東京駅リニューアルは駅開発復古である

世は兎角厳しい経済状況と高齢化を表すように 新築よりはリフォームが忙しくあるようです。 スケールは違いますが東京駅も同土地に新たにモダンなビルをおっ建てるのではなく、 辰野金吾氏設計の今は大正レトロな、 明治41年3月25日に着工され大正3年12月14日に竣工した[K1] 当時のものにリフォーム、リニューアルされ、 遂には改装なった駅舎が屋を貸す東京ステーションホテルと共に営業再開されたのは一昨日、 各メディアが挙って当日2012年10月3日に取り上げ吾人に周知されるものです。 昔に戻しながらも現代的な空間が演出されるその駅舎は 既に多くの人を魅了しています。

リフォームと言っても数百万から数千万円の個人のお宅とは些か規模の異なる 東京駅の場合はその費用は500億円もの金額を要したのでした。 唯にドームを再生、レトロな雰囲気を醸し出すのみになく、 また国鉄からJRに引き継がれるアイデンティティと言った薄っぺらいロマンのためのみにもあらず、 太い松の杭約1万本を地下に埋め込んだ建築は1923年の関東大震災でもほとんど被害は無かったという その強靱さも次代に引き継ぐべく大掛かりな免震装置も伴うリニューアル[※1] となればその金額も致し方のないものです。 それだけの金額を捻出されたのは単にこの駅舎がその意匠的優秀性と歴史的意義から 2003年(平成15年)4月に重要文化財に指定されているからのみではありません。 その経済的効果をも視野に入れたものでした。

駅が駅たるためには駅舎が重要なのではありません。 乗降客あってこその駅であるのです。 乗降客なくば従業員のアイデンティティだの原点としてのシンボルだのと言っても話にならない訳です。 駅は駅舎を作るのが目的ではなく、 駅舎の利用者を多くしなければならに宿命をも負っているのです。

此処に於いてメディアに取り上げられ勝ちなのは 矢張りお茶の間受けするドームの復元とどこか昔懐かしいレトロな雰囲気の 東京ステーションホテルを含む建築意匠なのですが、 それは集客に於ける一要因であり全てではありません。 もう一方には 空中権 なる東京駅の持つ権利が行使され巨額を産み出していたのでした。

人の多く輻輳する首都東京と言えどその建築は野放図にでかくして良いものではありません。 建築基準法には容積率の取り決めがあり、 道路などのインフラや設備など周辺環境に応じて 敷地面積に対する建築延べ面積の割合が厳しく取り決められているのでした。

処がなかなかこの法律が融通が利くもので 都市計画区域内ではある一定区域内に建築敷地の指定容積率の一部を、 複数の建築敷地間で移転する出来る 特例容積率適用区域制度 なるものが用意されているのです。 Wikipediaにはこの通称として、制度的には日本では 容積率移転 米国では 移転開発権(TDR=Transferable Development Rights)、 開発事業的には 空中権売買 と呼んでいる[※2] とされています。

東京駅開発にこそこれはあるような制度でした。 大正レトロの低層建築であればその敷地に比して容積率に余裕が出るのは理の当然、 JR東日本ではそれを売って巨額をリニューアル費用を捻出したのです。 これは東京都関係者との協力で考え出された方法[※3]なのでした。 三菱地所がJR東日本から空中権を買い取り建設、2007年にオープンした新丸の内ビルは、 これにより1300%敷地容積率基準を1760%に増やしたものですし、 JR東日本、三井不動産など数社が所有する八重洲口のツインタワーにも この制度は利用されています。 東京駅は超優良立地にありながらあの如き昔の低い構造では勿体無い、と 苦情を言う向きもありやなしや、 その分を周りに売っているのですから如何かご安心を。

さて、この空中権売買で増床のなった近隣建築は凡そ建築の自由度も上がり、 便利な多数のフロアーが現出することになり、 然れば必然的に企業誘致にも有利、 多くの勤め人が朝な夕なに往来することになる寸法です。 これ全て東京駅のお客さんとなるのでした。 即ち空中権を売ることは駅周辺の宅地開発をしているのと同義ともなり、 正に駅舎建設費捻出と利用者増大の一石二鳥を担っているのです。 これが延いては所有者であるJR東日本の収益にも繋がり、 駅舎の継続的な存在にも寄与することとなるでしょう。

考えてみればこの開発手法はその昔、 何もない野原に線路が一本通した時代の東急や西部などの私鉄沿線開発の手法です。 駅周辺に何もなければ如何に駅舎を魅力的に仕立てようと 人の行き来がある筈もありません。 其処で東急や西武は、宅地造成分譲や大学誘致などを積極的に展開したのでした。 これは 強盗慶太 の異名を取る東急の祖、故 五島慶太 氏のお得意の手法でしたし、 阪急東宝、宝塚の創業者、故 小林一三 氏の手法に習ったものだとも言われ、 孰れ駅開発の基本だったのです。 これが今、最も人の輻輳する東京の玄関口である 東京駅に適用されたのもゆかしいものです。

この駅舎の復元は1999年に当時のJR東日本松田昌士社長と 石原慎太郎都知事が会談して基本合意[※3]されました。 なかなか毀誉褒貶の多い同都知事ではありますが、 この件に関しては英断であったと言えるでしょう。 中には矢張り、と言うべきか高層化の構想もあったとされます。 良くぞ両者が復元に傾いてくれたものだと思います。 この決定あればこそ2003年に同駅舎が重文に指定されたのかも知れません。

駅開発の基本に立ち戻った東京駅には以上、二つの陰日向とも言える要点がありました。 大正レトロと空中権です。 とまれ利用者は陰たる空中権の件はいざ知らず、 たっぷり日向の部分の大正レトロを楽しみうら暖かな気持ちとなるのも一興です。

かたむき通信参照記事(K)
  1. 東京駅丸の内本屋が大正の趣に蘇る~ドーム屋根も駅舎内東京ステーションホテルも復元(2012年6月3日)
参考URL(※)
  1. 創建時の姿に復元された東京駅赤レンガ駅舎。免震工法などの最新技術も(日刊スポーツ:2012年10月2日:当該記事掲載元のニッカンスポーツ・コムすまい特集は2014年3月31日付けでサービスを停止しています。)
  2. 容積率(Wikipedia)
  3. “新生東京駅”は単なる人寄せスポットにあらず? 大正ロマンに隠された「首都活性化計画」の青写真(ダイアモンドonline:2012年10月5日)
  4. 東京駅、1世紀前の姿に復元-「坂の上の雲」の精神がよみがえる(ブルームバーグ:2012年10月1日:2019年11月7日現在記事削除確認)
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