日本最古の金箔瓦とフロイス言及の池跡発見~織田信長公居館跡発掘調査ブログの紹介

織田信長と言えば戦国三英傑の筆頭、 講談や小説に映画は言うに及ばずNHKの大河ドラマにも何度も登場し 死後4百数十年を経ても日本国民に親しまれる戦国武将です。 かたむき通信にも信長自身を扱った書籍の書評[K1・2] から、軽く姿を垣間見せる書籍の書評[K3・4] に重要な役目を担い姿の現れる史学書の書評[K5] 、果ては独自の外史[K6] に迄登場願っている処です。

これだけ知られる日本史の重要人物と言えども 未だなかなかにその事跡などは研究が進んでいない部分があるのが実情です。 かたむき通信に書評を展開する最中である 信長の戦国軍事学―戦術家・織田信長の実像 (歴史の想像力) に於いては巷間史実とされる通説が如何に良質な史料と乖離したものであるかが知れます。

岐阜城遠望

それでも着々と研究は推進されているのは勿論で、 信長が尾張、美濃、近江と拠点を移したその第2の本拠地たる 岐阜に於いても教育委員会が地道な研究を進めています。 そして今回岐阜城麓の信長居館[※1] から齎された研究成果が全国的にメディアに紹介されました。 新たに発見されたのは信長と密に接触した宣教師ルイス・フロイスがその著述に著した処と符合する 池跡 と日本最古と目される 金箔瓦 です。

大手メディアも挙って報道する情報ですが、 その詳細の最も知れるブログが岐阜市の事業として営まれ配信されています。 織田信長公居館跡発掘調査ブログ[追記1] がそれです。

岐阜城   大きな地図で見る

このブログは平成19年(2008年)に 岐阜町発祥の地・まちなか歩き構想 の一環として、観光資源開発を目的に策定されたもので 以降、発掘調査と見学者への常時公開がなされて来た事業[※2] をインターネット上にも公開するものでブログも2007年7月16日の記事 岐阜公園へのアクセス[追記1] から開始せられています。 インターネットの配信に於いては当初 織田信長公居館跡発掘調査 なるホームページとして配信されていましたが、 今はこのページへアクセスするとブログにリダイレクトされる仕組みとなっています。 次年度平成20年(2008年)より現場公開・PRに積極的にブログは活用される処となり、 平成20年5月8日の市長記者会見資料[※3] にもそれは伺われます。 発掘調査は更なる次年度の方針を決定するものでもあり着々と成果を積み重ね、 今回の発見へと繋げられた訳です。

今回発表されたその一つは先ずルイス・フロイスの言及した処と一致する部分の多い 居館庭園内の池跡にてその該当ブログ記事が2012年11月21日に配信された 信長公居館の中枢部で新たな庭園を発見![追記1] です。 形は楕円形でその大きさは南北7.5m以上、東西6.1m以上であるとされます。 深さ池35cmの底にに敷き詰められた小円礫がルイス・フロイス言う 入念に選ばれた鏡のように滑らかな小石、なる部分と一致するのだそうです。 他にも巨石列や池を含む庭園を観賞すべき建築物の礎石が見つかったなど、 興味深い事項が記される処です。

そしてもう一つが日本に最も古いものでは、と目される 金箔張りの瓦の発見でその該当ブログ記事は本日2012年11月27日の記事 信長居館中心部の建物に使われていた金箔の飾り瓦が判明しました![追記1] で、昨日26日の記者発表の概要と資料写真で構成されています。 発見された瓦は20弁で構成される 菊花文 と全国にも類例の無い60弁の 牡丹文 の2種類の飾り瓦でその大きさは28cm四方、厚さは3cmであると言います。 化学分析で漆を接着剤に金箔の貼られていたのが明らかとなりました。 この発見に依り従来安土城を嚆矢とされるとされてきた金箔瓦を用いる城郭として それに先駆けた日本最初の事例となる可能性が高いとされています。 またこの瓦は通常に考えられる屋根瓦には無く、 屋根自体は板葺き若しくは桧皮葺きであり、その中心を構成する棟木を飾るものとして在ったようで、 居館の具体像の推定モデルが拵えられ記事に写真が公開されているのも嬉しい処でしょう。

さて最後に少し苦言を呈せば当世の状況を考えた際、従来型のHTMLホームページから 更新の容易なブログを情報配信のメインに据えるのは極めて妥当なのですが、 その方針を採るのであればブログは確りメンテナンスされて然るべきです。 しかし些か今回紹介したブログには残念ながら不具合が見受けられます。 先ずはブログのヘッダにフラッシュを用いるのは最早 不適当なものですから早々の改善が望まれます。

それにも増してナビゲーションに問題を有するのは極めて拙いものです。 このブログは Movable Type に拠り構成されていますが、 リビルドの設定に問題があるのかも知れません。 即ち左欄下のバックナンバーのリンク先が全てブログトップとなってしまっているのです。 これには閲覧者も辟易するでしょう。 かたむき通信本記事をご覧いただいた方に現在の対処法を記しましょう。 バックナンバーにアクセスしたい場合には先ずその年月を特定した上で http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/ と言うブログトップのURLに archives/ を、続けて 西暦年/2桁の月/ と記します。 例えば2008年の8月の記事一覧にアクセスしたい場合には http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/archives/2008/08/ とアドレスバーに記入すれば良い訳です。

凡そ此の手の作業は関係者が片手間にする処で様々問題を抱えるのは致し方ありませんが、 折角の貴重な資料は滞りなく閲覧者に開示されたいものです。 この如き事業には実に興味がありますので関係者には 然るべき機関に早急にご相談あられたく願うものです。

追記1(2019年4月9日)

2019年4月9日現在 織田信長公居館跡発掘調査ブログ を確認した処、ブログは削除されて紹介時は其方からリダイレクト処理されていた 織田信長公居館跡発掘調査ホームページ「史跡岐阜城跡」 に逆リダイレクト処理されていました。 従って2007年7月16日の最初の記事 岐阜公園へのアクセス 及び2012年11月21日の記事 「信長公居館の中枢部で新たな庭園を発見!」 、そして2012年11月27日の記事 信長居館中心部の建物に使われていた金箔の飾り瓦が判明しました! の一連の紹介記事もアドレスが変更されていますが、此方はリダイレクト処理はされておらず、此処にリンクを貼り置く処です。 本記事紹介時にも跋文的に苦言を呈した処ですが、 ブログは確りメンテナンスされるべきですし、 一次資料として扱われる場合の多い公共機関のものであれば猶更なのですが、 一般的に税金で賄われているものは、予算の関係があるのか、等閑にされているものが多く見受けられれば仕方のないものかと残念にも思います。 ブログシステム自体は Movable Type から、現在グローバルに最も利用されているシステム WordPress に変更されているようですが、其のリニューアル時点で何とかならなかったものかとも思います。 しかし流石に7年前、2012年の時点で不適当を指摘した、 ホームページのメイン部分にフラッシュ技術を用いるのは、 本家のアドビが来年、2020年に其の廃止を予告[※4] していれば最早不適当を通り越しており如何なものかと思わざるを得ません。 更には現時点ではセキュアサーバー化されても然るべきでしょうが、 当該サイトは相変わらず HTTP のみを以てサイトアドレスが始まり S の一字は付加されていません。 また併せて、岐阜市役所の記事[※2・3] も削除されておりましたので平成21年度の当該事業記事[※5] へ新たにリンクを貼り置きますが、 本来は共にアーカイブされるべき記事だと考えますので此方も残念です。

使用写真
  1. 岐阜城遠望( photo credit: shishamo72 via Flickr cc
かたむき通信参照記事(K)
  1. 信長の戦国軍事学~書評1~当代随一のドキュメンタリー作家太田牛一(2012年11月12日)
  2. 天下布武の武の字義~信長と十字架~書評(2012年9月14日)
  3. 真田一族3~英雄幸村の等身大像を垣間見る(2012年8月29日)
  4. 小西行長~安吾史譚書評~大物外交官を史上に炙り出す(2012年10月24日)
  5. 近江から日本史を読み直す~書評~中央と地方の狭間から歴史を見る(2012年10月4日)
  6. お年忌法要400回忌辺りは戦国時代外史(2012年8月6日)
参考URL(※)
  1. 織田信長居館跡-岐阜県-(城と古戦場)
  2. 平成19年度 織田信長居館 発掘活用事業 概要(岐阜市役所:2007年7月6日:2019年4月9日現在記事削除確認[追記1]
  3. 平成20年度 織田信長公居館跡発掘活用事業 概要(岐阜市役所:2008年5月22日:2019年4月9日現在記事削除確認[追記1]
  4. アドビ、「Flash」を2020年に終了へ(CNET Japan:2017年7月26日)
  5. 平成21年度織田信長公居館発掘活用事業 概要(岐阜市役所:2009年8月14日)
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