眼鏡業界は21世紀を跨ぐ頃から実に厳しい過当競争に突入しました。 眼鏡専門雑誌、新聞、書籍を商う 眼鏡光学出版株式会社 に依れば眼鏡の平均価格は20世紀末3万円台で推移していたものが2000年ごろには3万円を切り、 漸次右肩下がりで2010年頃には遂に2万5,000円を切る程に迄下がって今や2万2~3,000円程で推移し、 即ち10年余りで3割ほどの価格下落が招かれていると共に 相関するべく1996年に約6,000億円あった其の市場が2009年には4,000億円を割り込み、 此方も3割余りが失われてしまう状況下にあるのでした。 当該業界に此の価格破壊を起こしている因は生産を中国に求めたからであると言われます。 此の状況下 ビジョンメガネ の倒産が帝国データバンク[※1] 、神戸新聞[※2] などに依り伝えられました。
ビジョンメガネを商号として1976年10月に個人創業された眼鏡小売業は1979年11月に法人改組され、 順調に眼鏡販売のチェーン店展開及び同業者の買収を続けながら成長、 業務拡大し2000年3月には株式店頭上場を果たし、 其の翌々年2002年3月期には約172億1700万円と言う売上高最高額を計上し、 また2004年12月には店頭登録廃止して、ジャスダック証券取引所に株式を上場しました。 しかし上記した眼鏡業界の価格下落及び市場縮小もあり愈々安売り競争に耐え切れず、 2009年3月にはジャスダック証券取引所株式上場を廃止、 持ち株会社のビジョン・ホールディングスと其の子会社のビジョンメガネの如く改組していたのですが、 業務改善の努力空しく両者は今月25日、東京地裁に民事再生法の適用を申請、保全命令を受けたのでした。 負債総額は両者併せて約77億円であるとされ、スポンサー企業を求め債務整理を続けるなどする中、 店舗の営業は当面継続するものと伝えられます。
ビジョンメガネを遂に倒産に追い遣った此の世紀を跨ぐ眼鏡業界の厳しい状況については ビジネスジャーナルに上手く纏められた記事[※3] が配信されており、縮小する市場を巡って 眼鏡市場、パリミキ、メガネスーパーなどからなる老舗グループと、 JINS、Zoff、owndaysで構成される新興御三家の対立に絡まる第三勢力で覇を競われているとします。 奇しくも記事は高価格安定の価格設定で儲けられる世界に老舗グループが過去30年間安住して来た地に 突如、新興御三家が中国、韓国などを工場基地とした廉価を武器に乱入して来た様子を語り、 此の安住していた老舗側にビジョンメガネはあって眼鏡戦国時代に順応ならずしての没落が窺えるものです。
一体、眼鏡業界と言うものは門外漢から見れば、 ブランドと小売、量販店が渾然一体となっていて分かり難い業界でもあるようです。 個人のブログに於ける比較記事[※4] もあり、眼鏡を専門に扱うサイトにも老舗と振興の相克を記す記事[※5] があり、業界動向サーチも当該業界を扱う[※6] ものの業界規模は2,000億円弱とされ、 企業は5社のみしか扱われておらず、 さてでは此れ又眼鏡及びサングラスを専門に扱うサイトに提供される 2013年11月11日から一週間の人気アクセスランキング[※7] を見れば以下となっています。
JINS Zoff ( ) - 眼鏡市場
Line Art CHARMANT ( ) - メガネスーパー
ALOOK ( ) Vivid Moon ( ) TOM FORD ( ) plusmix ( ) OWNDAYS ( )
此のランキングにて本記事に初めて目にする名が有ります。
Line Art CHARMANTが其れですが、
此れこそ門外漢には如何にあれ知る人ぞ知る眼鏡ブランド
今世紀に入り眼鏡は価格破壊もあって気軽に幾つも購入出来るものとなれば ファッションアイテムとして気分に合わせ、服装に合わせ選べる様に、 特に若年世代に認識されているようです。 彼等に取っては眼鏡の価格は格安店で売られている5,000円台、7,000円台のものが当たり前であり、 此の状況を齎したのが振興御三家でした。 Zoffが韓国を工場基地として一式5250円、7350円、9450円の3プライス制を打ち出したのを皮切りに ユニクロのファーストリテイリング社を範とするJINSが 一式5250円、8400円の2プライス制を以て追い、 更にOWNDAYSが振興御三家の一角として追随すれば 眼鏡業界全体を巻き込む低価格競争の嵐が吹き荒れたのです。
又特徴的だったのは新興御三家では其の業態を製造小売り、 即ち商品企画に始まり小売販売迄繋がる形態とし、 全てを自社管理することを以て柔軟に若年層などファッションに五月蝿い顧客ニーズに応え、 而して一人で幾つもの眼鏡を所有し、数とデザインで勝負、 所謂TPO眼鏡スタイルの現状が出来したのでした。
処で此の製造小売り業態は一般には眼鏡業界初とされ、 其の始まりが一昔前の未だ端境期とも考えられれば本記事にも分かり難い業界とした所以ともなりますが、 実は此の業態に先例のあったのは其れこそ社是にも近い方針として此れを推進して来た企業でした。 当該企業こそシャルマン社であったのです。 シャルマン社は眼鏡の自社内製に拘り、 僅か20g程の製品は実に200から250もの工程を経た結実である全ての工程を自社内で手掛け 部品一つ一つから製造し鍍金迄行い、 更には工場内では眼鏡の弦の開閉の2万回にも及ぶ耐久テスト機も揃えられています。 シャルマン社は実に売上高187億円、従業員約3,200人を誇る 国内眼鏡フレーム最大手でもあるのです。
加えて特筆すべきはシャルマン社は其の本社所在地が、福井県鯖江市川去町6-1、とされているように 福井県鯖江市に本拠を構える、此の鯖江市は眼鏡業界の大変革に没落を招かれた 嘗ての眼鏡産業の一大集積地でもありました。 国産フレームシェアの95%と言う寡占状況は然し一度 海外へ生産拠点が移れば地域を崩壊せしめる危険な状況でもありました。 或る鯖江市の元眼鏡職人氏はいみじくも、仕事が減ったんじゃない、無くなった、 中国から入ってきたら、もうあかん、と述懐します。 鯖江が眼鏡業界大変動の打撃を大いに被った証左には 福井の眼鏡関連メーカーは現在約200社とピーク時の約半分に減ってしまっているのです。 眼鏡の産地、鯖江はビジョンメガネと同じ凋落の道を辿っていたのです。
正しく其の真っ只中にあってシャルマン社は安定した経営を維持し、 しかも全てを自社管理する業態に於いては振興御三家に先んじること其の始まりはシャルマン現会長 堀川馨 氏が兄の経営するシャルマンの前身であり眼鏡部品下請工場であった 堀川製作所 に入社した1961年であったと言うのですから驚きです。 当初から氏が目指したのは部品作りから組立てまで一貫して担う眼鏡完成品メーカーでした。
眼鏡は常時顔の上、鼻に乗せ装備するからには
当然ながら非常にコンパクトで軽いものであらねばならぬは必然ながら、
其の製造工程は、金型制作、部品製造、研磨、組立て、鍍金など、
其のコンパクトさからは想像も付かぬ約200から250工程をも含み、
従って全てを一つの工場で賄い切れるものではありませんでした。
従来此れ等は分業されて完成品メーカーに納められる業態であったのです。
分業制の一下請け工場に過ぎなかった堀川製作所では
飾り
去る2013年11月7日、テレビ東京の作家村上龍氏がホストを務める人気番組 カンブリア宮殿 にシャルマン社と堀川氏が取り上げられ[※8] 逆風の眼鏡業界にシャルマン社は如何に生き残ったか、 をテーマにした放送回が有りました。 高くても売れる驚異の眼鏡の秘密は常識を破る技術力であり、 其の成長ストーリーは保守的な眼鏡業界の常識を覆す挑戦の歴史でもあり、 下請け製造業から奇跡の成長を遂げたかを解き明かそうと言う趣意です。
今迄と同じものをやろうと思って此の業界に入った訳じゃない、 今迄出来なかったことを我々はやる、とする気概が氏を表しているかも知れません、 1981年当時メタルフレームの全盛期にカラフルなフレームで以て発売した ネオカラー ブランドは空前の大ヒットをなし、シャルマン社の売上を前年比2倍に押し上げ、 同社の眼鏡日本一への大きな足掛りともなりました。 しかし当時日本に無かった此の色付けの技術を ドイツから購入するに当たり社内では一悶着あったと言います。 塗装が直ぐ剥げるであろうし、返品、返品で会社が潰れてしまうと 全ての役員、社員から大反対された、と氏は述懐します。 其れならば、と単身ドイツへ渡り当時でも1億円の此の技術を、 本当に高い、高いけれどもどうしても此のノウハウは欲しい、 と結局は自腹を切って迄して購入、 而して発売されたネオカラーは氏が、 まぁ売れましたねぇ、と顔も綻ぶヒットとなったのでしたが、 私と社員の関係だからもうあっさり勝負がつけば 当時は社長だったから、いゃぁ、社長は先見の明があった、と褒められて 氏も、良かった、良かった、と手柄話にもさらさらする筈もない、と言う話しを受けて ホストが、民主的な社風と其の総意を知りながら自らの趣意を遂げる社長を以て 何か幸福な会社だなぁ、と思う、として氏の笑いを誘うのでした。 即ち氏が、自分が信念を持って、此れが売れる、と思った場合は 矢張り誰に反対されようとも断固としてやると言う頑固な処があったかも知れない、 と自ら自省する企業トップの特性が有ったのが判然します。
斯くも一徹な氏は入社当初から一貫した方針を以て経営に臨みました。 即ち眼鏡部品工場から完成品メーカーへの脱却です。 部品下請け業は受注生産であればまことに安定した経営が出来るとは言え、 一度眼鏡業界全体の景気が悪化すれば注文がなくなるものの どんな眼鏡を完成品メーカーが作るか分からないため見込み生産が出来ない、 と言う不安定要素も孕んでいました。 眼鏡のフレーム生産への挑戦は経営の安定を図るためであったのです。 此の社内改革はまたフレームを作り販売する完成品メーカー足ることで 能力のある若い人材の入社を促進せしむる 企業存続の将来を見込んだ判断でもありました。
此の完成品メーカー足る方針は工場生産のみならず開発から販売に迄及んでいます。 同社には新たなヒットを産む為の特命チームが デザイナーや設計士、腕利きクリエーターの混成として組織され 常識に囚われぬ新しい眼鏡開発を行っています。 また営業スタッフにも一般に異なるユニークな手法が見られるのは、 街の眼鏡小売店では陳列棚指導もし、 実際に許可を取ってレイアウトさえ変更し、 更には自社のみならず他社製品迄鑑みた上で 小売店の売上げに繋ぐべく努めます。 小売店と一緒にシャルマンも儲ける、と言う訳で、 小売店々長に聞けば他に其の如き眼鏡メーカーは無いと言います。
此れ等全ての工程に全責任を以て社内で賄えば品質向上に与って力のあるのも論を俟たないでしょう。 企業トップの上記の頑固さは 中国が世界の工場として早晩日本の存在を脅かすだろうとは考える其の兆しの見えた段階で それならば自らは中国では出来ないものを作ろうと考える必然性を産みました。 其れは 圧倒的付加価値 を持った製品製造に繋がり延いては安売り競争に巻き込まれない存在へと自らを高めもしたのです。 例え高価でも買って貰える圧倒的な付加価値、 ネオカラー製造のためのドイツの技術も氏の脳裏には有ったのかも知れません、 そして結実した象徴とも言えるブランドがラインアートでありました。
ラインアートブランドは平均価格が振興御三家に及ぶべくもない高価格帯に設定されているのですが、 例えば伊勢丹の或る店舗の眼鏡売場に於いてはちょうど競合する値付けの シャネルやカルチェ、ブルガリなどの海外有名ブランドの並み居る中に 32ヶ月連続で売上高首位の座を守り抜いていると言います。 勝ち続けている其の理由は掛け心地に他なりませんでした。 番組中には店頭インタビューでラインアートを手に取る人々から、 或る人はすごく楽で掛けているのを忘れてしまう程であり、 或る人は己の顔にフィットする余り丸で自分専用に誂えたかのようであると聞き取ります。 レジで支払いを済ませた人は選んだ理由を一言、軽い、としたのでした。
ラインアート眼鏡ではフレームを開いてちょうど耳に掛ける具合にして
上から眼鏡を見たとき一般のものと比べ
エクセレンスチタンと名付けられた新素材は 最高の掛け心地を産む最高のチタンを作れ、との命を受けた 技術開発担当者が苦節8年の歳月を閲する間に開発ストップと言う厳しい命もありながら、 今だからこそ言える実は五分五分との成算も表面上は強気に半年の猶予を求めるなどしつつ、 漸く生み出した素材でした。 針金の形状の通常チタンとエクセレンスチタンの両端を握って曲げて離せば 元に戻るのは形状記憶特性を持つエクセレンスチタンだけ、 エクセレンスチタンはしなやかに曲がれば 眼鏡を掛けたときに米噛みに強い力が掛からず優れた掛け心地が齎されるのです。
此の優れた素材、エクセレンスチタンには難点がありました。 高熱を加えると性質が変化し優れた特質を失ってしまうのです。 しかしチタン溶接には1000℃の熱を加える必要がありました。 同温度の熱を一度加えるとエクセレンスチタンが形状記憶の特性を失ってしまうのです。 其処へ時を同じくして開発に成功した レーザー溶接 が登場したのは正しく天恵でした。 シャルマン社々内には レーザ接合 の名札も見られた其の技術は番組内ではレーザー溶接で統一され呼ばれている 5年の歳月を掛け完成を見た技術です。 此の技術に於いて極めてピンポイントの溶接が可能になりました。 1mm以下の極細レーザーで溶接するためピンポイントに一瞬加熱で溶接が賄い得れば 溶接部分以外に熱が広がるを防ぎ得、即ちエクセレンスチタンの材質変化を免れ得たのです。 斯くしてエクセレンスチタンは自由に加工され眼鏡フレーム足り得ました。
周囲の皆が安売り競争に走る中、シャルマン社は斯様に 長い技術開発期間を要する我慢の経営で以て圧倒的付加価値を擁すことに成功、 安売り競争には与さずして我が道を行き厳しい生存競争に勝利したのでした。 伊勢丹の眼鏡売場陳列に見られる如く現在世界は圧倒的にラグジュアリーブランド、 即ちイタリアやフランスの高級ファッションブランドが幅を利かせています。 其の中でグローバルに競争する為には素材や技術での差別化が必要であり、 シャルマンは世界トップレベルの技術を持っていると自負している、 と堀川氏は主張します。 其れに相応しい眼鏡、と言うことになると結果的に高い眼鏡になったのかも分かりません、 しかしそれだけの満足をお客様にあたえるならば私はそれで良いと考えております、 との主張には安売り競争とは一線を画した企業トップの強い姿勢が窺えるものです。
堀川氏の発言にはまた一つの特徴が有りました。 例えば、確かに圧倒的付加価値を持つのは極めて難しいが我々は世界中を相手に商売をしている、 なる主張です。 氏は世界を市場として捉えており、 此れも氏が堀川製作所に入社以来貫かれて来た方針でした。 氏が着手して来た事業は全て世界展開の目論見が有ったのです。 従って必然的に新事業に於いても此の方針は継承、 と言うよりは此の方針に叶う事業が新事業として採用されたのでしょう、 医療器具製造事業に於いてです。 眼鏡と医療機器は世界共通であるのが共通点だったのです。
医療分野は眼鏡に比較しても更にグローバル化し易い商品であり、 眼鏡ではアメリカ用デザイン、欧州用デザインがあり、アジア、日本とあって また年齢でも変える必要があるものの医療機器には其れが全く無く 国境が無く、万国共通で、強いて言えば大小の違いがあるだけでした。 氏はこんなにグローバル化し易い商品はない、とします。 斯うして参入当初から国内だけではなくアジアやアメリカなど全世界に売ることが 医療器具製造事業に於いては目標にされていました。
シャルマン社の医療器具製造の端緒は脳外科用の鋏でした。 実際に脳外科手術を執刀する大学教授からシャルマン社に器具製造依頼があったのです。 求められたのは何よりも軽さでした。 狭い術中範囲では落ちて臓器を傷付ることは最も忌まれる過失であり、 防止の為には軽さは重要なファクターであるからです。 而して仕上げられたシャルマン製脳外科用鋏は10g、 従来のステンレスを用いたスウェーデン製の約半分に収まるものでした。
得意のチタンを武器に去年2012年に医療器具事業に進出したシャルマン社は今や 眼科手術用鋏約5万円、脳外科手術用ピンセット約5万円、脳外科手術用鋏約13万円などを 商品ラインアップに加えています。
当該分野がシャルマン社に特筆すべきなのは鯖江地元企業との連携でした。 氏は今迄はややもすると何でも囲い込みでやって来たが 此れからは色んな人の協力もいただきながら私はやって行こうと考えている、とします。 眼鏡では一貫生産を目指したシャルマンが医療器具では 地元企業と協調を図る心積もりであるのでした。
地場連携の肝はチタン技術です。 氏には鯖江の地場産業としてのチタン技術を更に高らしめ、 此れを連携するに依って鯖江をチタンの精密加工の集積地にしたい希望があるのでした。 鯖江の人口は凡そ6万7千人、車をならば20分程で全ての工場に出向ける規模となります。 従って眼鏡で言えば200工程ごとのいろんな専門家が近くにいる訳だから 此の専門家連の連なる鯖江の町全体を一つの工場を考えれば良い、と言う発想です。 但し断片的な技術を持った工場の集まりでもあれば、 シャルマン社が横串として世話役を勤めて産地を育てようという目論見です。 地場の人々にに協力して貰うのは眼鏡業界のため、産地の為、 延いては結果としてシャルマン社のためにもなる、と氏はします。
既に此の目論見は実行に移され、 眼鏡用極小チタン製螺子の受注減に喘いでいた工場に シャルマン社が医療器具用部品であるチタンの長螺子を発注し、 当該企業経営者は厳しい中に一つの兆しが見えた、とする実績も有しているのでした。
但し此の目論見は地場に高いチタン技術が育まれていたからこそ可能となる訳で 例えば上記の医療器具用チタン長螺子は眼球治療用にて勿論引っ掛かりは決して許されず、 従って実に高い精度が求められもするのです。 最終的に完成品を納めることとなるシャルマン社の責任は言う迄も有りません。 シャルマン社に朝一番に行われる医療器具事業会議に自ら臨席する堀川会長は臨席者に、 医療器具は生命に関わる非常に大事な器具だから 最後の仕上げは全部我が社できちっとやらなきゃいかん、と強く述べるものです。 チタンに付いて此の如き専門性と確固足る自信を確立し得たからこそ 眼鏡業界に於いても生き残りを図り得たとも言えるでしょう。
なかなか勝負事と同様経営には人の和、地の利、時の運と様々な要素が有って ビジョンメガネの今回の倒産劇も一概には其の因を言え当て得ませんが、 大変動の同じ業界に有って尚逞しく生き残るシャルマン社との差異は何処に有ったか 考えてみれば何某かの一助にはなるでしょう。 堀川シャルマン会長の指針を以上の本記事から以下に抽出して見てみましょう。
そして最後に堀川氏が番組ホストの村上龍氏のインタビューを受けて応えた内容に於いて、 自嘲気味に少し開発費を注ぎ込み過ぎたかも知れないとし、 しかし掛け心地を追求する余りラインアートブランドに絶対不可欠な2大新技術である エクセレンスチタンとレーザー溶接が時を同じくして実現化した天恵とも言うべきタイミングについて 述べた部分が参考になるかも知れません。 曰く、其のタイミングは全くの計算外であり、 全く以ての幸運で社員一同の奮励努力の賜物であり、感謝以外の何者でもない、とする氏に ホストが超現実的な存在を示唆すれば莞爾として 確かに長い間経営をして来て経営には幸運が非常に大事だと考える、 自ら如きが此処迄至ったのは悉く幸運に恵まれたとつくづく感じている、 としながらも自らを敢えて評価するとすれば、 常に問題意識を持って、其の問題意識に対して常に行動を起こした、 此の点についてだけは以て自信があり、 然う言ったものがいろいろな意味で幸運を呼び起こしたのかな、とはほんの少しだけ思う、と。
追記(2015年1月25日)
創業者 吉田武彦 氏は平成20年、西暦では2008年にはビジョンメガネの経営に関わらない状況であったようです。 本記事に紹介した如く2000年過ぎを境に業態に著しい変化の齎された眼鏡業界の其の端境期をピークに ビジョンメガネは一時代前の業態として衰退を余儀なくされ、 然うなればオーナー経営者の求心力も衰えるのは容易に推測もされ、 模索の中に氏は眼鏡の開発及び経営コンサルティングに重きを置いた業態に挑戦したものと思われます。 平成16年7月1日とビジョンメガネのピーク時に氏を代表として設立された 株式会社プラネット・ビジョン60 (2019年9月27日現在webサイト閉鎖確認)の全株式を平成20年に氏が個人で買取、其方に注力をしていた模様ですが、 当該社の倒産が伝えられました。 東京商工リサーチによれば[※9] 2015年も明けて間も無い1月19日、同社は事業を停止し破産手続きを開始、其の負債額は3億円と考えられています。 借入金依存体質であったようですが借り入れして開発した商品の動きは芳しくなくジェイシーネットの配信記事[※10] にも触れられるように 売れない と言うのが最も重く影響したようです。 斯くも企業経営に於いては 何処ぞの金勘定ばかりで社会に何の付加価値も齎さない経営コンサルタントが曰うような小賢しい策を弄じるよりは 売れる商品こそが其の命脈を長ら 得させるに必要欠くべからざるものであるのでしょう。
参考URL(※)- 「ビジョンメガネ」経営元ジャスダック上場株式会社ビジョン・ホールディングスなど2社民事再生法の適用を申請負債77億円(帝国データバンク:大型倒産速報:2013年11月25日:2019年9月27日現在記事削除確認)
- 「ビジョンメガネ」が民事再生法申請 営業は継続(神戸新聞NEXT:経済:2013年11月25日:2019年9月27日現在記事削除確認)
- JINS、戦国時代のメガネ業界で独走のワケと課題 低価格とヒット商品連発の秘密(1/3)(ビジネスジャーナル:2013年5月24日)
- JINS、Zoff、眼鏡市場。安くて人気の店で購入したメガネのかけ心地やスタッフ対応を比較してみた(weberNote:2013年10月23日)
- 眼鏡市場(めがねいちば)の口コミと評判を徹底解明!(メガネスタイルマガジンOMG PRESS:2012年6月1日:2019年9月27日現在記事削除確認)
- メガネ業界の現状、動向、ランキングなど(業界動向サーチ)
- メガネ・サングラス人気ランキング(最新1件目~10件目)メガネ・サングラス最新ニュース(GLAFAS:2013年11月11日~2013年11月17日)
- 株式会社シャルマン 代表取締役会長 堀川馨(ほりかわ・かおる)氏(カンブリア宮殿:テレビ東京:2013年11月7日放送:2019年9月27日現在記事削除確認)
- (株)プラネット・ビジョン60(東京商工リサーチ:2015年1月23日)
- (株)プラネット・ビジョン60/自己破産へ(JC-NETジェイシーネット:2015年1月23日)