顔大短身御曹司が化ける『源頼朝/安吾史譚』書評

大胆不敵に自動車界に挑戦し続けた彼の 本田宗一郎 氏はヘリコプターで名古屋上空を通るときに 同乗のご仁にその豪放磊落な性格そのままに 此処が頼朝の親父が風呂場で殺された処 と案内したそうです。

1934年10月の「全日本自動車競走選手権大会」で優勝したときのカップを手にする本田宗一郎(2019年11月3日撮影)
1934(昭和9)年10月の「全日本自動車競走選手権大会」で優勝したときのカップを手にする本田宗一郎(2019年11月3日撮影)

源氏の大将義朝は平治の乱に敗れ、 鎌田政清、金王丸、玄光の豪傑3人と共に頼った政清の女房の里が此の地でした。 政清の義父長田忠到は倅の景到と相談の上、 風呂に入った義朝を家来に襲撃させ殺したのです。 政清もまさか女房の父親に殺されるとは思わなかったでしょう。

かたむき通信に 柿本人麿道鏡童子 と書評をものした 坂口安吾 の手になる 安吾史譚―七つの人生について (以下、本書)に続いて綴られるのはこの父親一行と逸れた息子の物語です。 日本史上に画期となった武家政権の創始者であり、 かたむき通信にまた書評[K1・2] をものした 鎌倉開府と源頼朝 に於いても主人公でもあった 源頼朝 その人です。

安吾はこの歴史的画期となる政権を創造し得た人物を取り上げて先ず 顔大短身 とします。 顔が大きい割りに身体が小さくヨチヨチ歩いていた、と言う訳です。 安吾らしい捻た出だしであり、 その大将軍としての類稀な資質を何処に見出すかと言えば 親父が殺され遊女屋に潜んでいたのを見付かった際の命乞いに見られるとします。 戦に負けて親兄弟みんな死んだから …とくれば普通はパブロフの犬みたようなもので、 何の望みがあって俺だけ一人この世に生き長らえたいものか! と続けてしまう処、頼朝の反射神経は 俺は命が助かりたい と言った訳です。 浜口ライオン宰相ですら東京駅頭でピストルで撃たれでもすれば 男子の本懐 ほどの決まり文句、オーム返ししか口走れない処を、 一大の英雄ともなると死に臨んだ際には幾ら情けなくとも その反射神経が一味違う、とするのでしょう。

源頼朝相関図
源頼朝相関図

更には 坊主になって死んだ父の後世を弔いたい とやったものですから捕縛した侍があまりに不憫に思った計らいで 清盛の継母の池の尼に助命され蛭ヶ小島への流刑にまけてもらえ一命を取り留めたのでした。 この流刑地に頼朝は命乞いの際の言葉に違わず数十年念仏三昧を過ごすことになるのですが、 どうしてなかなかのプレイボーイ振りを発揮するのは此の 源頼朝相関図をご覧いただければ、 監視人の伊東祐親、北条時政両名の愛娘に手を出しているのがお分かりいただけるでしょう。

処が監視人の一人伊東祐親なる人物が相関図を見るからに恐るべき人物で 己の留守中頼朝と八重子との間に儲けられた千鶴という三つの可愛い盛りの孫を 簀巻きにして川へ投げ殺してしまいました。 世に有名な曾我兄弟の仇討ちだとてその元を辿れば この伊東祐親が兄の荘園を横領しその遺児工藤祐経の恨みを買ったからで、 相関図に見ればその所業の凄まじさが分かろうと言うものです。

恐るべき祐親は可愛い孫を殺しただけでは収まらず、頼朝を襲撃せんとします。 この事態に頼朝が逃げた先が伊東と相対する監視役の北条であり、 今度は其処の娘の政子と此方は些か打算的ではありながら恋仲になったと言う塩梅です。 この政子を娶ったのが頼朝の一つの画期となりました。 北条の後ろ盾を得られる以上に頼朝の精神面に大きく影響があったようです。 安吾の言に依れば此処に後一歩で乞食貴族に陥る頼朝は救われたとされます。 其処へ件の以仁王の令旨が折り良く届いたというのですから 運命とは斯くたるものかとそのタイミングの余りの好さを思わさせられます。 斯くして山木判官を相手に初陣を勝利で飾るのですが、 此処でも安吾は全く地に足が付いておらず だらしない と評価します。

政子との所帯を一つの画期とすればもう一つは 石橋山の合戦 に一敗地に塗れた敗戦でした。 一月前はたった4名の佐々木兄弟の遅参に気を揉み到着に感動で落涙したその同人物が この敗戦を挟んで今度は2万の大軍を引き連れた上総権介広常の遅参を一喝しているのです。 あまりと言えばあまりな変わり様、化け様でしょう。 以降頼朝は大将軍、大政治家としての道を弛みなく歩むこととなるのです。 然るに日本史上画期たる武家政権は産声を上げるのでした。

十四の歳に命乞いして命長らえた小僧はすくすくと顔大短躯に成長し 遂には大政治家足りて五十三の歳に落馬が元で死にます。 鎌倉開府と源頼朝 にはこの模様は玉葉にも吾妻鏡にも何故か欠落し、 玉葉には偶然もあるだろうが吾妻鏡には大政治家への配慮だろう[K4] とされています。 安吾は命乞いに一世の反射神経を顕したその英雄が 馬から落ちた際に何と口走ったのかが物の本に記されていないのは残念だとします。 そして、 大方シカメッ面をしただけだろう、 としています。

かたむき通信参照記事(K)
  1. 鎌倉開府と源頼朝~書評前編~武家政権揺籃期の再確認(2012年10月14日)
  2. 鎌倉開府と源頼朝~書評後編~日本史的画期の武家政権樹立(2012年10月16日)
安吾史譚書評記事一覧
  1. 柿本人麿~歌聖大法螺を吹く(2012年10月17日)
  2. 道鏡童子~高潔たる童貞童女の濡れ衣を晴らす(2012年10月19日)
  3. 源頼朝~顔大短身御曹司が化ける(2012年10月21日)
  4. 小西行長~大物外交官を史上に炙り出す(2012年10月24日)
  5. 直江山城守~光風霽月の策戦マニヤ(2012年11月1日)
  6. 天草四郎~遣る瀬無き史上最大の一揆(2012年11月4日)
  7. 勝夢酔~一生涯ガキ大将(2012年11月7日)
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