“あららげる”と“あらげる”の正当性

昭和、平成と我が世の春を謳歌していたテレビ局も、令和に至って遂に世の趨勢に逆らい得ず、ネット上に動画を配信する機会が増えて来ました。 視聴すればする程関連動画が推薦される動画アプリのアルゴリズムに仍って、 一旦ニュースを見始めると流れに乗って視聴も回数を重ね、 見るとも聞くともなく、タブレットからの動画ニュースの流し放しも至って普通の生活様式となりました。 そんな折、或るアナウンサーが面白い語彙を用いるのを聞きました。「あららげる」と言うのです。 時折尤もらしい鹿爪顔の連中ばかりが発声する処を耳にする此の「ら」音節の重なりには、 発声者の頑として譲らない決意の感じられる節回しに常々違和感を感じていました。 此の発声を以て、発声者に責任は無いとは分かりながらも如何にも訝しく感じらる気持ちが頭を擡げ、 少しく考察してみたく思い本記事をものしたものです。

Bing作「万葉集研究部屋」の印象画像

多くの至極まともな感覚の人々が「あらげる」と発声しているのを耳にする中に、 何故か、「ら」音節を重ねるのに得意気な様子であるのは、如何にも不可思議です。 辞書を引けば大凡「あららげる」とされてはいる様ですが、 矢張り幾ら考えても「ら」音節が重なるのを正しいと主張して引かぬ断固たる態度には、 奇異なものであれば訳も分からず尊ぶ奇形崇拝にも似た無教養ならではの衒学趣味が香ばしく鼻に付く感が否めません。 此の如き心持ちを抱かされる場合には大抵背後にきな臭い状相が横たわっているものです。

巷の状況

当該状況に関して、では巷ではどの様な状況でしょう、見てみます。 先ずは此の手の問題には得意満面でしゃしゃり出て来て出鱈目を吹聴しては尤もらしさを代表するNHKにて、その物ズバリの記事[※1] がネット上に配信されていますので以下に引用しましょう。

「声を荒立てる」「度をこして激しい声で言う」ことをさすことばとしては、 「声をあららげる」が伝統的な言い方です。 新聞社などの多くは「あららげる」のみを認め、「あらげる」は俗な言い方としています。 しかし、声に出して言う場合、「あららげる」より「あらげる」のほうが言いやすいことや、 「荒らげる」と書いてあるのを「あらげる」と読むという思い違いもあってか、 今では「声をあらげる」と言う人のほうが多くなっています。 NHKが平成3年(1991年)に行った全国調査でも、「あららげる」と言うと答えた人が19%にとどまったのに対して、 「あらげる」と言うと答えた人が77%にものぼりました。 このため、放送でも (1)「あららげる」[アララケ°ル]とあわせて (2)「あらげる」[アラケ°ル]を使うことも認めるようにしました。

第1101回放送用語委員会(平成3年・1991・09・12)
「あららげる」と「あらげる」

<決定>
  1. あららげる
  2. あらげる
(注)漢字表記
「あららげる」・・・荒らげる
「あらげる」・・・・荒げる

(ことばのハンドブックP166参照)

例に仍って何の根拠も挙げない儘「あららげる」を「伝統的」と言うのは、 相変わらずとち狂ったお巫山戯組織らしい言い分ですが、 本来は気象庁など大事な組織が使うべき筈の有り余る予算を、 普段は此の上無く無駄で恣意的に溶かしながらも今回に限っては全国調査に用いて数字を用意し「あらげる」も使用するとしたのは、 同組織にしては珍しくマトモではあるようにも薄ら感じられはしないでもないような気もしなくもありません。 但し全国調査で大勢を占めた選択肢をも採用する、とお茶を濁すのはどんな幼穉なおバカさんだって出来ることで、 本来は、何故「あららげる」が「伝統的」なのか、 「あらげる」は本当に選民意識に身を固めたNHKが愚民どもと見下す人々の勘違いなのか、 両者の差異は何時頃発生し定着するに至り、後者が広く用いられるに至ったのか、 此処辺りを確り調査してから其の尤もらしい「放送用語委員会」だかっちゅうのに臨むべきでしょうのに、 戦後総括をしない儘焼け太って猶、言葉狩りの首魁として日本文化を毀損する同組織には望むべくもありません。

加えて苦言を呈すれば、下らない老人向け慰みもの番組ばかり国民の共有財産たる電波を独占して垂れ流し、 聖人君子面して其の実若年層から自らの主要顧客たる老齢層への財産移転の幇助ばかりしていないで、 其の全国調査とやらの結果をwebなどにて公開すべきでしょう。 若し秘匿して都合良く手前勝手に使っていれば名前に公共を含ませるべきではありませんが、 「K」字が人事も予算も国に握られた「国営」であるならば諄くは言いません。 更には似た様な全国調査は文化庁でも行われ、データが公開[※2] されています。 レポート内に問13とする 「声を荒(あ)らげる」「声を荒(あら)らげる」の孰れを用いるかとの質問に対する回答の集計データを以下に表にします。

大きな声を出すこと 令和3年度 平成22年度
(a)声を荒(あ)らげる79.779.9
(b)声を荒(あら)らげる12.211.4
(a)と(b)の両方とも使う3.42.7
(a)と(b)のどちらも使わない4.05.1
無回答0.8
分からない1.0

以て「辞書等で本来の言い方とされてきた「(b)声を荒(あら)らげる」を使う割合が、 本来の言い方とされてきたものとは異なる「(a)声を荒(あ)らげる」を下回っている。」と解説しますが、 果たして、何故「あららげる」を本来の言い方とするかにはNHK同様踏み込んでおらず、 唯に調査機関に過ぎないならば「文化」の名を返上し、調査庁とでも称さなければなりませんが、 此の調査結果を元に単なる感想文を有料記事に仕立てて金を取る、 旭日旗をシンボルに掲げる日新聞よりはまだ増しかも知れません。

NHKごときのオーソリティ・スコアを挙げて一般に強制する人気迎合主義の具現化たるGoogleのアルゴリズムの上位は信頼に足りませんから、 もう少し深く検索結果に潜ってみて意見を聞いてみます。 すると此れ又その物ズバリのタイトルの記事[※3] が見付かりますので中を覗いてみると執筆者の神永曉氏は37年国語辞典ひとすじの辞書編集者とのプロフィールにて、 記事を以下に引用しましょう。

この「あららげる」「あらげる」は放送はそうであっても(新聞も放送と同じ)、 国語辞典では辞典によって扱いがまちまちなのである。それを整理すると以下のようになる。
(1)「あららげる」のみ見出し語に挙げているもの
(2)「あららげる」「あらげる」の両形を見出し語に挙げ、「あらげる」を誤用とするもの
(3)「あららげる」「あらげる」の両形を見出し語に挙げ、「あらげる」を誤用とまでは言っていないが、近年の用法であるとしているもの
 いずれにしても「あらげる」は、辞典の世界ではいまだに市民権を得られていないと言えそうである。
 しかし「あららげる」が本来の形だとしても、言語学的には2つある「ら」の1つが脱落して、「あらげる」となることは説明が可能である。 しかも「あららげる」「あらげる」ともに、江戸時代からそれぞれの使用例が見られる。 とすると、国語辞典の立場としても、放送や新聞がそうだからということではなく、しっかりとした根拠があるのだから、 そろそろ「あらげる」の存在を認めてもよいのではないかと考えるのである。

流石に辞書の中の人にて、NHKに加えて有用な情報が含まれているのは、 先ず言語学的に連続する「ら」音が片方脱落して「あらげる」ともなり得る、と言うのが一つ、 もう一つは「あららげる」「あらげる」の両者共に江戸時代の用例が見られる、と言うことです。 以て同氏はNHKと同じき結論に達しています。 兎も角も此の辺りが世間一般の認識と言って宜しいでしょう。

漢字「荒」

一般的認識が知れたとしても、それだけでは気持ちの落ち着かない向きも多いでしょうのは、 本記事をものする自身にも同様にて、もう少し詳しく見てみたく思います。 先ずはNHKは「あららげる」の漢字表記は「荒」であると雰囲気を以てか何を以てか兎に角決定した漢字「荒」字を見てみたく思います。 漢字を調べたく思うなら取り敢えずは白川静に頼るべきでしょう。 『字通』を見れば「荒」の字形は形声とあり、以下引用の如く有ります。

声符はこうこうは死者の象。 残骨を示す(亡)に、なお毛髪が残っている形。 そのような屍体の棄てられている曠野をという。 〔説文〕一下に「るるなり」とするが、 ただの荒野をいうのでなく、荒凶・荒歳の意を含む。それで辺裔の地、すべて生色なく無秩序の状態にあることをいう。 また荒大・荒唐の意がある。 あれの、あれち、死体の遺棄されるようなところ。 あれる、すさむ、すさまじい、みだれる。 ききん、みのらぬ。 やぶれる、そこなう、ほろびる。 おおう、ひろくおおう、とおい、大きい、遠いはて。 むなしい、うそ、から。 おろか、ほける、老いぼれる。

此れに続いて『字通』は「古辞書の訓」として『名義抄』の「𫟎」項目として 「アル・ムナシ・オホフ・タモツ・スサビ・スサブ・マトフ・アラシ・スツ・オホキナリ」を挙げています。

『類聚名義抄』[9]「𫟎」(国立国会図書館デジタルコレクション)
『類聚名義抄』[9]「𫟎」(国立国会図書館デジタルコレクション)

其処で『類聚名義抄』[※4] を見ると確かに「𫟎」として項目が設けられ、 「アル、ムナシ、オホフ、タモツ、サヒ(フ)、トフ、アラシ、スツ、オホナリ」と記されています。 本邦に漢字導入以来、平安中頃迄に「荒」字にどの様な訓みが定着するに至ったか、実に興味深くあり、 殆どが其々に白川の解説から連想し得るものばかりですが、 今回の「あら(ら)げる」に強く関連するものは無論、「アル」「アラシ」でしょう。 「アル」は筆頭に挙げられる如く、動詞「る」以外考えられません。

では「アラシ」は如何でしょう。 此れは、「高し」「早し」「赤し」などと同じきク活用形容詞「らし」に違いありません。 此処に於いて「る」はラ行下二段活用ですから、 「れ、れ、る、るる、るれ、れよ」と活用し、ク活用形容詞「らし」の 語幹「あら」と関係する其の物の活用形が見られません。 処で「る」は自動詞にて、 此の他動詞形となれば「らす」であるのは容易に想起されますが、 古語に於いては自動詞、他動詞が同型であるのは屡々見られる処にて、 此れが何時頃から此の形で用いられていたかがなかなか廉い辞書には見当たらず漸く『角川古語大辭典』での検出が叶った次第。 『角川古語大辭典第一巻』に於いて「らす」はサ行四段活用とされますから、 ほぼ現代と同様に「荒らさ、荒らし、荒らす、荒らす、荒らせ、荒らせ」と活用し、語幹が「あら」となり、これに接尾辞の「し」が接続した形容詞と見て良いでしょう。 「アラシ」は「アラ」を語幹とするク活用形容詞の終止形と見えます。 「あら(ら)げる」は如何も自動詞「る」の他動詞形 「らす」と関係が深そうです。

他動詞「らす」

他動詞の「らす」について、 現代語と同様に活用するとなれば却って判別や調査の為辛いものの、 『角川古語辞典』を詳しくみれば「「荒る」の他動詞。 」と有り、 『万葉集』の四四七七歌、『源氏物語』の第四二帖「匂宮」、御伽草子本地物の『熊野の御本地のさうし』、 江戸前期の服部嵐雪の『玄峰集』、宝永期の『昔米万石通』などから引いて説明されていますので、 古くから用いられていたのは間違いないでしょう。

更に詳しく説明を読んでみれば、項目の三番に「あらっぽくする。荒らげる。」との記載があります。 蓋し此処に問うている「あららげる」がありました。

其処で更に『角川古語大辭典』に項目立てられる「あららげる」を探してみますが、 残念なことに此れは見付かりません。 代わりに検出し得たのが「荒らぐ」でした。 以下に引用しましょう。

あらら・ぐ【荒らぐ】動ガ下二 荒々しくする。激しく、乱暴にする。「五郎兵衛詞をあらゝげ、コリヤ弥次兵衛」〔心中恋の中道・上〕

江戸時代中期の浄瑠璃作家錦文流の手になる義太夫『心中恋の中道』から引かれる用例を見てみれば、 若しやお目当ての「あららげ」ではないですか、 と思うのは早合点、「る」字が足りません。 此の用例に於いては「あらゝげ」と接続助詞の「て」を補い得る 「あららぐ」の連用形 「あららげ」です。 『角川古語大辭典』には「動ガ下二」とありますから、 「あららぐ」は分かり易さの為に下接語例を補い記せば 「荒らげ(ジ)、荒らげ(テ)、荒らぐ、荒らぐる(モノ)、荒らぐれ(ドモ)、荒らげよ」と活用するのでした。

終止形が「あららげる」となる動詞は果たして如何なる言葉なのでしょうか。 此れには古語から現代語への活用の変化を考慮に入れねばなりません。 学校でも習ったように現代、口語には下二段活用は聞かれず、下一段活用へと変化しているのでした。 従って「あららげる」は下一段に 「荒らげ(ナイ)、荒らげ(ヨウ)、荒らげる、荒らげる(トキ)、荒らげれ(バ)、荒らげよ」と活用する筈です。 従ってこそ辞書によっては「あららぐ」は、 唯簡便に、「あららげる」の文語形、と而已説明されているのでした。 通常の辞書で有れば此の滅多に用いられない言葉「あららげる」の、 更に文語形で有れば説明量の瑣少なのも致し方無いでしょう。

以上「あららげる」は実に近代的な用法であるのが判明しました。 近世に至って漸く此の如く下一段に活用して用いられていたものです。 しかも神永曉氏は「あららげる」「あらげる」の両者共に江戸時代の用例が見られるとしています。 すると其の用いられ始めた当初から両者は併存していた状況が浮かび上がります。 斯くあれば如何して「あららげる」の方が「あらげる」より伝統的だ、などと言い切れるのでしょうか。

大体が「あらげる」は間違っており 正しくは「あららげる」である、と主張する連中は此れを活用して用いてなどいるでしょうか。 「心を荒らげず保つ」の様に未然形で、「荒らげる運転を制止する」の様に連体形で、 「手法を荒らげれば抵抗は高まる」の様に已然形で、「試に筆法を荒らげなさい」の様に命令形で 用いることも稀に文人などには見られるのかも知れませんが、 殆どは終止形で、若しくは連用形にしても「態度を荒らげて圧し出す」の様な応用編ではなく、 「声を荒らげた」や「声を荒らげている」など終止形と一般と言わざるを得ない助動詞や接続助詞に結ぶだけの連用形の使用にて、 一般では殆どは終止形の類でしか聞いたことがありませんし、増して言葉遣いに胡乱な既存メディアに限れば使用例は皆無でしょう。 其の上「荒らげる」の主語は「声」限定でさえもあるでしょう。 現代では経済的合理性を以て面倒な下二段ではなく下一段に活用するのですから活用と言う程にもない状況に於いて、です。 即ち、この言葉は最早慣用句に近い状態でしか機能しておらず、「豈図らんや」や「願ったり、叶ったり」と一般です。 其の様にしか認識出来ないのであれば「荒らげる」は何時の間にか既存メディアに仍り一般に普及した「声」を主語として「声を荒らげる」として用いられる慣用句であり、 此れ以外の形で用いれば減点の対象になる、語源は分からない、とでもあからさまに説明した方が未だ正直なだけ宜しい。 斯うした愚かしい輩の言い分は凡そ、正しい、正しくない、以前の問題ですし、 伝統的などと言い出すのは以ての外にて度し難くお悔やみ申し上げる次第です。

兎にも角にも、以て「荒」字から出発して、 曲がりなりにも他動詞「あららげる」に辿り着きました。 如何やらあららげる」は特段の誤用にもなく、 既に巷間熟した慣用句でもあり、正しさを主張しながら斯う発声して已まない御同類衆には御同慶の至り、祝着〳〵。 此れにてご安心召された向きは以降は些か学問的趣きが濃くなりますのでどうぞお帰り願って、 お先ずっと堂々と勿体振りながらも景気良くドヤ顔にてご利用下さればと思います。

形容動詞化

扨、此処からが本記事の本論にて、 『類聚名義抄』の「𫟎」と「あら(ら)げる」の関係を見るに少し遠い儘、前段に少しお店を広げてみましたが、 碌でもない有象無象の相手だけでは流石に論説の据わりが悪いですから、もう少し掘り下げたく思います。

先ずは「らす」 「らし」の語幹の「アラ」の派生形から 「あら(ら)げる」に近いものを見てみれば「あらげ」が容易に想起されるでしょう。 再び『角川古語大辭典第一巻』に頼ってみた結果を以下に引用します。

あらげ【荒げ】形動ナリ「げ」は接尾語。海などが荒れて騒ぐさま。荒れ模様であるさま。「今日、あらけにて、磯に雪降り、浪の花咲けり」〔土左〕

此れは上の語幹「アラ」に形容動詞化する接尾辞の「げ」が接続したもので、 既に平安期の『土佐日記』に今日は海が「あらけにて」との用例が見えるとされていますが、 「ら」音節は重なっておらず、然うかと言って形容動詞はナリ活用にて「あらげ」と活用するものでもありません。 動詞化の接尾辞「る」を接続した、「アジる」や「サボる」、近年ではGoogle検索より派生した「ググる」などの「ル動詞」を鑑みれば、 当該用法は調べてみれば近世にも見られる可能性無きにしも有らずと言えども、基本的に「ル動詞」は名詞に「る」の接続したものとされますので、 此処では取り上げずにおきますが、しかし形容動詞なる品詞には何となく脈の有る感じがします。

そこで更に「ら」音節が重なる派生形を探れば「あららか」に行き当たります。 これも脈有り気な形容動詞で矢張り上の語幹「アラ」に形容動詞化する接尾辞の「らか」が接続したもので、 類似の構成を見るものに、えらか、おおらか、あからか、みじからか、たからか、あさらか、わからか、あきらか、ひきらか、にくらか、ふくらか、ほこらか、あざらか、うすらか、やすらか、ほそらか、なだらか、あつらか、びらか、つぶらか、すべらか、なめらか、おもらか、はやらか、きよらか、なよらか、うららか、きららか、くららか、しららか、ららか、わららか、かるらか、ゆるらか、れらか、れらか、かろらか、しろらか、はららか、ひろらか、まろらか、こわらか、さわらか、と此れはもう枚挙に遑がありません。 上は接尾辞を「らか」と見るものですが、他に接尾辞を「か」と見るものでも語幹末尾の「ら」字と続いて「らか」となるものを挙げると、 ほこらか、ほがらか、たいらか、めずらか、まだらか、つづらか、委曲つばらか、詳/審つばひらか、詳/審つまびらか、柔/軟やわらか、などが見られ、詰まり、接尾辞「か」でも形容動詞化する機能を有し、此の系統には あらたか、 おごそか、 確/慥たしか、 おろか、 おろそか、 幽/微かすか、 静/閑しずか、 長閑のどか密/窃/私ひそか、 仄/側ほのか、 ゆたか、 僅/纔わずか、 などが見られ、語幹には和語である所の「あらた」や「おごし」、「はつか」を吸収した「わずか」などが、 若しくは、ひそひそ、おろおろ、しずしず、ほのほの、ゆたゆた、などオノマトペとの浅からぬ関係も見られ、 最も古い形の形容動詞化の接尾辞にも見えます。

因みに、びやか、ゆるやか、れやか、さわやか、など「らか」に「やか」を変え得るものの見られる如く、 和/柔にこやか、つや/あでやかの「やか」も形容動詞化する接尾辞としては恐らく「らか」以上の用いられ方でしょうし、 他にはふくよか、なよよか、の「よか」、あさはか、あてはか、の「はか」、 も又、形容動詞化の接尾辞として機能している様です。 此れ等は「ら(か)」「や(か)」「よ(か)」「は(か)」など音節を列挙すると奇異にも見えますが、 母音、子音の音韻で考えれば若しかしたら筋が通るのかの知れませんが、此処では其処迄は触れません。 又、上に「か」単体での事例を見ましたが、更には「ら」単体でも形容動詞化の接尾辞として機能し、此れには きよら、 さかしら、 つぶら、 疎/疏まばら、 などが確かな所として挙げられる様に思います。

扨、形容動詞とはなかなか微妙な立ち位置の品詞らしく、 文慶喆氏の著す「日本語と韓国語における形容詞転成名詞の特徴について」[※5] には、以下引用の如く述べられています。

 日本語の近代文法の最初の品詞分類としては、「大槻文彦」(1891年)が上げられる.大槻文法では,「名詞」,「動詞」,「形容詞」,「接続詞」,「副詞」,「感動詞」,「助動詞」,「てにをは」の八つに分類している.この八つの数字は偶然にもラテン語文法の8品詞に一致する.大槻の次は,「山田孝雄」(1908年)の分類である.山田文法では,「体言」,「動詞」,「形容詞」,「服用語」,「(複語尾)」,「助詞」の六つに分けている、松下文法の「松下大三郎」(1930年)は、「名詞」「動作動詞」,「形容動詞」「副詞」「感動詞」,「副体詞」,「(動助辞)」,「(静助辞)」の八つに分けている.学校文法の基礎となった橋本文法の「橋本進吉」(1948年)は「体言」,「動詞」,「形容詞」,「(形容動詞)」,「接続詞」,「副詞」,「感動詞」,「副体詞」,「助動詞」,「助詞」の十種類に分けている、時枝文法の「時枝誠記」(1941年)は,「体言」,「動詞」,「形容詞」,「接続詞」,「副詞」,「感動詞」,「連体詞」,「助動詞」,「助詞」の九つに分類している.
 このような過程を経て,今の日本の学校文法では,「名詞」,「形容詞」,「形容動詞」,「動詞」,「助動詞」,「副詞」,「助詞」,「連体詞」,「接続詞」,「感動詞」の十種類に分けている、日本語の十品詞に対して,韓国語は,「名詞」,「形容詞」「動詞」,「助動詞」,「副詞」,「助詞」,「連体詞」,「接続詞」,「感動詞」のように九品詞なので,日本語にある「形容動詞」が韓国語には抜けている.

上には韓国語に「形容動詞」は分類されていない、とも述べられているなど、 成る程、自然の所産たる自然言語から截然と品詞なるものが分割分類出来るものではないものと思い知らされますが、 此れに雄々しく立ち向かう歴代の学者連の奮闘を見るに心が励まされます。 形容動詞は其の名の如く、形容詞の性質を有する、即ち物事の性質や状態を表す動詞とされるのは、 上の接尾辞を限っただけの中にさえ様々な事例の窺え、 個人的には状態の遷移を伴うものとも思え、 静岡県地元民に愛され今や全国的にも名を知られたげんこつハンバーグが名物の炭焼き料理店「さわやか」が店名として些か奇異な印象を受けるのは、 「さわやか」が名詞ならずして、 本来「さわやか」 「さわやか」と用いられるべき形容動詞たるからでしょうには、 例え品詞として分類されずとも、此処には此の如きある事象の表現に用いられ得る言葉群の括りとして追い掛けてみます。 此の如き言葉の一つとして「あららか」は 形容詞「あらし」の語幹「あら」に 接尾辞の「らか」の接続した「荒々しく激しい状態を表す」所謂形容動詞と考えられるでしょう。 此処に異様なる連音節に見え、統計的にもはっきり現代日本人に疎まれている頭母音に更に同母音で「ら」が 続けて連なる「あららか」は形成されたものと思われます。

さわやか浜松有玉店(2019年6月23日撮影)
さわやか浜松有玉店(2019年6月23日撮影)

形容動詞の動詞化

さらに「あららか」を「あららげる」、即ち「あららぐ」に近付けるには「あららげる」が動詞なのは明らかですから、 形容動詞の動詞化について見てみたく思います。 上に挙げた「らか」を接尾辞とする形容動詞が動詞として用いられる際に如何なる変化を伴うものか、事例を追ってみれば、 たいらぐ、 うすらぐ、 やすらぐ、 はららぐ、 やわらぐ、 などが挙げられます。

加えて「らか」以上に用いられる形容動詞化接尾辞「やか」の場合も見てみると、 ささやぐ、 たおやぐ、 わかやぐ、 あざやぐ、 ほそやぐ、 花/華はなやぐ、 そびやぐ、 しめやぐ、 さわやぐ、 など、「らか」と合わせた一連の事例群から、敢えて音韻ならず音節にて考えるに 「か」音を「ぐ」音に置き換えて以て動詞化されるものと見て良さそうです。 従って「あららか」は 「あららぐ」と品詞の転成し動詞たり、 上に紹介した如く『角川古語大辭典』にも項目立てられているのでした。

『角川古語大辭典』に仍れば「あららぐ」は下二段に活用する動詞にて、意味上他動詞であるでしょう。 上では活用に触れなかった事例に於いては 「たいらぐ」はガ行四段に活用すれば自動詞でガ行下二段に活用すれば他動詞、 「うすらぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「やすらぐ」はガ行四段に活用すれば自動詞でガ行下二段に活用すれば他動詞、 「はららぐ」はガ行四段活用他動詞、 「やわらぐ」はガ行四段に活用すれば自動詞でガ行下二段に活用すれば他動詞、 「ささやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「たおやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「わかやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「あざやぐ」はガ行四段に活用すれば自動詞でガ行下二段に活用すれば他動詞、 「ほそやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「花/華はなやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「そびやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「しめやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 「さわやぐ」はガ行四段活用の自動詞、 と、自動詞にしか機能しない動詞も見えますが他動詞として用いるには恐らく使役の助動詞を伴い用いられたのでしょう、 接尾辞「らか」「やか」を以て形容動詞化された上に更に接尾辞「か」を「ぐ」に置き換えられた転成動詞群に於いての大凡の傾向として、 ガ行四段に活用すれば自動詞、ガ行下二段に活用すれば他動詞として機能すると言えそうで、 決して都合の宜しい所を揃えたのではなく、 手当たり次第、無作為に掻き集めた此れら一連のデータ中には例外は見られません。

前段に面白いのはガ行四段に活用し他動詞として機能する「はららぐ」で、 此れが『大辞泉』に仍れば「ほほろぐ」と読んだ時には下二段に活用し、 『源氏物語』の「鈴虫」巻に「名香、蜜をかくしほほろげて、 たきにほはしたる」との用例を挙げていますが、 『精選版日本国語大辞典』では「ほほろぐ」を他動詞ガ行下二段活用とし、同じく『源氏物語』の「鈴虫」巻から 「荷葉かえふの方をあはせたる 名がうみちをかくし ほほろげて、たき匂はしたる」と同じき用例を挙げて猶、 「補注」として「挙例の一例しかみられない。「ほろろぐ」とする伝本もある。」としていますから、 なかなか言葉と言うものは型に嵌めて杓子定規に扱えるものになく難しいものですが、 ガ行にはたらく際に四段活用では自動詞、 下二段では他動詞と言う、各種事例から帰納された規則には、辛うじて当て嵌りはしそうです。

らか系動詞群

余りに興味深いデータの傾向が得られてしまったので、 此の一連の「らか」「やか」接尾辞に仍る形容動詞化から更に接尾辞「ぐ」を以て転成を重ねた動詞群を便宜の為に「らか系動詞群」と命名して、 命題「らか系動詞群は、ガ行四段に活けば自動詞、ガ行下二段に活けば他動詞として機能する」が「らか系動詞群」に特有の傾向か如何か、 序でに軽く他事例を見てみたく思います。

「らか系動詞群」と同じくガ行四段活用で自動詞に活くものを挙げれば、 継/次・ぐ、 祝/寿ぐ(く)、 しらぐ、かひろぐ(く)、けざやぐ、ささらぐ、ひろろぐ、 身動みじろぐ(く)、 さわぐ、 肩脱かたぬぐ、 みそぐ、 さやぐ、うそやぐ、しろぐ、 などが挙げられるでしょう。 又、ガ行下二段活用で他動詞に活くものを挙げれば、 ぐ、 精/白しらぐ、 上/挙ぐ、 ぐ、 丸/円まろぐ、 ぐ、 担/肩かたぐ、 さまたぐ、 ぐ、 ささぐ、 かかぐ、 もたぐ、 曲/枉ぐ、 よなぐ、 絡/紮からぐ、 ぐ、 虐/冤しへたぐ、 つまぐ、 ぐ、 穿ぐ、 しりうたぐ、 ひさぐ、 ひろぐ、 などが挙げられるでしょう。

此処で終えれば「ガ行四段に活けば自動詞、ガ行下二段に活けば他動詞として機能する」なる命題の主語は、 「ガ行動詞」に敷衍し得るでしょうが、それでは自説に都合良くデータを取り揃える歴史学者と一般ですから、 もう少しガ行に活く動詞を探してみれば、「ガ行四段に活けば他動詞、ガ行下二段に活けば自動詞として機能する」する「ガ行動詞」も見られます。 ガ行四段活用の他動詞としては、 削/殺ぐ、 ぐ、 焠/淬にらぐ(く)、 みしゃぐ(みじゃく)、 項/嬰うなぐ、 あふぐ、 覓/求ぐ、 濯/漱/滌すす/そそぐ(く)、 瞑/閉ひしぐ、 かせぐ、 などが挙げられるでしょう。 又、ガ行下二段自動詞としては ぐ、 禿ぐ、 わらはぐ、 ぐ、 うらぐ、などが挙げられるでしょう。

以て命題と全く逆の反証例を挙げましたが、更に上二段活用を見てみれば、 「ぐ」がガ行上二段活用の自動詞、 「ぐ」がガ行上二段活用の自動詞、 「ぐ」がガ行上二段活用の他動詞、 として事例を挙げられます。 因みに上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用、については日本人であれば誦じられて然るべき動詞群にて、 ガ行に活く動詞は見られないのは、教科書を見ずしても明らかでしょう。 而して、上に挙げた、四段、上二段、下二段を併せ閲すれば、 命題「らか系動詞群は、ガ行四段に活けば自動詞、ガ行下二段に活けば他動詞として機能する」が「らか系動詞群」に特有の傾向であると言えそうです。

此れ等のデータから帰納される命題が真である場合に導かれるのは、 「あららぐ」も、 「荒らが(ジ)、荒らぎ(テ)、荒らぐ、荒らぐ(モノ)、荒らげ(ドモ)、荒らげよ」と四段に活いて自動詞として機能する可能性が有る、 と言う事ですが、「あららぐ」が 自動詞として用いられた事例も若しや有ったのかも知れぬものの、 残念ながら管見に検出は未だ有りません。 元々が「あららぐ」は 他動詞「らす」と関係が深いとして辿って来たのでしたから、 自動詞「る」とは関係の薄いものとすれば、四段には活用しなかったのかも知れません。

あらあら

実を言えば、「あら(ら)げる」に興を惹かれたのは唯に垂れ流しのニュースから聞こえた「あららげる」而已にあらず、 折しも、町田家伝来の古写本『信長公記』を元にしてなるべく原文の体裁を重んじ注を加えたと言う桑田忠親の『信長公記』を読んでいた際に 「野田福島御陣の事」の段に「あらあら」と言う一語を目にしたからにて、 両事象が共鳴し合って脳裏に次第に占める領域を広げたからでした。 当該箇所をもう少し広げて引用すれば 「さる程に、三好為三・香西両人は、御身方みかたに調略に参じ仕るべきの旨、 あらあら申し合せられ候と雖も、近陣に用心きびしく、なりがたく存知す。」 と有ります。

『信長公記』の伝本について詳しい藤本正之氏の著書『信長の戦国軍事学』[K1〜8] に仍れば寛永期頃の古写本にて、 町田まちだ 久成ひさなりなる人物の蔵書にて、 今日では所在不明ですが、此れを底本に明治14年(1881年)に、 甫喜山ほきやま 景雄かげおなる 「我自刊我古書がじかんがこしよ 保存屋ほぞんや主人」と号す篤志家が、自ら編纂刊行した歴史書シリーズ 『我自刊我書がじかんがしよ』の内に刊行されている一冊とされ、 藤本氏は猶、他二十冊程の伝本との比較検討の上で『我自刊我書』刊本は町田本の可成り忠実な写しであると認められる為、 此れを伝本の一つとして扱うと迄していますので、桑田忠親言う所の町田家伝来の古写本とは、恐らくは此れを指しているのでしょう。

仍って「我自刊我本」を閲してみれば、当該箇所は 「去程𛂌 三好爲三 香西両人𛂞御身方𛂌調略てうりやく可仕旨粗雖被申合候近陣𛂌用心きひしく難成存知」 と有るのが見て取れます。 即ち「あらあら」とは桑田が読者を思い振ったものにて、 昭和には人口に膾炙していた副詞の「あらあら」ですが、 桑田の見識に従えば太田牛一も、詰まり織豊政権下の知識人も恐らくは其の様に読まれることを思い記したものでしょう。

町田久成

本筋からは外れますが、「我自刊我本」底本を所蔵した 町田まちだ 久成ひさなりなる人物については、 同姓同名の人物に天保9年1月2日生まれで、南北朝以来薩摩国日置郡伊集院郷石谷村に千七百石の領主として 連綿たる島津氏門族の町田家に出自を持つ薩摩藩士で明治30年9月13日迄生きた町田久成が見えます。 先ずは薩國同郷を以て知己として親しむに仍りものした重野安繹の撰文に委く、 彼の人物は、森有禮、吉田清成を含む19人の薩摩藩士を監督として率いての英国留学を経、 1867年開催のパリ万国博覧会にも参加した此の欧州遊学中に博物館事業に覚醒し、 しかし、帰国してみればご一新の嵐の吹き荒れる中、 明治新政府の神道国教化政策に依拠する仏教排斥運動、即ち廃仏毀釈を以て歴史有る貴重な美術品の数多の破壊、 流出を憂えては日本初の博物館創設を企図し、 遂に明治15年、内務省博物局長として後の東京国立博物館となる東京帝室博物館を創建せしめ、 初代館長に収まった人物[※6] です。

加えて、『薩藩画人伝備考』に「書畫ヲ善クシ古書畫古器物ノ鑑定ニ精シク其所蔵モ極メテ尠カラス」と有る如く、 町田久成は自らも鑑識眼に優れており、能筆能画家でもあり、又重野撰文に 「官金不給。則捐私財成之。」 「加以好古之癖。不能局束自檢。雖嚢槖一空不顧也。嘗撰其所私藏珍品。獻之官。」とも有り、 即ち、当該博物館充実に私財を以て当てる程熱心であれば、自らも蒐集を能くしたのは間違いなく、 其の一つに寛永期古写本が含まれていても不思議では無いでしょう。 其れにしても此の「雖嚢槖さいふは 一空すっからかんでも 不顧也おかまいなし」 なる一文には「バカですねー」と読んでいて思わず咲みが零れてしまいました。 最初に桑田忠親の『信長公記』を読んだ際には、今や珍重される典籍を織田後裔を名乗らぬ一介の庶民が所蔵するとは、 まるで仙人みたような感興を催したものですが、斯くの如き人物であれば成る程納得が行きます。

町田久成は漸く出来しゅったい成った帝室博物館長の座を、 就いた七箇月後には突然捨て、滋賀三井寺子院光浄院の住職となり[※7] 明治22年(1889年)、旧主島津久光の三回忌供養に合わせて園城寺にて剃髪の身に置いた[※8] とされ、此の際には『薩藩画人伝備考』に先にも引いた 「其所蔵モ極メテ尠カラ」ぬ所蔵品を「深ク感スル所アリテ悉ク賣却シテ佛門ニ入ル近世一奇人ナリ」 と有る如く、其の所蔵を悉く手放し剃髪の身に置いた「近世一奇人」とされれば尚更です。 重野撰文では、熊谷次郎直実と万里小路藤房に此の隠棲を準えてもいます。

甫喜山景雄が此れを借り受け「我自刊我書」を開板したのは明治14年にて、 晩年は官を辞し仏門に入ったとされる町田久成ですが、明治14年は漸く宿願成就して寛永寺本坊跡地に東京帝室博物館の成り、 初代館長に収まった其の前年にて官吏として現役として第一線にて活躍中ですから、勘定も合います。 ただ桑田忠親も藤本氏も町田久成についての言及は町田本の所蔵者と言うだけに留まっていますので、 此れが薩摩藩士の町田久成か否かは確証がなく、妄想に過ぎませんが、 手前味噌ながらありそうな話には違いないと思っているのです。

阿良々あらら

閑話休題、「あらあら」を辞書に頼ってみると、 『角川古語大辭典第一巻 に「あらあら(と)」が項目立てられるに副詞と分類され、 漢字として「荒荒・粗粗」を用い、「あらし」の語幹の畳語と説明されています。 『信長公記』でも「あらあら申し合せられ候」と正しく副詞として用いられています。 斯うなれば「粗」字を見るに再び白川静に頼るに如くは有りません。 『字通』に勿論「粗」は見つかり以下引用の如く記されています。

【粗】11/9791/ソ/あらごめ あらい ほぼ
[形声]声符は。 〔説文〕七上に「疏なり」とあり、粗米をいう。すべて粗大・粗悪なものをいう。疏・と声義において通じる。 あらごめ、精白しないままの米。 あらい、おおまか、おおきい、わるい。 ほぼ、おおよそ、あらまし。
[古訓]〔新撰字鏡〕粗 阿良々(あらら) 〔名義抄〕粗 アラカジメ・ホヾ・アシラフ・アラ〳〵・カタラフ・ホノカ・オホイナリ 〔字鏡集〕粗 マジラフ・カタラフ・ホノカ・アラウシテ・アラ〳〵・アラカジメ・ホヾ・アラシ・オロソカ・オホイナリ
[語系]粗・朧 tsa、疏(疎)shiaは声義近く、粗は粗米、 は鹿がばらばらに走るさま、 疏は歯かずの少ないくし。それぞれ字源を異にするが、もと同系の語である。
* 語彙は麤字条参照。

上の「荒」字と同じく『名義抄』が引かれる処でもありますが、 此の『類聚名義抄』は『日本大百科全書』の築島裕氏の解説に仍れば、 平安末期頃の宮内庁書陵部所蔵の写本が有り、成立は11世紀末頃と推測されています。 此処に於いて『新撰字鏡』と有るのは、此れも『日本大百科全書』の沖森卓也氏の解説に仍れば、 昌住しょうじゅう撰で、 寛平4年(892年)に草案成立後、昌泰しょうたい(898~901)年間、 更に加筆の上増補改編された、漢和辞書としてはわが国最古のものである、とされていますから、 『類聚名義抄』に先駆けること、ざっくり200年、 もう一つ引かれる『字鏡集』は『日本大百科全書』の彌吉光長氏の解説に仍れば、 菅原為長すがわらのためながを著者とする 平安、鎌倉両時代にわたって完成された漢字辞典で、寛元3年(1245年)の写本が現存する、とされていますから、 時代は大分新しくなり、『新撰字鏡』は此れよりざっくり300年前の辞書となり、沖森氏に仍れば 奈良時代語のおもかげを伝える語彙ごいが多く、 上代特殊仮名遣い崩壊後も本書にはコの甲乙2類が保たれている、ともされ、 言葉の「伝統的」とやらを見るにも、正当性を推し量るにも好適です。

『新撰字鏡』[11]米部「粗」(国立国会図書館デジタルアーカイブ)
『新撰字鏡』[11]米部「粗」(国立国会図書館デジタルアーカイブ)

早速『新撰字鏡』[※9]偏旁へんぼうを米部として見れば「粗」條の検出され、 「粗麁 同在古反略也䟽也保々又阿良々」と書かれています。 「粗」「麁」に於いては「同在古」とは古くは同根であるとの意味でしょう、 「反略也䟽也」とは反切を以て「略」を父字、「䟽」を母字として「粗」「麁」の音読みである「ソ」を表しているものと推測されますが、 残念ながら浅学にして飽く迄推測に過ぎません。 続く「保々」は白川は「粗」と其の儘にしてしまっていますが言わんとする処は、ほぼ間違いなく現代語と同じき古訓としての「ほぼ」でしょうし、 そして最後に確かに白川の書いている通り、古訓としての「阿良々」が記され、 即ち「あらら」と読まれていたのが判明します。 『新撰字鏡』には従って『字通』や現代の字典に等しく、語系、音読み、訓読みが記されているとなれば、 最古の漢和辞書としての面目躍如たる内容の千年以上を隔てた今に感慨深くもあります。

扨、桑田の振った「あらあら」は ローマ字表記すれば「ARAARA」となり、三文字目、四文字目に母音「A」が連続しています。 上代に於いては母音の連続は何しろ嫌われていたようで、片方が欠落するのは 『萬葉集大成』六卷「言語篇」に大野晋が執筆した「萬葉時代の音韻」に 「日本の古代語では母音接續を極度に避ける」とされ、此れを解説するに 「母音の連続を避ける傾向は極めて顕著」であって、此の解決法として「變母音を形成する」、「兩母音の間に子音を挿入する」抔挙げる筆頭に、 「一方の母音が脱落する」を挙げ、此の場合「原則として前項の末尾の音節の母音が脱落する」が、 「後項の語頭の母音が、前項の末尾の音節の母音より狭い母音である場合は、後項の語頭の母音が脱落することがある」としていますので、 「あらあら」の場合は四文字目の母音「A」が脱落し「あらら」となる道理ですから 上古には既に「あら」は 畳語の「あらあら」として用いられた上で、 程無く当時風に連続母音が厭われ「あらら」に変化したものと考えられます。

此れが室町末期から現代に後ろの母音が復活したとなれば、近世人は上古人よりは連続母音を嫌ってはいない様でもあり、 一旦は忌み嫌われたものの現代に至って復権して「あらあら」と読まれていることになるのが興味深くも有ります。 上古に比すれば遥かに現代語に近い戦国末期には恐らく桑田が推測したように 連続母音が復権して「あらあら」と読まれていたのでは無いかと推測します。 又連続母音を厭うより畳語に親しみを覚えるが上回る近世日本人の音韻に対する感覚も窺い知れる気がします。

形容動詞「あららか」と「あらか」の可能性

斯くして上古に熟した言葉としての「あらら」が見えて来たとなると、 上では「あららか」は形容詞「あらし」の語幹「あら」に「らか」が接続した語と見たものの、 しかし俄かに、副詞の「あらら」に、 形容動詞化の接尾辞「か」が接続したものとも見えて来ます。

上の「形容動詞化」の段では、接尾辞「か」のみでも形容動詞化する機能を有し、此の系統には あらたか、 おごそか、 確/慥たしか、 おろか、 おろそか、 幽/微かすか、 静/閑しずか、 長閑のどか密/窃/私ひそか、 仄/側ほのか、 ゆたか、 僅/纔わずか、 などが見られました。 此の同系列に「あららか」は属すると考えても奇怪おかしくはないでしょう。 「あららか」は和語「あらら」に接尾辞「か」が接続して形容動詞化した可能性さえ有り得、 「あらら」が原義の可能性さえ見えてきます。 詰まり本来「あらあらか」の可能性です。 形容動詞化の接尾辞「か」が古態を表わすものであれば尚更でしょう。

更には語幹末尾の「ら」字に形容動詞化接尾辞の「か」が続いて「らか」となる事例が、 ほこらか、ほがらか、たいらか、めずらか、まだらか、つづらか、委曲つばらか、詳/審つばひらか、詳/審つまびらか、柔/軟やわらか、などが見られました。 「ら」音と「か」音の其々単独でも有する機能が連続させれば尚、形容動詞の性質を聞く人に惹起せしめ易く思われる事例でしょう。 而して形容動詞化の接尾辞「らか」も発生せしめたものと思われます。 「あらら」が一旦奈良時代に熟している書証が有るだけに、 動詞「る」の形容詞化された「荒らし」がもう一つ進んで、 其の語幹「あら」に「ら」がついて「か」がついて、なる経緯は何やら迂遠にさえ感じられます。 上古に熟していた副詞「あらら」が形容動詞化され 「あららか」となり、更に動詞化され 「あららぐ」となって、延いては 「声をあららげる」と現代に慣用句として用いられている、 とも考えられる理屈です。

あらあらか」を原義であると考えるのであれば、 更に進めて「あらか」原義の系統も考えずにはおられません。 上には畳語のオノマトペを語幹として接尾辞「か」を加えた最も古い形の形容動詞化の形が幾例も見えました。 「あらあら」の畳語たる特性を捉えれば、 ひそひそ「密か」、おろおろ「愚か」、しずしず「静か」、ほのほの「ほのか」、ゆたゆた「豊か」 と同系列に「あらか」は属すると考えるのも奇怪おかしくはないでしょう。 副詞が形容動詞化した「あらあらか」の系統とは別に、名詞が形容動詞化した「あらか」の系統です。 すると「あらか」は上の「あらげ」と別系統に同じき形容動詞として派生し、 やがて「あらぐ」と変化し、そして「あらげる」となり、漢字も「粗」が正当となります。 名詞の「あら」でも接尾辞「か」を伴い 形容動詞化する資格は充分有しているとなれば、 上の「あららか」に見たと均く、 動詞「る」の形容詞化された語幹 「ら」は経緯が冗長に過ぎ、 比して「あらか」が他例を鑑みて 「確か」「俄か」等との類似で如何にも古態を示せば、一層蓋然性が高くあるでしょう。 即ち「声をあらげる」を正当とする可能性です。

桑田忠親『改訂信長公記』(新人物往来社史料叢書)
桑田忠親『改訂信長公記』(新人物往来社史料叢書)

しかし「あらぐ」は古語辞典には見えません。 流石に辞書に見えないものの存在を謳う程螺子は外れてはいませんから、主張は此処等辺りで已めておきましょう。 「あらか」は演繹的に導き出される命題が面白く、勢いで少し筆が滑りましたが、 但し「あららげる」結論は候補として 取り立てて「あら」も見えねば、 語源としての適格性に欠けるものでもなく、 「あららげる」が現在慣用句としてのみ用いられ、 死体の遺棄されるような「荒野」、即ち野蛮に近い意味に限定されて、 おおよそで大まかで出来の悪い「粗米」、即ち粗末、粗悪からは少しく遠ければ幾分分が悪いのですが、 声を「荒っぽく粗野」に変化させるのであれば、 「声をあららげる」に置き換えてさえも其れ程違和感は感じられず、 語源の可能性としては「あららげる」と折半され得るものと考えます。

ラ行に活く「あ」

此処迄見て来た上で漢字「荒」と「粗」が、本邦に於いては意味的に似通って見えるのは何故でしょうか。 此れは現代人の感覚のみならずして、古人も同様の感覚を抱いていた様に思われるのです。 其れと言うのも渡来時には元来別字たる 「荒野」の「クヮウ」と 「粗米」の「」を訓じるのに当たり、 古人は和語に同根ラ行に活く「あ」 を当てた様に見えるからです。 詰まり、別字に同じ和語を当てる時点で境界は曖昧模糊たるものであったのであり、其れは現在も変わりなく、 又英語に於いてさえ其の義は、形状にも、行為にも、天候にも当て嵌め得る 「roughラフ」なる一語に同じく見られるでしょう。 「ことはは格を得てとくへき事なり」と説く鱸有飛が『四十八音略説』に言う所に当て嵌めれば、 「あ」音節「一音に義ありて」、「そゆる音」ラ行の「ありて、事物をわかつ」と言う実践です。 畢竟此のラ行に活く「あ」の意味が「粗米あらごめ」から 「荒野あれの」迄に広く通じ、 分化されていない時点で、偶々此の方面に意味の細分化されていた漢字を受容するに、 「」と「クヮウ」に 共に同訓を当てたのだと思われます。

副詞「あらら」は 先ずは和語の名詞「あら」としてあったのでしょうし、 畳語に重ねられて「粗々あらあら」となり、 更には後の母音が脱落した副詞が熟して最古の辞書に見えるのであれば、 欽明朝以前、本居宣長に依れば応神朝から苦心惨憺して漢字を受け入れる[K9] 試みを重ねた本邦上古の恐らくは僧形の天才連の苦労が局所的に此処にも髣髴されます。

元来別字たる「クヮウ」と 「」に同訓を当てた、と言う仮説が正しければ、 後世紛糾を招くのは、其れも其の筈でしょう。 事情に因って吾人が祖先は「荒野」の「荒」と「粗米」の「粗」を訓じるのに当たり、和語に同根のラ行に活く「あ」を当てた此の時点で、 「あららげる」と 「あららげる」の混乱は必至でした。

クヮウ」と「」に 同根のラ行に活く「あ」が当てられたと言う元々が曖昧模糊たる境界を鑑みれば、 混同こそ正当であって、彼方は正しくなくて此方が正しい、なる主張は愚の骨頂でしょう。 連続する「ら」音節の後者の脱落については此処では委細論じませんが、 日本人が広く用いる「あらげる」が愚者の不当捏造で「あららげる」が古代からの伝統的正嫡であって漢字は「荒」を用いるのが正しい、 何時でも正しいのは選民たる教科書に忠実な奴隷の自分、 なる主張に低脳衒学趣味の嫌らしさが吐き気を催さしめるのは其処等辺りが素因に思われます。 メディアに大っぴらに己を選民として教養人を気取り大衆に喧伝したいのであれば、 ラ行に活く「あ」とは古代如何なる義であったのかを資料渉猟し、深く考究し、突き詰め解くが宜しいかと存知ます。

警鐘

形容動詞「あららかなり」を常用しない処か金輪際未経験であるのにも関わらず、 近世に至り漸く熟した他動詞「あららげる」を「荒」字を脳裡に描いた上で伝統的であると鹿爪顔に発声できるのは、 言葉を自動車に置き換えて言えば、反対車線を逆行する様な、 車止めを超えてコンビニ店舗建屋を突き破る様な、通学途上の子供達の列を襲い轢き倒す様な、 如何も感覚が相当狂っているとしか思い難く、 聊かなりとも思考停止状態を自覚し、無自覚な凶悪犯たるのを避けるべき症状を呈しているでしょう。

生真面目そうで、教科書を鵜呑みにして其の通りに発声したのでしょう本人の責任は、 認知症の老人宜敷追い求め難くはありますが、 確信犯なだけに深刻な事態が招かれ兼ねぬ、 しかしながら既存大手メディアを一瞥しただけでも此れが枚挙に暇の無いのは、一層深刻な状況でもあります。 特にテレビ局の不勉強な儘齢を重ねた薹の立ったアナウンサー上がりの何故か脚車を以て呼ばれるキャスターだかとやらが、 若年アナウンサーを制して鹿爪顔にしたり顔を重ねる喋りには、 凡そ本人は狂信的に信じ切っているだけに、 目が澄み切っている怪しい宗教の布教と斉しく注意が必要です。

公用たる電波を独占しながら公に情報発信するに必要不可欠な文化的素養を毫も磨くことの無い儘我が世の春を謳歌するに際し、 大向こう受けばかり伺うポピュリズムと金儲けに終始して、特に今や不動産業と化したテレビメディアは、 従前の行いの報いを受け、今後縮退運転に転じざるを得ないでしょう。 近くAIに置き換えられるだろうアナウンサー諸氏には、其れ迄の短い期間と雖も猛省を促したくあります。 然もなければ、メディアは己が不勉強に因る言葉遣いの覚束無さ隠蔽の為に態々、 言葉狩りに血道を上げた上に、埒も無く根も歯も無い「言葉は変わる」なる御都合主義の手前味噌擬製箴言[K1] を捏造拡散周知せしめ、己が私欲の為に日本の歴史を歪めんと企んでいるものと思われても仕方がありません。 DigitalD TransformationX の叫ばれるIT時代は中間業者が淘汰される時代でもあるのは屡々言われる処です。 中間搾取業者の 中間mediumに語源を持つ代表たる「マスメディア」は以て己を知り、 分を弁えるべきです。

斯く言いながら、自らはテレビの影響力を大きく見積もる様な古い価値観の輩にて、 目くじら立てて申し立てる迄もなく、 間も無く既存メディアが何としようと如何でも宜しくなろうやも知れず、 警鐘を鳴らす迄にも無きものとも思います。

最後に『角川古語大辭典第一巻には「あららか」が項目立てられ、 「形容動詞ナリ活用」とされ、説明の冒頭に以下引用の如く有ります。

「らか」は接尾語。「あらあら」の転とする説は誤りか。

先学は既に此の可能性を考えていた様で、感心させれらました。 断定には至らぬものの「あらあら」の転とする説を如何なる妥当性を以て誤りと見たかは知りたくはありますが、 此の正誤については後学に委ねることとしましょう。

かたむき通信参照記事(K)
  1. 当代随一のドキュメンタリー作家太田牛一(2012年11月12日)
  2. 織田軍桶狭間に迂回奇襲せず(2012年11月14日)
  3. 墨俣一夜城は築城されず(2012年11月23日)
  4. 異例戦国大名姉川に正面衝突す(2012年12月3日)
  5. 攻城戦開城慣習に反する殲滅鏖殺(2012年12月9日)
  6. 新戦術は長篠合戦にありしか(2012年12月24日)
  7. 鉄甲船本願寺の補給路を断つ(2013年1月1日)
  8. 本能寺と甲州武田氏の滅亡(2013年1月7日)
  9. 『変化抄』は「へんげしょう」か「へんかしょう」か(2023年3月5日)
参考文献(※)
  1. 「荒(あら)らげる」と「荒(あら)げる」どちらがよい(NHK放送文化研究所:2000年11月1日)
  2. 令和3年度「国語に関する世論調査」の結果について(文化庁:2023年9月30日)
  3. 声を「あららげる」か「あらげる」か?(日本語、どうでしょう?:2010年10月12日)
  4. 類聚名義抄[9](国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 「日本語と韓国語における形容詞転成名詞の特徴について」(文慶喆:東北文化学園大学総合政策学部『総合政策論集:東北文化学園大学総合政策学部紀要』)
  6. 小学校道徳資料(鹿児島県総合教育センター:平成21年11月)
  7. 令和4年度特別企画展「守るひと町田久成展」の開催について(いちき串木野市:2022年12月19日)
  8. 町田久成像(文化遺産オンライン)
  9. 『新撰字鏡』[11]米部「粗」(国立国会図書館デジタルアーカイブ)
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