Swatch(スウォッチ)の開発、誕生とアーンスト・トムケ氏とニコラス.G.ハイエック氏

腕時計に詳しい方なら当たり前のことかも知れませんが、 Swatchグループの創設者にしてスイス時計界の救世主 ニコラス.G.ハイエック(Nicolas George Hayek) 氏のSwatch開発当初への関与についてもう一つ分かりかねるところで、 かたむき通信でも2012年4月28日に スイス時計救世主スウォッチグループの創設者ニコラス.G.ハイエク氏とは をものしましたが、Swatch(スウォッチ)開発については深く言及の出来ないところでした。 若しご存知の方がいらっしゃればご教示願いたく思います。

因みにハイエックと言う名も日本語表記する際はブレが生ずるようで ハイエクと記す場合もあり、 オーストリアの経済学者 フリードリヒ・ハイエク(Friedrich August von Hayek) 氏についてはハイエクと表記されるのが通例となっているようです。

さてスウォッチについてWeb上を見渡せば、 何処かに原典があるのか大凡似た内容が散見されるようです。 それを今の処は取敢えずという感じで本記事にまとめてみたいと思います。

スウォッチの開発開始は1980年の春、3月頃とされるようです。 開発時のリーダーは当時のエタ(ETA)社々長の アーンスト・トムケ(Ernst Thomke) 氏自らがついて開始されたとして間違いないようです。

トムケ氏は化学を専攻しましたが医師でもあるようで Swatchの開発リーダーを務めたり経営にも手腕を揮ったりと 或る種、万能人であるようですね。 マーケティングの専門家として活躍していたところを ハイエク氏と重なるところですが日本勢の攻勢に晒されていた ETA社に1978年に招聘されました。

1983年から1984年に掛け SSIH(Société Suisse pour l'Industrie Horlogère)及び ASUAG(Allgemeine Schweizerische Uhrenindustrie AG) が SMH(Société Suisse de Microélectronique et d'Horlogerie) の名の下に統合されましたがトムケ氏はその最初のCEOを 同社を去る1991年迄務めていました。 此処等辺りのハイエク氏との関係については正直詳細は分からず また孰れの課題にしたいと思います。

トムケ氏は1991年にSMH社のCEOを退いてからも Motor Columbus 社や Oerlikon-Bührle Holding (OBH) 社、また Saurer AG 社などの経営再建に奔走したそうですので、 日本野球で言う野村監督のような 再生請負人のような方なのかも知れません。

何分クウォーツショックに揺らぐスイス時計業界を憂いての就任ですから 対日本勢を充分意識したコストダウンが大いに考慮されて開発は進んだようで、 其の為には従来のスイスの伝統的な方式を全て覆すコンセプトは必須でした。 それが部品数を減らしたシンプルな構造であり、 またそのために考案されたABS樹脂ケースに直接ムーブメントをモジュール式で埋め込む手法は スウォッチのファッショナブルな外観を構成する要因ともなったでしょう。 そして驚くべきはスイス勢にしてクウォーツムーブメントの本格採用でした。 これは今となっては当然の施策だったかも知れませんが、 当時としてはなかなか踏み切るのは難しいアイデアだったのではないでしょうか。

1979年当初は既に廉価なモデルとして開発が進んでいた デリリウム を基礎に研究と基本設計は進められたのも確かなようです。 そしてエンジニア、ジャック・ミュウラーとエルマー・モックと言う 2人の若手エンジニアの力も得て上記のムーブメント一体型などのアイデアも齎され 遂には1981年3月に部品数51個の軽く丈夫で 加えて防水機能付きの最初の試作品が完成されたのでした。 このモデルを ノン・ウォッチ と呼ぶそうです。

研究に一段落付いたためか以降プロジェクトネームを ポピュラス と改変し更に開発は続けられました。 スウォッチのシンプル構造に並ぶ特徴の一つ、 デザイン性はこの際に熟成されたのだと思われます。 そして此処にハイエック氏の関与が大きくなったのか 1981年7月には正式な名称が Swatch(スウォッチ) と定まったと言う訳です。 若しかしたらデザイン性を強く推し進めたのはハイエック氏かも知れません。 ハイエック氏に依ればSwatchと言う名称は巷間良く言われる Swiss Watch を意味するものではなく Second Watch と言う次世代の腕時計を意識した名称だとのことです。

デザインは名称変更の3ヶ月後、1981年10月に決定されました。 此処からはマーケティングの専門家たるトムケ氏とハイエック氏が協力し合ったのでしょうか、 翌1982年4月にはなんと120種類に及ぶ30万個のプロトタイプが先取的なアメリカでテストされ、 その結果27種類のデザインが製品化されました。 スウォッチの誕生です。

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