木喰仏の木目

浜松市博物館の特別展として企画され 2016年10月29日から12月4日まで実施されたのが 遠江の木喰仏もくじきぶつ です。 遊行僧 木喰もくじき の刻んだ千体を超える木仏の内600体以上が今も残され、中にも遠江に造像された中には36体が現存、其の内九割にも及ぶ32体を展示した特別展には 通常より200円上げた500円の入場料に博物館の気概が現れているようです。 気の使いようも並大抵ではなく木喰仏の搬出に於いては博物館の他イベントを差し止めた上で行われれば 其れ等を貴重と考える館の姿勢も伺われました。

平成28年度浜松市博物館遠江の木喰仏チラシ表
平成28年度浜松市博物館遠江の木喰仏チラシ表
平成28年度浜松市博物館遠江の木喰仏チラシ裏
平成28年度浜松市博物館遠江の木喰仏チラシ裏

展示期間中折良く観覧の機会も得られましたが 其処にての自身の発想が博物館の学芸員に尋ねても要領を得ず、 身近な先学、有識者と話しても聞かれず、 展示及び購入した図録などにも見られないものでしたので 木喰に関する基本書とも言える 柳宗悦 氏や 中村精 氏の著作に併せ現時点で購入し手元に有す1997年に淡交社から刊行されたものを今年2016年に角川ソフィア文庫化した 五来重ごらいしける 氏の著作 円空と木喰 も未読ではありますが此処に開陳するのもまた一興と本記事をものする処です。 今回は特別展に合わせ編纂された 浜松市博物館特別展 遠江の木喰仏 図録 (以下、図録)のみを参考資料としました。 当該特別展は撮影禁止でしたので本記事に於ける作品の指定はこの図録に依ります。

五来氏の著作名にもある如く木喰仏の円空仏の影響下にもあると言われるのは成る程と首肯させられる部分がありますが 作を重ねるに連れ独自の作風に達するのは飄々たる宗教人と言え例外ではありません。 今回の特別展で陳列されたのは主に遠州に現存せるもので さて木喰が遠州に滞留し鑿を揮ったのは寛政11年(1799)11月19日から翌寛政12年(1800)6月12日の潤4月を含む約8箇月間でした。 木喰は寛政7年(1754)突然年齢を十加算していますが此れを考慮せず少ない方で見積もっても此の時七十二歳、 当時としては八十三歳という長命を得た木喰にしても 従って晩年、老熟した時期に当たり独自の作風が強く表れているとして宜しいものと考えます。 此処に一般に独自と目される宗教的なものにも、微笑みなどの形態的表現にもなく 今回は木喰円熟期に特徴的な について考察するものです。

丸とは特別展展示にも図録にも指摘されていた木喰の特徴を表す一字で 唯に造形から看取される感覚的なものに留まらずもっと直截に軸にも句にも表現されている事例が紹介されていました。 例えば軸に於いては図録の12番の墨跡 南無阿弥陀仏 は丸みを帯び更に14番の墨跡 では心の一字を大きな太い淋漓たる筆致の丸で囲っています。 此の14番などは木喰丸を語るに特徴的なもので添え句には 人は唯 内外ともに まん丸に にうはにんにく 諸人あいきょう とあり、日付は見られないものの浜松市の旧家に伝えられもし其の内容からも木喰円熟期の姿勢が表現されているものと考えて宜しいものでしょう。 他にも奥付に寛政8年(1796)とある表紙の色から便宜的に 青表紙歌集 と呼ばれる歌集に記載される315首中には まるまると まるめまるめよ 我が心 まん丸まるく まるくまん丸 があり木喰の文学表現に丸が特徴的なものとして現れます。

さて此処に一歩踏み込む主張が本記事の趣意にて其の丸が 木目 に表れていると考えるものです。 図録には此の言及が見られず特別展にて博物館関係者に尋ねるも分明ならずとの返答を得られるのみにて 師事する考古学、古文書の先学 幾人いくたり かに尋ねるも同様なれば此処に主張してみようと思い立った次第。

如何なる要件を以て此の着想を得たかと自問すれば ギター製作 の経験を挙げたく思います。 経験上エレキギターの ネック は幅広側を板目に木取りします。 工業製品として柾目が横方向に寸法が動くのを嫌う為もありますが 板目を見た目に美しいとするものとも仕込まれました。 従って木取りをするにも其れに気を付けて鋸を引きますから木を見れば目を見るのが身についている訳です。 木喰も木を削るのは観るだけの常人に異なり千体を超える多くを削り出したからには同じく目には常人に異なり気を取られる筈であると考えます。 土台が木を削るに当たって目を気にしない筈はありません。 割れたり折れたり木目は木工作業に於いて大きく影響を与えるからです。 木目を気にせず木工はなりません。 経験上には刃物の回転方向は勿論、細かい細工には当該部分が破損せぬように先立って孔を穿ち工作の助けにしたものです。

木目は斯くも厄介者であるのは翻って木工者の楽しみにも通じます。 なればこそ柾目を美しいと尊重する文化もあれば米国発祥のエレキギターの如く板目を美しく尊ぶ文化も見られるのでしょう。 節だらけの木地を成長が包み込んだ木目の複雑に入り組んだ材は 虎目鳥目バーズアイ などと呼ばれ特に珍重される文化さえあります。 因みに 太鼓ボディ が空洞の此方は欧州発祥のアコースティックギターの表板では構造上の理由もあり柾目が採用されているのは楽器屋店頭などに確認出来るでしょう。 此のようにギターに端的に見られる如く木工物に木目を生ずれば此れを整えようと言うのは人間の根源的な本性に宿る属性に思います。 即ち木喰は彫るに連れ次第に浮き出る木目に楽しみを感じていたに違いないものと考えるのです。 本記事に考察するのは学芸員に問えば其れなりに応答のある宗教や対象物造形ではなく 職人としての技法、手法、遣り方と拘り、楽しみを垣間見たく 其処に視点を絞れば返って木喰の職人としての在り方を通して本能に近い部分での根源的な心持ちが窺われ 延いては人間木喰に迫れるのではないかと思うのです。 木喰の彫る材から浮き出る其の木目は丸を呈していました。

木目が同心円的に丸状を呈するのは造像された表情の鼻と頰に顕著です。 特に此の特徴の今回の展示物中に著しく見られるのは兵庫猪名川町天乳寺の木喰の少なく見積もった方で言えば八十歳の自刻像と言われる、図録中作品10番 明満仙人椅像 です。 鼻にも両頬にも寺で字を習う子供の悪戯書きと言われる墨が黒々と残っていますが 射的の的の様な木目が表出していては其処に何某か打ち込みたくなるのは無理からぬ処で 子供ともなれば此の衝動に抗い得なかったのでしょう。 斯くも見事な同心円状に浮き出る木目を果たして木喰は意図せず削り出したのでしょうか。 削るに連れ浮き出る同心円を更に際立たせたく思う欲求に彫る者は丸で童の如く抗い得ないものと容易に想像されます。

平成28年度浜松市博物館遠江の木喰仏図録
平成28年度浜松市博物館遠江の木喰仏図録

図録の遠目の写真からでも其れと判ぜられる展示に於ける具体的作品を挙げれば作品49番 子安地蔵菩薩坐像 があります。 更に此の木目について思いを致させる像は共に浜松市方広寺に所蔵せらる図録中の作品35番 子安地蔵菩薩立像 (図録表紙及びチラシ表の像)及び作品36番 吉祥天立像 です。 此の両像は鼻と頬の先が綺麗に削ぎ落とされています。 見れば明らかに同心円に削り出された内の或る木目から剥がれ落ちています。 千体もの造像を祈願し達成した彫刻者が其の晩年に木の性質を知らぬ筈がありません。 細かい細工に木目が直行していれば其処から折れない筈がないのです。 即ち木喰は然う願わずにいたにしろ其の恐れを構わず顔面の中心と言う細かい細工に直行する木目を削り出しているのです。 柾目に削り出せば落ちる心配の無い鼻を板目に削り出しているのは意図的と言わざるを得ません。 此れこそ本記事に於ける趣意となる主張です。 木喰は造像にあたり自身の楽しみに表情に丸の浮き出る様意図的に木取りしていたものと考えます。

例えば柳宗悦絶賛の藤枝市光泰寺に所蔵さる図録作品51番の 聖徳太子立像 が畝る如き法隆寺の 百済観音像 を彷彿させる見事な其の構成は一木生成りに基づいているとされ 確かに此の造像が木其のものの成り立ちを活かしていると目されるのに代表される様に 木喰仏の特徴として 一木いちぼく から削り出す事例が多く見られますから単純に丸太材の周囲から削り出せば必然的に外に近い顔には板目が浮き出るのかも知れずとも考えられます。 従って浜松市方広寺の図録作品34番 準胝観音菩薩立像 では身体の最前部に位置する併せた両の手の所謂掌外沿の部分が削げ落ちているような像もあります。 唯板目を厭えば他の木取りの工夫も多くなる筈です。 しかし木喰仏には今回特別展に集められた作品に於いては 老成した木喰はいつからか此の形式を良しとしたのではないかと思えるほど ほぼ丸太を正面から削り出す形式に収斂されているかに見えます。

兵庫県猪名川町天乳寺に残される作品8番 得大勢至大菩薩立像 及び作品9番 聖観世音大菩薩立像 は図録に依れば調査で二菩薩の像底の年輪の一致が判明しており阿弥陀如来像の一対の脇侍を意識したものであり また展示に於いては材の節約を意識した結果でもあると説明されていました。 確かに丸太を半分に割って二体の像を削り出せば材は節約されます。 但し木喰の足跡を追うに材の豊富な内陸の村を移動したとされ 時には生の立木にさえ像を削り出すくらいの木喰であれば 一対の脇侍としての機能は幾分説得力があるものの節約のみが理由とは考え難いものです。 此れ等の理由に併せ此の木取りが削り出した像の表情に板目が現れ得る積極的な理由があったと考えます。 同時に此の木取りでは光背が柾目に現れ若しや其れも木喰の意図が強く働いていたように思えます。 更には清貧を語るに傾く余り見逃し勝ち、若しくは高潔を持ち上げたい向きには好ましくない傾向とも取れる 時間の節約も前二者の理由に併せ強く意識していたのであろうとはしかし遊行僧たる木喰の身を鑑みれば容易に推測される処です。 此の様に見れば上の明満仙人椅像には正しく光背に強く柾目が浮き上がっているのでした。

得大勢至大菩薩立像と聖観世音大菩薩立像にはしかし鼻と頰に丸を見ることは出来ません。 像が梵字の書き込まれた頭光の同心円の中間の円部分以外は墨で黒く塗られているからです。 しかし確かに梵字の背景には当然の如く柾目が通っており 顔の墨を洗い落とせば其処に木喰の丸が顕現するのは明らかでしょう。 木喰仏は多くが全体に木目が見えぬくらい黒ずんでおり従来囲炉裏の煙に燻されて色着いたものだとされましたが 最近では墨で塗られたのが明らかになっているとされます。 今回の特別展でも特に個人宅などに所蔵せらる小振りな像は黒々としています。 墨を多く必要としない小像では墨の塗り込みも用意及び時間的に遣り易かったのかも知れず、 其れは必然的に個人宅所蔵のものと重なり燻される環境下にあり易くもして上の見解が出たものでしょう。 此の様な見解が出るくらいですから造像を黒く塗り込む積極的な理由はありません。 では何の意図もなく木喰は形の成った像を黒々と染め上げだのでしょうか。 否、黒く塗ったのは木目に現れる己の拘りの見える気恥ずかしさを隠す意図があったと想像を逞しゅうします。 若し意図的に黒く塗られたとしたら其の意図として己れの快楽を知られる気恥ずかしさから隠したのかも知れずとも考えるのです。 さても墨や囲炉裏の燻を洗い落とせば表情には木喰の丸が現れる様な気がしてなりません。

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