も相当期待の掛けられた大掛かりなものであったのが知れます。 最も重要な如何なるムーブメントに仕立てるかと言う設計思想の構築に於いては 他社製のムーブメントは勿論自社製の30年前の機械式ムーブメントであり 今も猶生産の継続せらるキャリバー8200番台も俎上に乗せるだけでは飽き足らず、 OBにも当時の様子や設計上の工夫点などの教示を受けたと言います。 此の辺りが30年を瀬戸際とする所以です。 こうして出来した設計思想を当時のプロジェクトを振り返るシチズン自身の公式サイト記事〔※2〕 より以下に引用しましょう。

それはクオーツ時計の場合と同じ、高い精度で耐久性も高く、 なおかつクオーツ時計で培ってきた量産技術による高いコストパフォーマンスを持った、 実用性能に優れたムーブメントです。 さらに、シースルーバックにした際の仕上げの美しさも追求し、 現在の主流の大径フェイスにも対応できる性能も持たせることになりました。 特にこだわったのは、パラショックという、 ムーブメントの心臓部を衝撃から守るシチズン独自の機構の採用です。 1956年に商品化されていた、世界に誇れる技術でした。 先輩たちは、私たちに大きな財産を残してくれていたのです。

斯く誕生したシチズンの30年振りの機械式ムーブメントは 腕時計界の耳目を集めるのも必然でした。 其の様子はネット上にも例えばイソザキ時計宝石店の THE CITIZEN AUTOMATICザ・シチズン・オートマティック〔※3〕 としても触れられていますし、発売当時の値段29万4000円や10年保証など、 そのブランド中の位置付けを感じさせる情報など〔※4〕 も報じられています。

30年の時を越え世に送り出されたシチズン製の機械式ムーブメントは自社製の腕時計のみならず 他社に供給されることを宿命付けられてもいました。 シチズンがムーブメント供給企業である、欧米で言うエボーシュメーカーであり その外販ムーブメントブランドとして MIYOTAミヨタ) があるのはかたむき通信にもガガミラノ〔K1〕 やLEGO腕時計〔K2〕 の記事などで取り扱いました。 実際シチズン公式サイトの機械式ムーブメント復活プロジェクトのタイトル 新たな時代を刻む。Cal.90XX 若手メンバーたちの不屈の精神で現代に蘇った、機械式ムーブメント開発技術 に謳われているキャリバーも0901ではなく Cal.90XX とされています。 シチズンの30年振り外販機械式ムーブメントたるキャリバーが Cal.9015 でした。 シチズン公式サイトにはこのムーブメントの雰囲気の有る写真を掲載したページ〔※5〕 も用意されています。

クォーツショックはアメリカ腕時計を絶滅させ、 スイス腕時計界を瀕死に追い遣ると共にその牽引車たるセイコーやシチズン自身をも虫食みました。 それほどクォーツムーブメントの登場が腕時計界に影響を与えたのは10年や100年単位ではなく 1000年に1度の画期であった証左とも言えます。 然るにシチズン自身も長い年月機械式ムーブメントの開発が停止したのでしたが、 此の復活の影にはスイス腕時計界の復活の原動力となった 高級機械式ムーブメントの再認識があったのです。 更に後押しをしたと思われるのがスウォッチ社のアナウンスに端を発する 2010年問題 でした。 必然的にキャリバー9015は中高級機の心臓部たるを宿命付けられたムーブメントであった訳です。

2010年問題とキャリバー9015の関係について興味深い記事が Chronos(日本版)2010年1月号 に掲載されています。 この号は特に2010年問題に焦点を当てた特集が組まれているのですが、その余波の第2として デファクトスタンダードと外販戦略の均衡点 があり、タイトルを モジュールビジネスに着手した国内2メーカーの対応を考える とされており、2メーカーの一方がシチズンでした。

此の特集記事に於いては2010年問題を主軸に据える為、 シチズンの新機械式ムーブメントも其の影響下にあったと考えてのものですが、 まとめとしては其処に因果関係は見出せなかった、としています。 新ムーブメント、キャリバー9015の基本スペックは 直径26.5mm、厚さ3.9mm、8振動/秒、パワーリザーブ40時間、 これに対しクロノス編集部が抱いた疑問点は以下、列挙されます。

  • ETA2892A2の代替機
  • 競合ムーブメントはセイコー4L、セリタSW300
  • 9015の当面のポジショニング
  • 今後の増産予定

此れ等にインタビュイーとしてシチズンの時計事業企画本部戦略企画部副部長の 三浦美男 氏が迎えられ、順次答えるには、先ずETA2892A2については業界標準機である為 プロポーションが似てくることはあるだろうけれども特別の意識はなく、 ムーブメントを薄型にしたのは汎用性を高めるためであって 企画初期段階から平行し付加モジュールも開発を進めている、とします。 セイコー4Lとは基本的販売方針が異なり、SW300とは生産キャパシティが異なる上に スイスブランド向けのそれとは自ずから競合とはなり得るものではない旨、示唆されれば 編集部ではノンスイスブランド向けの新機械式需要、 若しくはシチズン8シリーズに搭載される8200番台ムーブメントの上位機種と 其のポジショニングと見做すのはコスト優先であり30年の時を隔てはする8200番台ではあるものの 其の設計思想を受け継ぐムーブメントとして9015があるのと符合するでしょう。

興味深いのは増産予定についての質問への三浦氏の回答です。 以下に引用しましょう。

日本製機械式ムーブメントの需要増加は間違いないでしょうが、 それはETAの供給削減と直接的に結びつくものではありません。 やはりノンスイスの中価格帯メーカーの需要動向が変化したことによるものです。 しかし、それがクォーツのシェアを食うこともないでしょう。 世界的に見て、機械式ムーブメントの年産量は約2,200万箇程度ですが、 クォーツは約9億~10億箇という規模で生産されているのです。

更には現在も年、数100万箇単位で生産される8シリーズに比較して 新ムーブメントの月産が1万箇と公表されたのに対しては クロノス編集部は少な過ぎる感を顕わにするのでしたが、 其れに対する三浦氏のビジネスチャンスとして考える新ムーブメントの位置付けが 以下の如く述べられ、其処に於いては工場大量生産、薄利多売のマスビジネスにあらずして そのマスビジネスの後押しとなる強力なブランド構築に狙いがあり、 またマクロ的には腕時計界全体の指針とも言うべきものが見て取れる、 実に興味深いものです。

  • 国内生産に依る日本ブランドへの好影響
  • クォーツにない情緒的価値
  • スイスムーブメント以上の信頼性、利便性

シチズン側の言を借りれば2010年問題と直接に関連付けられはしない 30年振りの新機械式ムーブメントcal.9015ですが、 両者が共にクォーツショック以来大きな渦の中にある腕時計界に属するのは勿論で ゆっくりながらも大きく畝る潮流の上にあれば何某かの繋がりがあるのも否めないでしょう。

2010年問題はスウォッチ社のエボーシュビジネスと自社ブランドの 棲み分け問題に一因が有るのも確かです。 スイス腕時計界復活を強力に牽引したスウォッチ社は切り札とも言えるスイスブランドと 其れを支える機械式ムーブメントに於いても重要な役割を果たしました。 しかし其のブランドの問題に於いて大きな確執を抱えているのが 2010年問題に顕わになったのでした。

企画当初から付加モジュールを考慮された9015では2009年3月のバーゼルワールド、 ミヨタブースにて国内に先駆け発表され、其の年9月の香港ウォッチ&クロックフェアには既に マルチハンズのスタイリングプロトタイプを発表したのに顕れているように 孰れバリエーションを増やしていくことが想定されています。 欧州のエボーシュビジネスを日本的に言えばモジュールビジネスとなるこの事業の中核を担うであろう cal.9015はその絶対的生産量は少ないもののブランド的に重要な意味を持つのが明らかであり、 シチズンの開発体制と其の発足式にも大いに其れは強く自覚されているのを窺わせるでした。 見事にシチズンに機械式ムーブメント開発の技術を継承せしめたcal.9015は、 ではシチズン・ミヨタに於いてスウォッチ社に顕現した棲み分け問題に どのような役割を果たして行くのでしょうか。

使用写真
  1. Techné Harrier Ref. 363 (Miyota 9015), versions 132 & 031( photo credit: Technewatches via Flickr cc
かたむき通信参照記事(K)
  1. 腕時計界にガガミラノは定番と成るか一時の流行に終わるか(2012年11月10日)
  2. LEGO腕時計の世界(2013年3月6日)
参考URL(※)
  1. 式年遷宮とは?(伊勢神宮)
  2. プロジェクトストーリー~現代に蘇った機械式ムーブメント開発技術~(シチズン時計株式会社:採用情報)
  3. THE CITIZEN(ザ・シチズン)(★イソザキ時計宝石店★マイスター公認高級時計師(CMW)がいる最高技術の店)
  4. マニュファクチュールによる新型機械式ムーブメントを搭載――「ザ・シチズン」オートマティック(Business Media 誠:2010年05月14日)
  5. MIYOTA MOVEMENT cal.9015(シチズン:Photo)

追記 (2013年5月2日)
ミヨタ社ムーブメントと其の親会社であるシチズン社の興味深いM&Aについて シチズンのエボーシュ(モジュール)戦略とラ・ジュウ・ペレ を配信しました。

追記 (2013年8月7日)
機械式ムーブメントの系譜をキャリバー9015に繋ぎ得る役目を果たした8200番台ムーブメントについて ミヨタCal.8215〜シチズン機械式ムーブメントの伝統を守り続ける を配信しました。

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