拡大する日本最大級弥生遺跡~高知県田村北遺跡発掘調査成果公開

師走の世に幾つかの報道機関から伝えられた情報の震源地は高知県教育委員会の発した 日本最大級の遺跡の発掘調査に関する現地説明会の開催について[※1] でした。

第1図 田村北遺跡周辺の遺跡分布図
第1図 田村北遺跡周辺の遺跡分布図

西日本にも屈指の規模を誇る弥生時代の遺跡が 従来認識されていた規模を上回るものであるのが確認されたのです。 それは 高知県埋蔵文化財センター が長らく発掘調査を進めている 田村遺跡群[※2] の一角を占めるものでした。

右の第1図は当該センターが現地説明会資料[P1] として用意されたものですが、 田村遺跡群の現時点での規模が知れます。 赤く塗られた部分が田村遺跡群に相当するのですが、 その高地空港に重なる面積を鑑みればその広大さが窺い知れると言うものです。 今回、現地説明会が催されたのは緑色に塗られた部分で これが従来の赤部分と接続し田村遺跡群の規模を拡大せしめるものだと言うのです。

今回発掘調査成果が公表されたこの緑色の部分は 田村北遺跡 と呼ばれ平成22年(2010年)4月26日に高知南国道路建設に伴い発掘調査が開始[※3] されました。 平成23年、そして今年平成24年と調査事業は継続され今回の成果発表となった次第です。 現地説明会史料には下の第2図に引用する如く多くの竪穴式住居及び掘立柱建築物が示されています。

以てこの度の記者発表及び現地説明会と相成り 報道が幾つか齎されたでしたが、 何分従来の新聞的報道と言うものは要領を得ません。 自らが現地説明会に出向くのが最良なのですがなかなかそうも行かなければ 些か肩透かしを食って一旦食指が動いたものの満たされず困惑するのでしたが そんな時に現代なればインターネットに現地に赴きその様子を伝えてくれる記事があるのを見付け さすがCGM(Consumer Generated Media)の普及した当世と有り難く思ったのは以下 前田アキコ~地球の自由の女神のネットワーク さんに配信された一連の記事でした。

第2図  田村北遺跡 東部 遺構配置図(S=1/1000・弥生時代)
第2図 田村北遺跡 東部 遺構配置図(S=1/1000・弥生時代)

20日の記事に田村遺跡の存在と翌々日の現地説明会の開催を知り、 22日の記事に予習の成果を配信して後、 24日に実際に発掘現場見学会々場へ出向いた様子が 復習を兼ねた写真入の記事として配信されています。 写真に撮られたホワイトボードに記された以下の説明も分かり易いものです。

  • 1層目:表土
  • 2層目:古代遺構検出面
  • 3層目:弥生時代遺構検出面
  • 4層目:縄文時代遺構検出面(?)

此処田村北遺跡には幾時代もの地層が重なって地下へ保たれていたのでした。 実際現場では同区画に時代の異なる発掘物が見えるのが分かる様子も記されます。 このように1箇所に弥生前期、中期、後期と全期間を通じ 動向を追えるのはこの遺跡だけである旨も述べられ その価値の高さを知らせてくれます。

上の図にも平安期の荘園の様子を垣間見られる掘立柱跡と、 弥生の竪穴住居の規模を比べれば、 弥生が遥に規模の大きいものと知れ、 しかしそれは忽然と姿を消したと推定されるのだそうです。

規模の縮小された奈良、平安への断絶の理由は 荘園として展開された当地との関連もゆかしく 更に室町に掛けた変遷も実に興味を惹かれるものです。 私見ですが本記事冒頭に掲げた田村遺跡群全体図を見れば 田村北遺跡が更に北に展開する感も強く受けられます。 孰れこの発掘で、更には北に拡大された将来の発掘も含めて得られた知見も共有され、 様々なテキストも書き加えられ、書き変えられることもあるでしょう。

使用写真(P)
  1. 平成24年度高知南国道路外埋蔵文化財発掘調査業務委託 田村北遺跡 記者発表及び現地説明会資料(高知県教育委員会・(公財)高知県文化財団埋蔵文化財センター:2012年12月13日)
参考URL(※)
  1. 埋蔵文化財(遺跡名:田村北遺跡)発掘調査に係る現地説明会の開催について(高知県教育委員会:2020年1月14日現在記事削除確認)
  2. 田村遺跡群と発掘調査(高知港湾・空港整備事務所:2020年1月14日現在記事削除確認)
  3. 田村遺跡群(高知県文化財団埋蔵文化財センター)
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