平安京の都市生活と郊外~書評~日本が先行した独自の都市概念

西洋的世界観が蔓延しては発想も西洋的な桎梏に縛られる中に その枷を外そうと試みるにはこの類の読書が最適でしょう、 古橋信孝 氏の執筆になる吉川弘文館刊行の 平安京の都市生活と郊外(以下、本書) です。

本書はその主眼を日本の都市考察に置きますが それは城壁を必須とする中国、西洋のものとは異なり 其処に郊外が重要な役目を帯びているのに着目します。 この考えを主張するに当たってはその材料の多くを文学に負います。 著者自身、文献を読む基礎は文学研究にあると主張するものです。 古典文学研究は勢い歴史学の基礎ともなるべきもので、 此処に郊外の意味を明らかに出来るのは歴史学であるとし、 それを実践している本書でもあるのですから、 歴史学、古典文学を嗜む向きにも満足を与える内容となっています。

些か主張を論証するための論文めいた書き様ともなっていますから、 その全体把握のためにも目次を随時参照しながら読み進めると理解が促されるでしょう。 目次を以下に記しおきます。

  1. 都市と郊外
    • 都市とは
    • 平城京の郊外春日野
  2. 平安京の成立と郊外
    • 平安京の立地
    • 桓武天皇の遊猟
    • 園神・韓神
    • 賀茂社
  3. 郊外の空間
    • 郊外をさす言葉
    • 郊外の範囲
    • 田と畑
    • 墓所
  4. 四季を感じる
    • 自然と交感する
    • 別荘
    • 郊外に住む
  5. 御霊を鎮める場所
    • 船岡
    • 紫野の今宮
    • 花園
    • その他の御霊会
  1. 郊外の怪異
    • 迷わし神
    • 郊外の外れ
    • 狐に化かされる
  2. 『源氏物語』の郊外
    • 北山
    • 桂・大堰
    • 宇治

2章が 平安京の成立と郊外 と題目付けられるように筆者は郊外を都市の成立と共にあると見ます。 都市を取り巻く郊外は日本に於いては城壁を挟まず補完し合いながら存立するのでした。 山々に囲まれ都が営まれるとき、山々と都の間の意識され得べき空間は と呼ばれていました。 平城京ではそれは春日野と呼ばれ、遷都が重ねられ天皇の代替わりに連れるものから 次第に安定に向かい定着に至った平安京では文献に 郊外 が見受けれるようになります。 郊外は都市の安定とともに現出し、 異郷から神々が訪れる際には必ずや此処を通らねばならぬため、 郊外を治めることこそ王権の保持につながったのでした。 神々が通り、また神々と接触する空間を限定し、其処を治めることで 自己の権威を保証した、と本書はします。

都市が平安京に安定すると郊外もはっきりと姿を現しました。 郊外の空間 ではその明確となった郊外の役割に言及するものです。 都ほとり生田舎 とも称された郊外は京の人々にその範囲や機能を明確に意識されるものとなりました。 此処に興味深いのはその範囲は揺らぎを伴うもので更には近江の地が 畿外でありながら郊外でもある特殊な空間とされたことです。 近江は境界的な地、即ち国際的な地であり、従って異国人が暮らし易い土地でもありました。 ここの件はかたむき通信にも書評を記事 〔K1〕 にした 近江から日本史を読み直す を併せ読むのが楽しくもあります。

とまれ郊外は宮中で消費されるのは固より郊外の田畑で栽培されましたし、 平安期の貴族の葬地として知られる鳥辺野も郊外でした。 源氏物語の葵上も鳥辺野に葬送され荼毘に付されました。 神の子孫たる天皇の居住する都では死穢が忌避され 鴨河原も島田河原も墓所として機能しました。 田圃として機能していた証拠となる文学では 今昔物語 の24巻2話が紹介されており、それは以下のような物語です。

桓武天皇の皇子高陽(かや)親王は巧妙な細工人でした。 或る年親王の領地の賀茂河原(郊外)の田圃が旱魃で干上がってしまいました。 ここに親王は背丈4尺程の童子が左右の手に器を捧げて立つ人形を拵えて立てました。 この人形は持つ器に水が溜まると顔に掛けるからくり人形だったのです。 おもしろがった人々が水を手に手に参集し次々に器に注いではその滑稽な動きを楽しみました。 こうして親王の田圃は旱魃の害を被らずに済んだのです。

何とも換骨奪胎したくなる創作意欲をそそるお話ではありませんか。

次章の 四季を感じる にはとても興味深い言説が記されます。 自然と交感する日本文化の代表的な特質は従来言われる農耕文化との関わりに成立するものになく、 都市生活の中で醸成されるものであると言うのです。 本書の冒頭 平城京の郊外春日野 に於いては万葉集持統天皇の藤原京に於ける 春過ぎて夏来たるらし白栲の衣干したり天の香具山 を挙げ都市に於いてこそ自然の変化を感じることを詠むその嚆矢たる歌として紹介しています。 これが都市として安定した平安京には愈々根付くとします。 自然との接触を楽しむ文化はむしろ農村を離れた都市民である貴族の中から芽生えたとするのです。 この文化は貴族たちが別荘を営み郊外に住む生活にも溶け込んであります。 都市の郊外に隠遁したのでもないに関わらず住み、同時にそれを楽しむ態度には 郊外が都市的な生活の中に定着してるとも言え、都市と郊外が切り離せない所以です。

この郊外暮らしは 山里 とも次第に表現され平安中期には歌にも屡読み込まれるようになるのでした。 本書は当該章に 小町谷照彦 氏の論を紹介しています。 万葉集には山里は見られず古今集から見られ其処では寂寥、憂愁と言う一貫した色調を備え、 しかし拾遺集になると積極的に中に入り込んで調和感や親近感によって その美をとらえ直そうとする姿勢が見られると言う論です。

郊外が墓所として機能すればそれは自然と 御霊を鎮める場所 としても意識されるでしょう。 上に挙げた鳥辺野と並ぶのは徒然草にも記され、また 保元の乱捕らえられた源義朝の斬刑に処されたともされる中世の2大墓所たる 船岡 は四神相応の地として選定された平安京の北の玄武にあたるとされます。 5番目にあたるこの章では船岡と共に辺りの紫野を取り上げその地が異郷との境界として、 墓所、処刑場であり、御霊社が祭られ、更には遊覧の場所としても機能する事例を挙げています。 他にも幾つか事例を挙げる中に広く御霊神社として知られるのが 祇園 社でしょう。 これ等御霊社は当時或る程度定着すれば今宮と呼ばれるように廃れたり復活したりする 安定しない存在でした。 数多の社が衰退する中、祇園社が今の世にも親しまれるように長く命脈を保ったのは 公権力と結びついたゆえであろう、と本書はします。

墓所として、御霊を鎮める場所として機能する郊外は自然と怪異を産み出し、 それを本書が文献に、主に今昔物語に求めたものが次章の 郊外の怪異 にまとめられます。 この章に至れば俄然身を乗り出す向きもあるでしょう。 当世流行のスピリチュアルなどの淵源と言えるものかも知れません。 これ等怪異も郊外の成立、それは即ち都市の成立と軌を一にするものでした。 郊外は都市的生活からすれば異界との境界であり入り口でもあったのです。 おむすびころりんの 鼠浄土 が如き異世界へ誘われる話は枚挙に暇がなく 迷い神 が異界の象徴として登場するものです。 そしてそれは凡そ実害も意味もないからかいや悪戯的なもの、これを本書は郊外的と称しますが、 一度郊外から真の異界へと足を踏み出せば命を失う羽目ともなる物語なども紹介されており 郊外と言うものの意味付けが明瞭に知らしめられるものです。 換言すれば都市はそのような危険な異界から郊外に拠って守られていたのです。 狐の名誉のためにと狐が人を助ける話が当該章の最後に紹介されるのもゆかしいものです。

最終章に用意される 『源氏物語』の郊外 は恐らくは京の人々に取って郊外の共通認識を表しているために 物語の重要な舞台として設定される郊外を物語の中に見るもので以て本書の締め括りとされています。

物語に見られる郊外は別荘の置かれる地でもあり 別荘では自然は理念的なもので謂わば作られた人工物であるのは 自然其のものと直接人が接するのは危険なものと考えられるからです。 なんとなれば自然はいつその荒ぶる性質を剥き出すか知れないからです。 第2章には平安京の成立と郊外の賀茂社の段に葵祭に見られる荒ぶる神を鎮める性格は 屡氾濫し京に被害を齎した賀茂川との関係が考えられるとありました。 異界との境界である郊外はこの荒ぶる神との緩衝地帯であるとも考えられます。

西洋、中国の都市は峻厳と外界とを区別する城壁を持ちました。 この破壊が近代化にも繋がるものでした。 日本はこれに先駆けて城壁を持たぬ都市空間を創造し得たため 近代化が比較的容易であったと本書はあとがきに記します。 しかし本書に繰り返し述べられる都市は周囲の郊外迄を含むものである、と言う主張は 換言すれば実に巧妙に閉じられた空間を創造し得た、とも考えられるでしょう。 鎖国ならぬ鎖都市、緩やかな鎖都市とも言えるのかも知れません。 それは華やかな宮廷文化を産み出す母胎ともなりました。 一方その都市では主役たる貴族は今昔物語に見られる様に一度一人で動けば迷い神に誘われ、 狐に化かされる存在でもありました。 緩やかなる閉塞感を象徴するような事象でもありましょう。 本書最終章に於いては源氏が郊外に明石を思う場面を引き、 源氏と明石の姫君との結びつきから孰れ明石一族、 即ち地方豪族が皇権の中枢を握る、と考えれば後の武家政権の在り様と重なるだろう、 といみじくも述べられます。 郊外を包括する都市文化は宮廷文化を開花させると共に 緩やかなる閉塞感を以て後の避け得ぬ武家政権の勃興を胚胎していたのかも知れません。

かたむき通信参照記事(K)
  1. 近江から日本史を読み直す~書評~中央と地方の狭間から歴史を見る(2012年10月4日)

追記 (2013年2月11日)
平安京北郊外に古墳時代から平安時代に掛けての多層的遺跡である植物園北遺跡の発掘調査に 当時当該地域の有力者の邸宅と思われる建築物の遺跡が見付かったのを受け 植物園北遺跡~多重遺跡の性格を持つ平安京の郊外 を配信しました。

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