所有者は現在はセコムとなっており、 その関係で2008年夏にはサミットの誘致に成功し依頼客足は順調と言う ザ・ウィンザーホテル洞爺 ですが、その前身に於いては名を ホテルエイペックス洞爺 と言い、1993年に開業した会員制高級ホテルでした。 この開業に至らせたのが今は亡き 北海道拓殖銀行 であり、先月2013年2月28日に臨時株主総会で解散を決議し、特別清算を申請する見通しとなった カブトデコム株式会社 でした。
ザ・ウィンザーホテル洞爺開業より数年を経た1997年11月に北海道拓殖銀行が都市銀行として 戦後初であり唯一の経営破綻した銀行となり1998年には全ての事業を譲渡していました。 ザ・ウィンザーホテル洞爺も廃業の憂き目を見ましたが其の後、2000年には現体制に引き継がれていたのでした。
ホテルエイペックス洞爺の経営はエイペックス社が担当する処ではありましたが その親会社はカブトデコム社であり、同社が1990年秋に着工した 総事業費700億円を掛けた一大プロジェクトがホテルエイペックス洞爺であった訳です。 カブトデコム社の創業は1971年(昭和46年)4月、 創業当時は兜建設株式会社の商号でしたが1988年(昭和63年)9月に現商号へと変更、 ピーク時には1,000億円を超える売上を計上しましたが、今負債総額5,061億円を以て倒産の仕儀[※1・2] と相成りました。
巨額の売上を達成したのは1991年、平成では3年となる正しくバブル景気の最終フェーズ、 ホテルエイペックス洞爺も其の時期のプロジェクトであったのでした。 以降バブル崩壊と共に売上は減少して行き、今回倒産の憂き目を見たのでしたが、 その以前に同社の経営に大きな影響を齎したのが北海道拓殖銀行の倒産であったのも確かです。 この負債額は北海道では歴代3番目となり首位はたくぎん保証、2位はたくぎん抵当証券ですから、 軒並み拓銀関連となる訳で北海道経済に拓銀は大きな負の遺産を残す、其の嵩上げが今又なされてしまったのです。
北海道拓殖銀行はバブル景気に最も踊らされた銀行とも言えるでしょう。 バブル景気に乗って繰り広げた戦略が インキュベーター路線 でした。 上場益を狙って支援を展開する手法ですが、 其の支援先となったのがカブトデコム社であり、 融資の対象がホテルエイペックス洞爺のプロジェクト[※3] だったのです。 サミットの折、バブルの象徴とも言われたザ・ウィンザーホテル洞爺にはこの様な背景があったのでした。 しかしこの巨大プロジェクトはバブル景気の崩壊と共に巨大な焦げ付きとなって 遂に北海道拓殖銀行の息の根を止めたのです。 今回のカブトデコム社の倒産に至るのも不況が長引けば無理からぬものとは言え、 今迄生き長らえて来たことこそ不可思議なものかも知れません。
1991年を初頭を末期とするバブル崩壊から既に20年以上、 かたむき通信にもバブル景気とその崩壊に遠因を持つ倒産事案を去年3月からの1年間だけでも以下列挙の如く扱いました。
カブトデコム社の創業時、未だ兜建設株式会社と称していた頃、 創業仲間がスコップを担いで建築現場を飛び回っていた如き活動が継続されていれば、 各方面から様々に揶揄される今回の憂き目は見なかったのかも知れません。 今も尚尾を引くことから分かるバブル景気の影響の大きさは多くの企業の運命を狂わしました。 バブルの遠く現代に迄伸び差す影は未だ消えはしません。
使用写真- Windsor Hotel toyako( photo credit: veroyama via Flickr cc)
- 元・建設、不動産業 カブトデコム株式会社 解散を決議、特別清算申請へ 負債5061億円(帝国データバンク:2013年2月28日:2020年3月13日現在記事削除確認)
- カブトデコム(株)(東京商工リサーチ:2013年2月28日)
- 不注意な「契約」をした「インキュベーター」取締役の責任が認められた事案~カブトデコム事件(アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常:2011年6月3日)