その萌芽は既に第1の山
モンブランはお菓子として有名なものはこの山を模して作られるほどの ヨーロッパではお馴染みの山でフランスとイタリアの国境に聳え、 その標高は4,810mであり、西欧州の最高峰、 トップ・オブ・ヨーロッパ となる山です。 謎解き冒険バラエティー 世界の果てまでイッテQ! の2010年9月5日に放映されたのが イモトアヤコ さんが前年2009年6月28日放映分に於ける キリマンジャロ登頂プロジェクト完結編 に続く モンブラン登頂プロジェクト完結編 でした。
第1の山キリマンジャロより標高は劣るとは言え、 その登頂確率は僅か20%と実に難しいものでモンブラン頂上に立つことは 強靭な精神と肉体、そして天候の恵まれる運を持つ者のみに許されるのです。 最早アルピニスト、プロの登山家にしか許されない世界と言って過言ではありません。 実際イモトさん一行は3日間の予定であった登山日程に於いて 3日目の予報が思わしくない天候であったため、 1日予定を早める強行軍を強いられてもいます。
キリマンジャロでもお世話になった国際山岳ガイドの 貫田宗男 さんに加え、今回は同じく国際山岳ガイドでモンブラン登頂も30回を数えるベテラン 角谷道弘 さんも強力にイモトさんをサポートします。
モンブランは下の地図で見ればイタリアとの国境のフランス側にあり、 スイスとの国境も程近く、その位置もまるでヨーロッパを象徴する峻峰であるかのようです。 ヨーロッパ最高峰としてその頂上に至れば3国が睥睨できるのですね。 それだけにその登攀は並大抵のものではありません。 真のアルピニストだけに登頂を目指すことが許される山峰です。 アスリート並みの身体能力を持つ珍獣ハンターで鳴らしたイモトさんと言えども 未だ登頂プロジェクトは第2山目と慣れないこともあり、 2人の優れた国際山岳ガイドのサポートは必須です。
2010年8月9日の正午、愈々イモトさん一行のモンブラン登山開始です。 一日目は最終アタック拠点の登山口から7kmのコスミック小屋を目指す、 まだまだ小手調べ、とは言え午後5時に到着した其処は既に標高3,613mあるのでした。 此処で1泊して3日目の未明にモンブラン登頂アタック開始の筈だったのですが、 冒頭記したように天気の具合から1日の高度馴致日をおくのも許されない強行軍となります。
そこは既に富士山並みの標高を有しますから、 ここから怖いのは望むままの期限では登山の許されない天候と共に、お馴染み 高山病 もあります。 午後11時に血中酸素濃度測定をしましたが、 どうやらイモトさんは大丈夫のようです。
午後は気温が上がり天候が不安定になるため登頂アタックを未明から開始、 午前中に登頂してしまうのは登山家の常識です。 午後には小屋に戻って来なければなりません。 一日早めた8月10日午前1時、アタックは開始されようとしました。
しかしそれさえもモンブランの天候は許してくれません。 強い霰が降り注ぎ一時レスト(待機)と角谷さんは判断を下します。 この判断はメインガイドの重要な役割でもあるのです。 焦れながら待つこと午前2時15分、霰も上がったとてアタックは再開されました。 しかし時間を遅らせた分は途中のペースで取り戻す必要があります。 このペースには最早番組のお笑い担当石崎ディレクターは付いていけないのでした。 結局石崎Dは戻されるのですがしかし、イモトさんを厳しい現実、処か恐ろしい雷が襲います。 山の天候で最も恐ろしいものの一つに雷が有ります。 そしてこの標高では雷は横で鳴っているのでした。 急いで戻った一行は再びレストとなりました。
開始を1時間遅らせた後に出掛けて雷でまた戻ってともう気持ちは折れそうです。 最早登頂は諦めなければならないのかと思いながら しかし角谷さんはレストの姿勢を崩しません。 既に時間は4時を回っています。 そして天候を見た角谷さんは遂に午前4時50分、GOサインを出したのです。 再び準備を整えた一行は午前5時15分、アタック再々開です。 相当なハイペースを保たなければならないため、 最早足手纏いとなるのが分かり切っている番組関係者は小屋に置き去りとされました(笑)。 プロの登山家とプロのカメラマンとイモトさんで出発、 何とテレビ番組で番組関係者の居ない番組制作状況という 真に面白い状況が出来したのはこの番組が最早 ドキュメンタリー色の濃くなったのを示しています。 日本テレビ史上未だ嘗て無い お笑いドキュメンタリー番組 の誕生の瞬間です。
一行は急ぎます。
しかし予定からの物理的時間の遅れは如何ともし難いものです。
第2峰でご来光の予定は第1峰に着く前となってしまいました。
午前6時45分、朝日がお目見えです。
その神々しさも束の間、平均斜度30°が3km続く道程を一向は黙々と進みます。
そして遂にモンブラン第1の番人
タキュール登頂もそこそこに次に控える第2の番人、
標高4,465m、
息つく間も無く最終ボス、モンブランの頂上に向けてイモトさん一行は出発しました。 しかし遂にイモトさんは辛さで遂に足が前に出なくなってしまいました。 この高度では既に酸素は平地の60%しかありません。 若しかしたら低体温症かも知れません。 イモトさんは寒い、寒いと、言いながら寝転がりそうになりました。 角谷さんが 寝たら危ない! と強い口調で言い嗜めるシーンはショッキングなものでした。
なんとか立ち上がったイモトさんは角谷さんに励まされながら 最後の力を振り絞り一歩一歩着実に進みます。 そして正午を過ぎること17分、イモトさん一行は遂に登頂に成功したのでした。 標高4,810m、西欧州の最高峰のその頂上にイモトさんは立ったのです。 絶景を眺めるイモトさんの耳に角谷さんの、 トップ・オブ・ヨーロッパ だよ、と紹介する誇らしげな声が染み渡るのでした。
しかしその直後にこの登山で最もショッキングな事件は起きたのでした。 山頂でイモトさんが見たものは… まさかの石崎Dの 短パン姿 でした。 ヘリコプターで麓のシャモニーから頂上まで僅か5分、 一応山頂のイモトさんの姿を空撮しようとしたのでしょうが、 デリカシーの欠片も感じられません。 愕然とし呆気に取られるイモトさんの周りをヘリコプターは周回するのでした。
これぞお笑いドキュメンタリーの真骨頂でしょう。 しかしなればこそ登山の真の姿が登らぬ吾人にも垣間見えようと言うものです。 ドキュメンタリー然と仕上げようとすれば、 当然この件はカットされるべきで、然すれば真の姿の輪郭もぼやけようと言うものでしょう。
そしてこのショックを抱えつつイモトさんが山頂にいたのは僅か5分だけでした。 それが登山と言うものなのでしょうね、正午を過ぎること22分、下山の開始です。 勿論苦労の末の下山の模様はバッサリとカットされつつ、 午後6時10分、一行は一人の犠牲者も出さずコスミック小屋に無事到着したのでした。
さてさて、この難事業を成し遂げたイモトさんを追うカメラが 捉えた最終コメントはプリプリ頬っぺたを膨らましながら言い放ったまさかの もう二度と行かない でした(笑)。 そんなこと言わないでイモトさん、 と言うか今日の2012年10月初旬のこの時点で既に第4の山も制覇しはしているのですが。 文句言いつつも山の魅力に取り憑かれてしまったイモトさんでした。
追記(2019年11月25日)
イモトアヤコさんとイッテQ!番組ディレクターの
- キリマンジャロ(Kilimanjaro)(2012年10月3日)
- モンブラン(Mont Blanc)(2012年10月7日)
- アコンカグア(Acon Cafua)(2012年10月28日)
- マッターホルン(Matterhorn)(2012年11月17日)
- 槍穂高縦走(夏山合宿)祝角谷師匠復活(2013年9月29日)
- マナスル(Manaslu)(2013年11月13日)
- 天国じじい(2014年1月8日)
- キナバル(Kinabalu)(2014年3月27日)
- マッキンリー(McKinley)デナリ(Denali)(2015年9月4日)