マナスル~イモトアヤコさんの登頂プロジェクト第5の山

僅か一畳敷きほどの山頂に3分間、 見渡せど周りは真っ白な靄に包まれるのみ、 しかし山岳師弟は幾多の困難を乗り越えて確かに其処にありました。 世界第8位の高峰は標高8,163m、ヒマラヤ山脈の Manasluマナスル 峰です。

師匠は山岳界に此の人在りと称される国際山岳ガイドの 角谷道弘 さん、弟子は言わずと知れた人気テレビ番組 世界の果てまでイッテQ! に珍獣ハンターとして子供達に大人気の イモトアヤコ さんです。

数人が在れば誰かが零れ落ちそうな其処は確かに登山の門外漢が山頂、頂上と言う言葉から連想するに相応しく 天空に鋭く突き出す高峰の最頂点の感を強く抱かされます。 モンブランに師弟が登ったとき[KQ2] 高い山に登れば登るほど見えるものは美しくなる、と角谷さんが発した言がありました。 そして今日、8,000mからの眺望は角谷さんが喩えるにまるで宇宙のようですよ、と言う其の絶景は 流石イッテQ!とイモトさんらしく真っ白な靄に隠されてしまう顛末でしたが 確かにイッテQ!旗を掲げる二人の頂上での雄姿は画面に大きく映し出されていました。

Himalayas @ Golf Club, Katmandu photo credit by SouthAsiaGolf
Himalayas @ Golf Club, Katmandu photo credit by SouthAsiaGolf

此の登頂プロジェクトの成功には大きな反響があり、 ネットなどにも多くの書き込みがなされ、各種記事[※1] も配信される処となりました。

標高8,163m、世界8位の高峰、ヒマラヤはマナスルの頂に師弟が立ったのは 2013年10月2日午前10時32分、 日本をヒマラヤへ向け旅立ったのが2013年9月1日でしたから一ヶ月に及ぶ過酷な冒険でした。 イモトさんはマッターホルンは一日頑張れば何とかなるけれどマナスルは違う、と言ったのは此の長期間もありました。 この冒険譚を番組に紹介するのにイモトさんがスタジオに在ったのは 世間が重々感じている登山の危険さに見る者の不安を煽るような演出となるのを案じたからかも知れません、 先ずは演者の無事の帰国を視聴者に安心のために見せておく意図があったようにも感じられます。

マナスルの挑戦がエベレスト登頂を目指すイモトさんに イッテQ!登山部顧問の貫田さんから告げられたのは 2013年3月の、と或る日であったのはかたむき通信にも記事[KQ5] にした処、世界最高峰のエベレストでは標高8,000Mから上を其の名も Death Zoneデスゾーン と称し、人類がどう足掻いても順応し得ぬ其の環境は体感温度凡そマイナス40℃、 否が応でもどんどん衰退する、所謂 高所衰退 を招く一方であり、其の上、雪と氷の世界であれば アイスクライミング と言う特殊な登山技術が要求され、 また過酷な山に於いて長期間過ごす精神力が必要ともなれば 是非とも一度8,000m超級の山を経験しておくべき、と言う判断なのでした。 世界最高峰登頂を目的に結成されたイッテQ!登山部に取っては マナスルはエベレストへの最終関門として聳え立ったことになります。

三浦雄一郎さんとはモチベーションが違う、 いっちゃいけない気がしてきて… とマナスル挑戦を告げられた際に述懐したイモトさん、此のプロジェクトを此の率直な感情が通底することになるのでした。

そんな気持ちでイモトさんがヒマラヤを擁する ネパール連邦民主共和国の標高1,300mに位置する首都Kathmanduカトマンズ入りしたのは9月3日でした。 其処で気合一新も兼ね、またお風呂も此れから1箇月の間は入れないから髪を切りたい、 お洒落でいけてる髪型にしようと、街一番の高級美容院に出掛けた際に 美容師さんにモデルとして撮影スタッフが差し出した写真が最高の登山ヘアに違いない登山の神様 三浦雄一郎さんの写真でしたが、 恐れ多いイモトさんはやんわり拒否して木村カエラさんの髪型を指定した結果、 見事、森昌子さんヘアーが仕上がればクスクス笑った登山部の面々も断髪を余儀なくされたのです。

9月4日にはマナスル山麓のにある人口700人の山岳民族の村で 富士山の頂上(標高3,776 m)に匹敵するサマガオン(標高3,780m)入りします。 村へはネパール軍の軍用ヘリコプターに一か月分の食料から登山用具、 撮影機材迄いっぱいに詰め込んで向かいますから、此の登頂プロジェクトが如何に費用が掛かるものか容易に想像が付きます。 マナスル登山隊は此の村で組織、準備されるのです。

紹介された登山隊メンバーは以下、リストアップしましょう。

  • 角谷道弘さん:チームリーダー
  • 貫田宗男さん:登山部顧問
  • 奥田仁一さん:登山家
  • 中島健郎さん:登山家
  • 三戸呂拓也さん:登山家
  • 大城和恵さん:日本初の国際認定山岳医
  • 門谷優さん:製作技術スタッフ・山岳カメラマン
  • 石井邦彦さん:製作技術スタッフ・山岳カメラマン
  • 佐々木由さん:製作技術スタッフ・山岳カメラマン
  • 廣瀬あかりさん:製作技術スタッフ・技術・音声担当
  • 石崎D史郎さん:登山部主任・番組ディレクター
  • 小野寺健さん:番組バックアップディレクター
  • 藤野研介さん:番組アシスタントディレクター
  • 現地シェルパ13人
  • 現地コック2人
  • 現地キッチンボーイ4人

登山隊メンバーについてはイモトさんの公式ブログ[※2・3] に於いても自らの声として労いの言葉と共に感謝の意が綴られ紹介されています。

荷物運びにキャンプの設営、ルート工作など登山隊を強力にサポートする頼もしい シェルパ とは高地に暮らす民族の名称であり、 今回イッテQ!登山部を支援するシェルパにもサーダーと称するリーダーはエベレストを11回登るなど 面々がヒマラヤを知り尽くした心強い味方であり登山の極々エキスパートです。 中には16回エベレストに登っている猛者も在ります。

斯くして日本屈指のアルピニスト達がイモトさんを全面サポートし、 今回は三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊にもチームドクターとして参加した大城さん、 音声担当の廣瀬さんと女性も併せて3人と今迄にない大所帯の布陣が取られました。 女性もメンバーに交えた今回は因みに余りに仲の良い大城さんと貫田さんに嫉妬してか、 イモトさんからはAKB並みの恋愛禁止令が言い渡され、 何かあったら即刻首、山から下ろさせる旨、お達しが下されました。

軍用ヘリを用いたにも、其の中にいっぱいに詰められた機材にも、更には此の大所帯を見ても 山登りにはかなりの出費を強いられるの如何に門外漢であろうと伝わります。 従っておふざけ半分では出来ない訳ですし、 嘗てイッテQ!番組中にデヴィ夫人がイモトさんに詰問したように 番組制作費の多くを消費せしめて尚、是とされるイモトさんの人気の程も伺われるのでした。 さても此の村に5泊をし、高所に体を慣らし装備を整える次第となったのです。

明けて9月5日、晴れ渡った景色の中に遂にマナスルが間近く登山部の面々に見通せました。 マナスルとはサンスクリット語で精霊の山の意です。

Manaslu Circuit photo credit by Zabara Alexander
Manaslu Circuit photo credit by Zabara Alexander

嘗て難攻不落の山と言われたこのマナスルを史上初めて制したのは日本人でした。 1956年5月9日登山家今西壽雄氏とシェルパのギャルツェン・ノルブ氏が初登頂、 以来2012年5月迄の56年間に4,000人が挑戦して頂上を極めたのはシェルパを除き552人、 登頂成功率は即ち20%となります。 此の成功率の大きな影響を与えるのが天候です。 ベースキャンプからの登頂アタックには5日間の日程を要するため、 この間天候が持つのは稀で春と秋にそれぞれ2~3回の機会しか生まれないからでした。

マナスルに最も怖いのが雪崩であり、マナスルは雪崩の巣窟とも謂われ、 いつ何時雪崩が発生するか分かりません。 角谷さんは皆に無事に帰って貰う、それだけを考えていると言います。 高所順応にメンバーが其々の時を過ごす中、毎日の義務としての健康状態測定時、 石崎Dの体重が90kgオーバーしメタボが発覚してしまいました。 イモトさんをイラつかせるメタボも楽天石崎Dには何処吹く風、 でもこの楽天的なディレクターがイモトさんを実は落ち着かせてくれてもいるのは自身のブログ記事[※2・3] にある通りです。

ポーターが7km先のベースキャンプ迄、 食料、登山用具、撮影機材を併せて何と其の重量は3tにも及ぶ荷物を運んでくれる中、 登山隊は往復6時間のトレッキングで身体を慣らすなどし、 9月9日、初の標高4,800mに位置するベースキャンプ入りとなりました。 ベースキャンプへ向かう道々の映像が画面に映し出されば門外漢に現地の秩序、ルールを思わされたのが、 登山家はポーターさんに道を譲るべきであると言うことです。 40kgの荷物を担ぐポーターさん、そしてヤクと牛の交配種であるゾッキョは一頭当たり50kgの荷揚げを担当し 後ろから彼等が遣って来れば登山家達は有り難く道を譲るのでした。

村を出てから7時間、ベースキャンプに到着です。 此れから2週間、ベースキャンプで高所順応トレーニングに費やす予定となり、 其の内容はスタジオの出演者を驚かす以下の様なものでした。

  • 順応トレーニング1セット目:キャンプ1(5,700m)迄登り下山
  • 順応トレーニング2セット目:キャンプ1を経由し、キャンプ2(6,300m)迄登り下山

一ヶ月のマナスル冒険譚の最終章、山頂アタックは上の順応トレーニングを2セット熟す 2週間の高所順応を経て後、其の後天候を見極めアタック開始、 而してベースキャンプから5日間の道程を行きます。 途中キャンプ1からキャンプ4にテントを張り、4泊5日で頂上を目指すのが 理想的な登山行程であり予定として組まれます。

9月10日、晴天にマナスル山頂から連なる稜線上の岩峰、ピナクルが見えます。 ベースキャンプにはイギリス、オーストラリア、中国など 世界各国から17組、総勢153人の登山隊がキャンプ、宛ら一つの村を形成しているのですが、 これが後々イモトさんにもなかなかの影響をあたえることとなるのは 山に憑かれた山男ならぬイモトさんには今は知れぬこと。

順応のために過ごすベースキャンプでの4日間は暇を持て余しもするようです。 かたむき通信に槍穂高縦走の記事[KQ5] をものした際に記したイッテQ!番組との中継が実施されたのはこの時でした。 また登山プロジェクトに於いては恒例、イモトさんの実家へ電話を掛ける模様も映し出されました。 お父さんは娘のイモトさんと電話しているのに石崎Dの心配をしたりしています。 ベースキャンプの標高を聞けば じぇじぇじぇ 、娘の頑張るわ、の一言を聞けば、じゃぁ帰って来たら… 倍返しだ と流行のフレーズを取り入れるなどイモトさんも呆れるほどイモトさんのお父さんでした。 斯うした暇の中に各自其々身体は高所に馴れ、お互いのコミュニケーションから絆が深まる時間でもあり、 角谷さんは、チームワークが良ければ良い結果が必ず出ると言います。 何もしていないように見えて登頂プロジェクト成功には大事な期間でもあるのでした。 遂にはベースキャンプは最早天国と言うまで完璧に順応したイモトさんです。

9月14日を迎えて順応トレーニング1セット目の1泊2日の行程を実践します。 トレーニングがアタックメンバーの選抜も兼ねているのは、 人数が多ければそれだけスピードが遅くなれば デスゾーンに居る時間を最小に押えるべく最少人数に抑える措置、と角谷さんは言います。 イモトさんは此処へ、トレーニング2セット目及び山頂アタックと、 あと2回も来るのかと思って気分が滅入ります。 其処へ楽天家石崎Dの真骨頂、 2回目3回目は楽になって近所のパチンコ屋へ行くみたいなもんだよ! と発するのに怒りマークが頭の脇に浮かびこそすれ、 角谷さんが本当に2回目3回目は楽に、速くなるものと言えば流石にイモトさんも納得です。

5時間掛けて標高5,700mのキャンプ1に到着したとき、 寒いのが高山病に一番良くないのでテントに入ったら持ってきたもの全部着て下さい、 と角谷さんの指導が入り各自テントに潜り込みました。 日が落ちれば気温はマイナス10℃と云う厳寒の中、 取材道々テントを回る石崎Dが偶々テントから顔を出していた顧問の貫田さんに寒いですね、 と声を掛ければ、不思議そうに、え?と首を傾げて、 暖かいですよ、天国ですよ(ハート)と莞爾たりと答えます。 其の足で石崎Dが横のイモトさんのテントにオヤツを持って尋ねれば、 寒いよ!とイモトさんの顔が強張っています。 今テントの中で一人で寝袋に入っていたらなんか泣きそうになってきて… と涙が溢れ出すのを見た、石崎Dは持参のポテトチップを差し出して優しく食べな、食べな、と促せば ペキ、パリ、と少しづつ齧りながら、 ただ横で天国だった言っているジジイがいて …何言ってんだこのジジイは 頭おかしいんじゃねーか、あのジジイは(怒) ここが天国なわけねーじゃん、と思ってイヤんなってきたよ! と泣きじゃくりながら訴えた様子にテントから幸せそうに首を出す貫田さんの映像がオーバーラップして スタジオは大爆笑に包まれたのでした。 余りの精神的な脆さに石崎Dが気を使ったのか イモトさんは音声廣瀬さんのテントに引っ越して2人で仲良く夜を過ごすことと相成りました。

翌日ベースキャンプに戻り、再度数日各自が身体を休める中、 もう上がりたくないよ、人の心をあの寒さはズタボロにするよ、 といつもの様に愚痴を漏らしていたイモトさんに歯が痛み出すと言う緊急事態が発生しました。 登山では歯の不調は最悪の事態でこの痛みを抱えたまま登山は不可能です。 イモトさんあっての登頂プロジェクトに石崎Dは カトマンズまでへりをチャーターすればお幾らぐらいと貫田さんに尋れば 大体60万円くらいと驚きの値段ですが、 此処は貫田さんが全体のコーディネート、ストラテジック、兵站の 面倒を金銭面迄併せて見てくれているのがとても良く分かるシーンと言えるでしょう。 一晩考えて、と云う石崎Dに即決で、もう行くわ、と流石決断が早いイモトさんに、 基本的には払いたくないが涙を呑んで電話を受けたプロデューサーは承諾したのでしたがテロップには、 なにやってんだよ、イモト(怒)!byプロデューサー… とお笑いドキュメンタリーらしい本音が零れました。

さても決断が早いイモトさんは 3人しか乗れないヘリに貫田さんと大城ドクターが同行して下山したカトマンズの歯医者で 躊躇無く前歯の抜歯までしてしまったのです。 イモトさんは奥歯2本に前歯の計3本と予想以上に悪かった症状は 詰め物をした歯の根っこに膿が溜まってそれが気圧の変化で神経を圧迫していたのでしたが、 奥歯は上手く処置できたものの前歯の詰め物が複雑で上手くいかず、 ならばと思いっ切り良く抜いてしまったと言う訳です。 一人のテントは寂しがるが歯を抜くのなんて大したことじゃない、それがイモトさんなのでした。 治療に3日を費やせば此処ぞとばかり、風呂に浸かってベッドで眠ったらしいイモトさんは またヘリでベースキャンプに帰還すれば些かストレスも解消された様で、 カメラの向こうの良い子の皆に、ちゃんと毎日歯を磨こうね、 とニッコリ笑った口元の前歯が一本欠けて実に説得力有る訴え掛けをするのでした。

登山にはなるべく最高のコンディションで望むべきなのは言う迄もなく、 歯に於いては不覚を取ったイモトさんでしたが 両眼にレーシック手術を施していたのも2013年10月20日のイッテQ!放送回で明らかにしていました。 実はイモトさん、目が悪くて今迄珍獣ハントでも大体の処で言っていたとか、いないとか、 経験上、毎朝のコンタクトの装着作業が大きなストレスとなるのが分かっており、 従来に無い長期間に渡る8,000m超級の登山には大きな障害となることが予想されたからからには 其処に大胆に対処するしかなかったのでしょうけれども決断も恐らくは速かったでしょう、 イモトさんの視力はお陰で0.1から1.5にアップしたのだそうです。 この一事を以ても抜歯と同様当該プロジェクトに 決して気軽に臨んでいるとは言えない様子と共に イモトさんの或る種の豪胆さが見て取れます。

歯の痛みも治まっての9月22日は二回目の順応トレーニングにて、 2泊3日で標高6,300mのキャンプ2まで上り下りします。 待ち構えるは氷と雪の壁にて セラック と称し、一気の雪崩を引き起こす恐れの高いマナスル切っての危険地帯でもあります。 途次、其れ程遠くない処から雪崩の音を耳にするも 何も考えないようにしましょうと進む師弟でした。 2度目のキャンプ1では、元気があればなんでも出来る! と妙に元気な石崎Dに腹立つなぁ(怒)とイモトさん、 イヤになったらいつでもやめればいいや、と思っているだろう 石崎Dとは裏腹に様々背負い込んでしまう気質のイモトさんには 頼もしい半面羨ましい一面もあり、裏返しで腹が立ってしまうのでした。

9月23日にキャンプ2へ踏み出す時、 此れからは雪崩の危険が増すため 万が一雪崩に巻き込まれたとき位置を発信するための新たに 雪崩ビーコン が装備品として加わります。 全員に装着する最中に又もや今度は間近くで雪崩が発生します。 目指すキャンプ2迄は僅か2kmほどなのに6時間が掛かる算段とあればその険しさが窺い知れます。 氷は溶け、雪が降り、固まり、日々ルートは変わる中、進みながらイモトさん、思わず えらい処にきちまったぁ… と漏らすのでした。

最早高度はキリマンジャロ[KQ1] の山頂並みの標高、 世界中の山登り愛好家はこの風景が見たいんですよ、 と角谷さんがごちるかの如く口にした絶景が眼下に広がります。 数々の困難を切り抜け愈々最大の難所、 巨大セラックの上に抜ければ標高は6,000mとなります。 クライマーズハイになってきた、と云う角谷さん、 ヒマラヤ襞が綺麗だなぁと愛でたりする中、 6時間掛け漸くキャンプ2に到着しました。 標高6,300m、イモトさんが経験したキャンプ地としては最高点です。 しかし冷たく寒いテントにわがままを言ってイモトさんは 今度は男性シェルパ2人組みのテントにお邪魔することになりましたが、 シェルパさん些か表情が固まっているのは可愛そう…。 スタジオで現地での睡眠の具合を聞かれたイモトさんに依れば テントの中では矢張り寝られないらしく1時間続けて寝られれば良い方だ、と、 休むために無理矢理目を閉じている時間が長く続くのだそうです。 ただ貫田さんはどうなのか分かりませんが。 翌9月24日、次来る時は本番だとキャンプ2を後にしベースキャンプへ下山したのでした。

9月25日はアタックへ向けての作戦会議です。 山頂アタックに於いては5日先を読む必要があります。 天気予報などから登頂予定日は10月3日、従って出発は29日を暫定的に設定されました。 また此れも重要なアタックメンバー選抜に於いては ヒマラヤアタックでは人数を減らすのがセオリーの処、 今回は特に体調に不安を訴える者が居なければ 全て上手く回っているなら行ける人は行けば良い、 と角谷さんがジャッジ、 麓から撮影するスタッフを除き12人皆が登頂アタックすることと決定しました。

3日後の出発に備え準備が始まります。 中でも大事なのがイモトさんには初めての経験となる酸素ボンベで、 貫田さんから些か荒っぽいレクチャーを受けたりしました。 処が9月27日、天気予報に変化があり、 10月3日は強風の恐れが出て来たので登頂日は2日とした方が好適となりました。 しかし28日は雪の予報で、雪の中を出発して翌日が 雪崩の多いセラック地帯を抜けなければならないとなれば到底受け入れられるスケジュールではありません。 其処で導き出されたのが強行軍を已む無くされる 飛ばし と称される手法でキャンプ2を飛ばして4日でアタックをしようと云う作戦です。 出発は29日に決まりました。

9月28日、明けてみれば雪が予想以上に降っており、 ベースキャンプまで積もっています。 また孰れかの隊のシェルパがクレバスに落ちた報も届きました。 今夜雪が降れば無念の帰国です。 翌9月29日、登山隊メンバーの日頃の行いかどうやら晴れてくれました。 愈々山頂に向けて出発です。 出発前、角谷さんや貫田さんに尋ねればイモトさんと同じく緊張していると言います。 山男でもイモトさんと変わりは無いのです。 世界第8位の8,000mの高峰へのチャレンジは 百戦錬磨の山男をも緊張せしめるのですからイモトさんが緊張しても当たり前なのでした。

いざ出発してみればエベレスト16回制覇のシェルパにまさかの高山病の症状が出ました。 山のエキスパートと言えど高山病から無縁ではないということがはっきりしたのです。 高山病はいついかなるときに誰に襲うか分かりません。 キャンプ1でイモトさんは不安な夜を眠れずに過ごしたことでしょう。

翌9月30日も快晴に恵まれました。 しかし太陽が雪を溶かせば雪崩の危険性は増す上に飛ばし計画ですから 尚更スピードを上げる必要があります。 標高は6,300m、酸素は既にとても薄くなっています。 途次、意外にも霧に辺りが包まれると風が通らず 蒸し風呂のようになって体温が上昇し 上着を脱ぐことを余儀なくされます。 暑い~、真夏みたいと叫ぶイモトさんは、 夢の中にいるみたい、と漏らすのを聞けば言葉とは裏腹に危険な感さえ抱かされます。 6,000mを超えて暑さを感じるとは思えない門外漢に現実が画面を通して知らされます。 空気の薄さで朦朧とする頭と真っ白な周りと異常な暑さ、 それは見る者にも確り伝わるのでした。

予定通りキャンプ1出発から7時間で標高6,800mのキャンプ3に到達しました。 強行軍も何の其ののイモトさんもテントに独りになると思わず弱音が毀れます。 此処迄イモトさんを支えているのは人気者珍獣ハンターとして 視聴者の皆さんに8,000m級の山頂からの景色を伝えたい、 と云う使命感だけなのです。 当該登頂プロジェクトを通底する感情がイモトさんの胸中には沸き起こります。 果たして山に取り憑かれている訳でもないイモトさんに8,000mクラスの山は… この日の睡眠からは酸素マスクが使われるのでした。

10月1日には3.5kgの酸素ボンベを背負ってキャンプ4を目指し上ります。 道すがら標高は遂に7,000mを超えました。 此処に於いてはクライマーズハイでイモトさんは辛さが消えています。 角谷さんは登頂を心から喜んでくれる彼女になって欲しいといいます。 出発して5時間、最後のキャンプ4に到達しました。 標高は7,400mです。 必死の思いを抱きながら食事を啜り込むイモトさんの後ろには 平っちゃらな顔をした石崎Dが映っていました。

明けて10月2日には午前2時起床で最終アタックの装備を整えます。 3時53分、標高差700mの山頂を目指しての出発、 往復には10時間以上掛かる予定です。 角谷さんと頂上に立ちたい、それはエベレストでもマナスルでも何処でもいい、 それはイモトさんだけではなく、石崎Dなど登山部全体の願いでもありました。 角谷さんがイモトさんと目指したのはアコンカグアが最後、 その時は残念乍頂上手前で涙を飲みました。 安全に皆を帰すことが角谷さんの義務であったからです。 何時の間にかイッテQ!登山部には単なるサポート役に留まらない 角谷さんとのステキな物語も生まれていたのでした。 イモトさんにプロジェクト中通底する不安な感情は 此れを以て払拭されたかのようにも画面からは伝わりました。

此処迄読んで来れば感の良い向きは気付いたのではないでしょうか。 8,000m級の山頂付近に驚かされるのが其の人の多さです。 4隊、計50人が山頂アタックせんとひしめいているのでした。 渋滞は停滞を生み、歩み、即ち適度な運動を止められ足が冷え始める、と言う問題を生みます。 コンスタントに動くことが許されず、イモトさんは足を叩き始めました。 雪が深く前を行く隊がルートを作るのに苦戦しているのです。 唯に冷えるだけではありません、酸素ボンベは刻々と消費されていくのです。 2時間で僅か進めたのは100mです。 此れこそがベースキャンプでは其の兆しは有りつつも 予想もし得なかったイモトさんを最後に苦しめた渋滞でした。

天気予報より天気は悪くもありました。 しかし一歩一歩進めば太陽が雲間から姿を見せ、 何時の間にかマナスルの巨大シンボルのピナクルが横に見える処迄来ました。 上には遂にはっきりとマナスルの頂が見えます。 眼下には愈々美しい絶景が広がります。 しかし山頂に辿り着く前に下山用のボンベに切り替える状況が招かれました。 ペースを上げなければなりません。 イッテQ!登山隊に先行する隊が再び停滞し始めました。 遂に隊は酸素ボンベの流量を毎分4ℓから2ℓに絞りました。 4時間分の酸素が倍持つ勘定になりますが、酸素が薄くなれば其の厳しさは云うまでもないでしょう。 此れから進む道は其の名もデスゾーンです。 映像がぶれ始めたカメラマンは動きが激しいためとても酸素が足りず 危険を承知で流量を元に戻しました。 イモトさんの活躍を視聴者に届けるカメラマンの運動量は 登山部一行の中にも激しいものであるのが伺われます。

そして遂に、遂にゴールが見えました。 ギザギザに切れ立つ其のリッジの最上部です。 処で此処に来てイモトさんには気になることが有りました。 山頂周辺には人が犇めいているのです。 この渋滞の中ゴールすんのかな? 折角初の8,000なのに東京と変わんねぇよ、これじゃ(怒) と、こんな具合に頂上の己の絵映りを気にし始めた時、 角谷さんに言われて初めて己が標高8,000mを超えたのを知りました。 最後の100mは左右が切れ立ち画面越しにも足の竦む光景のナイフリッジを行きますが、 最早立派なアルピニストのイモトさんが萎縮する筈もなく、頂上手前30mの感想は すごいゴミゴミしてる …でした。 順番を待って、と言うのが門外漢の驚きでもあり笑いを誘われもする 遂に山頂へ師弟共に立ち、本記事冒頭のシーンへと相成った次第。

畳一畳ほどの超危険な頂上では、 イモトさんは絵映りを気にしてか酸素ボンベを取りました。 自分の足で山頂に立っていると述べた其の足元が映されます。 角谷さんは後待ってる人がいるからと、降りることを促しました。 余韻に浸る間もないって言う奴ですね、とイモトさん。 其の後素早くデスゾーンから脱出、酸素を切らすことなく 午後12時50分にキャンプ4に登山隊一行は揃って無事帰還しました。 一息落ち着いて皆さんと喜びの握手を交わし 登頂記念にマナスルの雪を練乳で味わうイモトさんでした。 其の後の下山の模様は例に依って大幅カット、 其の後ネパール政府より登頂証明書を授与されたのが画面に映し出されたイモトさんでした。

登頂を成功させたイモトさんは石崎Dから次へのGoが出たことを聞かされ 出ちゃった? と返し、自らの何時かはエベレストへ登るとした言が登山部の発端になったのを、 私、云ったっけ?と言う始末、 バラエティで行く訳ないと思い軽い気持ちで言ってしまったのでしたが、 いよいよ本当になって来ました。 実は登頂直後時点でイモトアヤコさんは もう2度と登るか!! と心に誓っていたらしいのはご本人のブログ[※2・3] で確認出来ます。 処が遣り取りの中に上手く石崎Dのダチョウ倶楽部並みの俺が攻撃に乗せられて、 じゃぁ登るわ! と口走ってしまったのは女芸人此処に在り! 言質は取ったぞとばかり、 イッテQ!登山部次は世界最高峰エベレスト と高々とテロップが映し出されたことです。

此の模様が伝えられるスタジオには実は登山部ガイドの面々が坐っていたのを 森三中の大島さんが泣きながら紹介し チームワークの素晴らしさに感動すれば、 見るものの胸を打たずにはおれない素晴らしい登頂プロジェクトでした。

ただ今回、個人的にほんの本当に少しだけ残念に思われてしまった、 と言えば真剣なイモトさんに怒られてしまうかも知れませんが、 確固たる地歩を固めたかに思えた お笑いドキュメンタリー と言う可能性も大きな分野を自ら放擲してしまったかに見えることです。 イッテQ!登山部が本来のお笑いドキュメンタリーたる 其の為にはいつもの弱音を吐きまくり、 メタボを顧みず投げ遣りな挑戦を試みる石崎Dの描写がもう少し足りない様な気がしました。 視聴者は其の殆どが山登りをしません。 自らを投影するに石崎Dは必要欠くべからざる存在です。 神は細部に宿ると申しますが、 リアリティーは一見お笑いとも思える、イモトさんや石崎Dの 娑婆とは断絶した其の環境に身を置いた時に意外、案外、驚きを思って漏れる感想や意見に宿ります。 其処に超人たる山岳人の挑戦とはまた異なるドキュメンタリーが生まれるのです。 無論当今テレビ番組に蔓延る遣らせでは塩梅が悪いですから若しかしたら随所に見られる様に イモトさんに常に気を使い楽天的で本当に弱音を吐かなかったのかも知れませんが、 石崎Dの悲哀のテーマをもう少しだけ余分に耳にしたかったのが正直な処です。

其の意味では白眉と言えるシーンは 9月14日順応トレーニング1セット目キャンプ1での顧問、貫田さんの 天国 発言だったでしょう。 此の何食わぬ発言を図らずも耳にしてしまったイモトさんの 歯噛みする様子は超人貫田さんとの対比、コントラストの鮮やかさで見る者を大いに笑わせてくれながらも 山男の逸脱振りと一般人との感覚の余りの違いと共に、 厳しい登山の世界を視聴者に感じ取らせてくれるシーンだったと思います。

本放送回はイッテQ!の本放映回は日本テレビ開局60周年記念番組として、 イモトが挑む一大プロジェクト マナスル登頂スペシャル なる局取り上げての扱いとなっていました。 世間の盛り上がりと注目を鑑みれば営利を旨とする局としては当然の仕切りでしょう。 だからこそ本記事中に随所に見られる強力な人的、経済的なバックアップが可能となったとも言えます。 とは言え、こうなってしまってはちょっとおふざけは入り難いかも知れないのも確かで、 些か放送局の事情が入り過ぎてしまっているようにも感じます。 イモトさんのキャラクターを以てして決して感じの悪いものではありませんでしたが、 放送最後のグラチャンバレーのサポーターとしての番宣は スタジオに傍から感動頻りだった他の演者の僅かな苦笑も感じられたような、なかったような…。 或いは確実に危険を伴う高峰登頂プロジェクトに おふざけが入り込み過ぎれは如何にも批判や圧力も多いのかも知れません。 しかし此れ等の障壁を思ってみても 是非イッテQ!登山部と編集部にはお笑いドキュメンタリーたる分野を一考して欲しく思うのでした。 絵にもなり素晴らしい山岳者の角谷さんに焦点が合わされたのは勿論 ドキュメンタリーとしての仕上がりを出色のものに格上げもしました。 其れでも尚、当回裏版として、 番外編として視聴者の身代わりたる一般人石崎Dに焦点を当てた回が望まれます、 一畳敷きの山頂にへたり込むだろう雄姿をラストシーンに。

追記(2019年11月25日)

イモトアヤコさんとイッテQ!番組ディレクターの 石崎史郎いしざきしろう さんとの結婚を受けて2012年10月3日の記事 キリマンジャロ~イモトアヤコさんの登頂プロジェクト第1の山 に追記しました。

使用写真
  1. Himalayas @ Golf Club, Katmandu( photo credit: SouthAsiaGolf via Flickr cc
  2. Manaslu Circuit( photo credit: Zabara Alexander via Flickr cc
参考URL(※)
  1. イモトアヤコ、マナスル山頂振り返り感謝「また何かやりたい」(ORICON STYLE:2013年11月11日)
  2. マナスル登頂(山岳ガイド、技術スタッフ編)(イモトアヤコ オフィシャルブログ:2013年11月10日)
  3. マナスル登頂(制作スタッフさん編)(イモトアヤコ オフィシャルブログ:2013年11月11日)
世界の果てまでイッテQ!登頂プロジェクトシリーズ(KQ)
  1. キリマンジャロ(Kilimanjaro)(2012年10月3日)
  2. モンブラン(Mont Blanc)(2012年10月7日)
  3. アコンカグア(Acon Cafua)(2012年10月28日)
  4. マッターホルン(Matterhorn)(2012年11月17日)
  5. 槍穂高縦走(夏山合宿)祝角谷師匠復活(2013年9月29日)
  6. マナスル(Manaslu)(2013年11月13日)
  7. 天国じじい(2014年1月8日)
  8. キナバル(Kinabalu)(2014年3月27日)
  9. マッキンリー(McKinley)デナリ(Denali)(2015年9月4日)
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